なぜ生き急ぐくらいがちょうどいいと思っているか
①「人生には制約条件がある」という気づき
私は昔から「制約条件」を意識して生きてきた。
生まれた家庭、育った環境は千差万別。
教育投資も、価値観も、人それぞれ条件は違う。
でも、社会に出れば、多くの場合は同じ土俵で競争することになる。
制約条件がある中で、どのように自分に折り合いをつけ、社会と接続するか。
それを考えて行動しなければ生きてこれなかった。
だから私は、
自分には何が足りないのか、どんな環境なら自分の真価を発揮できるか、限られた時間をどう使えば自分は後悔しないのか、を考え続けてきた。
私が未来で過ごせる理想の時間もまた、有限である。
制約条件下でどう最適化するかが重要だと思っている。
②地質調査と人生
地質調査では、見えない地面の中を、限られた点の情報をつないで、最も可能性が高いモデルを作成する作業の繰り返し。
事実と解釈を分けつつも、仮説⇒検証⇒仮説の修正⇒検証の繰り返しで、進めていく。
これは人生と一緒である。
人間関係も、対話や経験を通じてふれあいの中で仮説を修正しながら相手を理解していくことが求められる。
100%理解することはできない。
しかし、対話や経験を通じて、「他人の価値観はこうではないか」という仮説を更新し続けることはできる。
私は仕事でも人間関係でも、表に見えるものだけで判断しないことを大切にしている。
あらゆる構造には裏があり、時間をかけて形成された背景がある。
その一部だけが、表に出ているという感覚を持っている。
その感覚は、地質調査でも、人を理解する時も変わらない。
③生き急ぐは焦りではない
私は地方での就職を選んだ。
その中で感じたのは、受動的でいては、自分が理想とする成長速度は実現できないということだった。
よって、自分の中に仮想のライバルを作りあげ、そのライバルに負けないように能動的に成長していくことを自分に課した。
待つ時間があるなら、何かをする。
自分が納得できるように、前例等で自分を納得(自己正当化)させないように、良いと思ったものは積極的に受け入れる。
受け入れがたいものは、たとえ多数派だとしても鵜呑みにしない。
現実も自分も絶対視せず、仮説と検証を繰り返しながら成長速度を自分で決めてきた。
その感覚で、“生き急ぐくらいがちょうどいい”、そう思うようになった。
④結び
人生には制約条件がある。
制約条件があるからこそ、最適解は一人ひとり違う。
私はこれからも、限られた時間を惜しまず使い、常にアップデートし続ける自分でありたい。
生き急ぐくらいが、ちょうどいい。