これは私が対人恐怖症を克服するまでのお話です。
2019年、6月。
それまでの私は、超絶人見知りコミュ障ネガティブ陰キャの四重苦でした。
仕事が続かない中、無職生活を回避するために入った短期派遣の職場で
太陽みたいな人に出会いました。
その人は2つ歳上の先輩で、自称「ノリと勢いで生きている」人でした。
その人は私が会話を続けられなくても、会話がヘタでも、
お構いなしにいつも変わらず話しかけてくれました。
せめて一言でいいから話を返せるようにしないと、会話を続けないと、、
申し訳ないと分かっているのに、それすらできなくて...
人としてのステージが全く違った。
この人のようになりたいと思いました。
長くもない日々の終わりに、最後にもらった言葉、
「頑張ってください、私も頑張ります」
ありふれて何気ない、おそらく彼女は覚えてすらいないであろう言葉。
けれど、私も頑張ると言われたのに僕が頑張らないわけにはいかない。
もらった「頑張れ」に応えることが自分との約束になりました。
成長していない姿は見せられないから、
もしまた会えた時、変わったねって言ってもらえるように、
あなたに出会えて私は変われたと胸を張れるように、
「ありがとう」と一言お礼を言えるように。
きっと恋だったのでしょう、当然連絡先を聞くこともできなかったけれど、
強く立派な人間になることが恩返しだと信じて、
あふれそうな涙をこらえて、自分を変える"誓い"を立てました。
ここからが私の人生を変える闘いのはじまり。
とはいえ超が付くほどの対人恐怖症だった私。
「おはようございます」もまともに言えない、
分からないことがあった時に自分から質問に行けない、
会話中に息継ぎの仕方が分からなくなる、
社会人として終わっている、
いや始まってもいない...
道のりはあまりにも遠い。
どうにかしようとしても、
頭が真っ白になって、一歩踏み出せなくて、怖くて何もできない。
全然変われない自分が嫌で嫌で嫌すぎて、
ヒッチハイクを決行しました。
やり方がショック療法です。
当時はヒッチハイクができたら日常のアレコレなんて何ともなくなると本気で思っていました。
結果、2日間で計4台・8人にお世話になり、東京→名古屋までたどり着きました。
けれども20数年育てた人見知りコミュ障は
たった1度のヒッチハイクで急に変わることはなく、
New自分になれた気がした幻想は、日常という海に溶けて消え失せました。
しかし無駄だったわけではありません。
大きな成功体験として、その後の挑戦への礎になっていました。
美容サロンに通うたび自分から会話を振る練習や、
その日一緒になった人に話しかけて仲良くなる、というミッションのために単発バイトに通い、
いたる所で社交的な振る舞いを試行錯誤マネてみたり、
通勤中など暇があれば自己啓発のインプット、
日記では毎日毎日ダメ出しの繰り返し、
とにかくずっと自分を変えるためだけに生きていました。
数段飛ばしで何かができるようになるとか、急に変わる魔法はありませんでした。
でも確かに少しずつできることが増えていき、成功体験が増えていき、
およそ2年がたった頃、ふと、自分変われたな、と思える日がありました。
2年とは思えない2年以上の2年。
暗闇をもがき続けるような毎日に少しだけ陽が差した気分でした。
あの日の"誓い"という名の呪縛がほどけていくようでした。
あの出会いと、この2年間のおかげで
生き方も価値観も変わっていました。
ここまでが人生を変えた自己改革のお話。
その後も変わらず、成長していたい自分で歩き続けています。
人として何がカッコいいかで行動を選べるようになったから。
立派な人間でいられるように、
これからも誇らしく生きていこう。