Tetsuya Honda

株式会社本田事務所 / 代表取締役/PRストラテジスト東京都港区

Tetsuya Honda

株式会社本田事務所 / 代表取締役/PRストラテジスト

世界でもっとも影響力のあるPRプロフェッショナル300に選出されたPR専門家

PR専門家。本田事務所代表。カンヌライオンズ公式スピーカー/審査員。ブルーカレント・ジャパン創業者。得意領域は戦略PR/広報、ブランドマーケティング、ナラティブ戦略。『戦略PR』『ナラティブカンパニー』など著作10冊以上。80年代洋楽と乱読とウイスキーとキャンプが好き。http://hondaoffice.co.jp

Ambition

In the future

「大きな会社」という存在になるよりも、「質が良くて影響力のある存在」を目指しながら、日本のPRを前に向かって引っ張っていく存在になりたいと考えています。これからの時代は効率よく少ない人数で大きなことを成し遂げるかが重要です。時代に合う形で価値を提供していきたいと思います。

株式会社本田事務所11 years

代表取締役/PRストラテジストPresent

- Present

あらゆるPRのジレンマを解消し、PRの力でビジネスや日本を底上げする

イベント登壇・インタビュー出演Present

個人活動20 years

執筆活動Present

- Present

BlueCurrent Japan(ブルーカレント・ジャパン)13 years

代表取締役社長/CEO

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戦略PRのノウハウを日本企業に提供し、PRの遅れを取り戻す

イベント登壇・インタビュー出演

FleishmanHillard20 years

上級副社長兼シニアパートナー

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世論をつくり、商品へ結びつける欧米風のダイナミックなPRを実現する

  • P&Gを担当する

    世界最大の消費財メーカーであり、世界最大の広告主であるP&Gと出会えたことは、私のPR人生においても大きな出来事でした。 最も刺激を受けた起業であり、その後ブルーカレントを立ち上げた際にも最初のクライアントになっていただきました。

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  • フライシュマン・ヒラード・ジャパンに入社

    フライシュマン・ヒラードが日本法人を立ち上げたばかりの頃に、セガ時代の上司であった日本法人の代表取締役社長・田中愼一さんに誘われました。 もともとストーリーテリングが重要だという思いを持っていたことや、欧米におけるPRの重要性を知ったことで、自分のやりたいことはこれなのかもしれない、と思い入社。 しかし、セガの頃はPRとは関係のない仕事をしていたので、最初の頃はPRが何かもわからず、日本企業と外資系企業とのギャップも感じていました。

株式会社セガ5 years

海外事業部

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時代の最先端の企業に入り、ゲーム業界に貢献する

  • 海外事業部に異動する

    入社から2年経ち、ようやくもともと志望していた海外事業部に転属することに。 そこでは当時大流行していたプリント倶楽部を中近東に広めるミッションを担当し、イスラム教の聖地メッカに売り込んだりしていました。 しかし、誰か別の人がつくったものを売り歩くことに疑問を感じながら働いていました。

  • ゲームセンターでスタッフとして働く

    当時のゲーム業界はとても盛り上がっていて、入社するときはそんな最先端の企業で働けるのだと誇りでいっぱいでした。 しかし、配属されたのはゲームセンター。そこでスタッフとして働くことになりましたが、「一生このまま店員なのかな」という不安と葛藤を抱えていました。本社に戻ることを目標にして、がむしゃらに働いていた時期です。

    -

高崎経済大学4 years

経済学部

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  • エンターテイメントの仕事を志す

    アメリカやイギリスの映画や音楽にどっぷり浸かっていたので、日本に戻ってからもエンターテイメントの道に進みたいと思っていました。 しかし、映画の道はなかなか厳しいもの。日本でグローバルな環境でエンターテイメントに関わる企業を探していたときにゲーム業界がいいのではないかと思い、就活はゲーム業界に絞って活動していました。

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  • アメリカに留学する

    大学時代はアメリカに1年間留学していました。 はじめはまったく英語を話せなかったので、現地の大学ではESSに入り、英語の勉強をかなりしました。ある程度慣れてきてカレッジに編入してからは、コミュニケーションやエンターテイメントの勉強を始めました。

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