初めてのプログラム
初めてプログラムに触れたのは小学2年の頃。兄の友人の家で、NECのPC-6001を使っていた。雑誌に載っていたプログラムを入力し、●や■でできたシンプルなゲームで遊んでいた。小学校の裏だったので、何度も通った。そのうち我が家にもパソコンが来た。父が買ってくれたシャープのMZ-721というマシン。嬉しくて、学校から早く帰るたびにパソコンに向かった。MZは起動してもBASICが入っておらず、まずカセットテープから読み込む必要がある。兄にやり方を教わり、雑誌の簡単そうなプログラムを打ち込みながら覚えていった。小学3年だったので漢字も英語も読めなかったが、とにかく試して学んだ。最初に自分で考えて打ち込んだのは、ウサギがぴょこぴょこ動くアニメーション。兄はもっと複雑なプログラムを組み、あの友人宅のゲームを再現していた。兄からスパルタ気味に教わりながら、これは将来きっと役に立つと言われた。でも兄は外で遊んでばかりいて、パソコンを触っていたのはほとんど自分だったように思う。
数年後、MSXという機種を買ってもらった。こちらは電源を入れるとすぐにBASICが立ち上がるタイプ。雑誌のプログラムを数時間かけて打ち込んで遊んだが、保存の方法がわからず、泣きながら電源を落とした記憶がある。調べて覚えて、セーブもグラフィック処理もできるようになり、小学6年にはより速く動かすためにマシン語も使っていた。ソフトバンクの専門書で「人工知能」という概念に初めて触れたのもこの頃。
その後もパソコン遍歴は続き、バイトを始めた頃に念願のMacintosh LCを購入。当時40万円。父に相談したが「オタクっぽいからやめておけ」と言われ、悔しかった記憶が残っている。それでも自分で買った。高校卒業後はやりたいことが見つからず、兄が働いていたIBMの工場に就職。夜勤のある仕事だったが、偶然にも研究セクションに配属され、最新チップの素材を量産し検査する仕事に関わった。検査結果をPCに入力してプリントアウトする一連の作業が面倒で、休憩時間にこっそりツールを作った。ファイル一覧を表示してチェックしたものを自動でプリントする機能。完成後に「こういうの作ったんですが…」と社員に見せたところ、驚かれた。「福島くん、プログラマにならないの?」と声をかけられた。そんな職業が自分にも可能だなんて、思いもしなかった。
IBMを辞めたあと、また兄の紹介で地元近くのゲーム会社に入社。そんな会社が近くにあったことも知らなかった。プログラムも音楽もできるからと面接を受け、あっさり採用された。まるで昔、兄に言われた「将来きっと役に立つ」という言葉のとおりになった。新人研修室では通常2ヶ月の審査期間があり、半年や2年そこにいる人もいたが、自分は2週間で合格した。部長からは「君は10年に一人の逸材」と言われた。いくつかのゲームでサブ、あるいはメインプログラマーを務めた。その後、退社して独立し、自分のゲーム会社を立ち上げた。10年後にその会社を売却し、新たな会社を起こしてそこも3年で売却。現在はプロデューサー・ディレクターとして様々なプロジェクトに関わっているが、もし許されるなら、またプログラマとして手を動かしたいと今も思っている。