「うちの社員には、たぶん無理だと思うんです」
AI導入のご相談で現場に伺うと、途中でこの一言が出てくることがあります。ツールの話でも予算の話でもなく、人の話。だいたい最後のほうで、少し声を落として言われます。
その感覚はよく分かります。ただ、この言葉を聞くたびに、僕はある人の顔を思い出します。パソコンを一台も持ったことがなかった、20代の彼のことです。
娘が「この人がいい」と言った
出会いは仕事の場ではありませんでした。家族でよく行くスーパーのレジに、彼が立っていた。
当時まだ幼稚園に通っていた娘が、なぜか彼を気に入って、行くたびに「この人のところで会計して」と言うんです。理由は「かっこいいから」だったと思います。笑
それが続いて、いつのまにか娘の中では、買い物ではなく会いに行く時間になっていました。
会う回数を重ね、彼とSNSを交換しました。そこから一度食事に行く流れとなり、そこで打ち明けてくれたのが、今の仕事を辞めて海外に行きたい、その先で夢を見つけたい、という話でした。
僕たち夫婦が返したのは、あまり格好のいい答えではありません。「目的が決まっていない旅にそのお金を使うより、AIに触れて自分のスキルアップをしてみて可能性を広げる方がいいのでは?」。ちょうど自分がAIの事業を始めた頃で、この人と一緒に何か仕事ができたらいいな、と思った記憶が残っています。
「パソコン、持ってないんですけど大丈夫ですか?でもチャレンジしてみたいです」
彼の返事は、こうでした。
そこから、それだけの意欲があるならと思い、定期的にレッスンを始めました。最初に伝えたのは、ツールの使い方ではなく、AIとは何なのか、何ができて何ができないのか、そして僕が仕事で大事にしていることは何か——いちばん上の話からです。
ここを飛ばして使い方から入ると、たいてい続きません。うまくいかなかったときに「やっぱり自分には向いていない」で止まってしまうからです。
答えを渡さない、と決めた
レッスンで決めていたことが一つあります。答えを渡さないこ。
「こう打てば動きます」と正解を渡すと、その使い方しかしなくなる。呪文を一つ覚えただけで終わってしまいます。だから僕は、ほとんど問いしか投げませんでした。「これを試したら、どうなると思う?」「なぜそうなったんだと思う?」
彼はわけも分からないまま、辛抱強く、小さな入力と出力を繰り返していました。AIを家庭教師のように使いながら、自分の知識のほうを少しずつ広げていった、という感じです。
最初の一週間は、課題を出しませんでした。とにかく触るだけ。次に、彼が普段やっている作業を一つだけ置き換えてもらう。そして三週目に、覚えたことを人に説明する番へ回ってもらいました。
教える側に立たされた週の彼は、かなりパニックになっていたと思います。笑 ただ、あの一週間で何かが固まった感覚がありました。人に説明しようとすると、自分がどこを分かっていないのかが、否応なく見えてくるからだと思います。
もう一つ、意識してやっていたことがあります。できたことを、こちらから言葉にして返すこと。
「今の作業、前は何分かかっていた?」「今は何分?」と聞いて、差を口に出してもらう。本人の中では「なんとなくできた」で流れていくものを、数字の形にして本人へ返しておく。この一手間があるかないかで、続くかどうかが変わる気がしています。褒めるためではなく、自分が進んだことを本人に見えるようにするため、という感覚に近いです。
誰も読んでいない記録を、それでも書き続けた
もう一つ、彼に頼んだことがあります。やってみたことを文章にして、公開の場に置いておくこと。
「こんなことができた」「こんな使い方をしてみた」。うまくいかなかった回も、そのまま。狙いは二つで、同じ立場の人に届くことと、彼自身の半年が記録として残ることでした。
最初は誰も読んでいませんでした。それでも書き続けた。入力と出力を繰り返すのと同じように、発信を繰り返していました。
半年ほど経った頃、医療分野のベンチャーの採用担当の方から、彼に直接連絡が来ます。
「あなたの書いたものを読みました。うちで、そのスキルを活かして働きませんか」
始めた時点ではコネも学歴もスキルもなかった彼が、そのまま正社員として採用されて、入社して早々にPMを任されました。**彼を見つけたのは、AIを覚えたという事実ではなく、覚えていく過程を外に出し続けていたことのほう**だったと思っています。
いちばんうれしかった仕事
僕の仕事は、会社にAIを入れることです。
データ分析の基盤をつくったり、画像認識の検証を設計したり、稟議に載る資料を一緒に組み立てたり。
それでも、いちばん記憶に残っているのは、システムが動いた日ではなく、この半年のほうです。
冒頭の「うちの社員には無理だと思う」に戻ります。あの言葉は、能力の話に見えて、たぶん順番の話なのではないかと感じています。未知のものを前にしている人に、いきなり研修をぶつけても入らない。触るだけの時間があって、自分の仕事が一つ楽になる体験があって、人に説明する番が回ってくる。その順番だと、人は勝手に動き出します。
だから現場に入るとき、僕はツールより先に「最初の一人」を探すことにしています。全員を変える必要はなくて、社内に一人、面白がってくれる人がいれば、そこから流れができる。
出向先で、こんなことがありました。ある日、担当の方が「これ、試してみたんですけど」とパソコンの画面を見せてくれた。以前に渡したヒントを、自分なりに自分の業務へ組み込んでいたんです。完璧ではありませんでした。それでも、使いこなそうとしている過程がそこにありました。
僕はすぐに「その作業、前は何分かかっていましたか」と聞きました。「今は何分ですか」と続けて聞きました。差を口にした瞬間、その方の表情が変わったのを覚えています。あの日から、その部署の中でAIの話が自然に出るようになりました。研修を一回増やすより、この一人の変化のほうが、たぶん何倍も効いています。
AIのご相談だと思って伺った先で、いちばんうれしかった成果が人のことだった。我ながら少し不思議ですが、そういうものなのかもしれません。
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※ ご相談は、正社員としての転職ではなく、業務委託・技術顧問という形を前提にお受けしています。