コロナ禍の転職苦戦から救ってくれた、スタートアップでの6年間の軌跡
30代を迎えたとき、私は一度「正社員」という働き方に区切りをつけました。
「自分の力で、何か新しいことに挑戦してみたい」
そんな想いから、スリランカに特化した間借りのカレー屋さんをオープンしたり、イベント出店をしたり。
自分の大好きな世界を形にする一歩を踏み出したのです。
とはいえ、それだけで生計を立てるのは簡単ではありません。
生活を支えるため、平日は派遣社員として働くという二足のわらじ生活を選びました。
それまで小さな企業での経験しかなかった私にとって、誰もが知る大企業や有名ブランドでの就業は、毎日が刺激の連続でした。
たくさんの学びを得ただけでなく、そこで出会った同僚たちとは、今でも連絡を取り合う大切な友人になっています。
けれど、楽しい日々の裏で、少しずつ焦りが募っていきました。
自分が本当にやりたかったスリランカの事業は、どこまでいっても趣味の延長の域を出ず、将来への不安が頭をよぎるようになったのです。
「もう一度、正社員として腰を据えて働こう」
そう決意して始めた転職活動でしたが、現実は想像以上に過酷なものでした。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 「転職回数の多さ=経験値」という勘違いと、コロナ禍の洗礼 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
時代はまさに、コロナ禍の真っ只中。
世の中の状況もさることながら、私の前に大きく立ちはだかったのは、派遣も含めた「転職回数の多さ」でした。
私自身は、
「たくさんの現場を経験してきた分、引き出しや経験値が多い」
とプラスに捉えていたのです。
でも、日本の採用市場ではそれは大きな間違いでした。
「これまでのバラバラな経歴を、どう説明したらいいんだろう」
「私の一番の強みって、一体何なんだろう」
自分の経験をうまく言語化できない実力不足に直面し、お祈りメールが届くたびに、心が折れていく音がしました。
何社からも不採用をもらい、完全に自信を失っていたとき。
このままではいよいよ生活が苦しくなる、という背水の陣で、アルバイト募集をしていた株式会社AoyamaLabを見つけました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 半ば不貞腐れた面接から、まさかの正社員へ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
当時の私は、すっかり自暴自棄になっていました。
「どうせまたダメなんだろうな……」
そんな気持ちが態度に出ていたのでしょう。
今思い返すと、半ば不貞腐れたような、お世辞にも良いとは言えない態度で面接に臨んでしまいました(笑)。
ところが、結果はまさかの「正社員としての採用」。
ここから、私の人生を大きく変える、濃密で充実した6年間がスタートすることになります。
入社して驚いたのは、スタートアップならではの「カオスさ」でした。
データの格納場所も決まっておらず、共通の名称ルールもない。フォーマットの「ほ」の字もないような状態からのスタートだったのです。
でも、このカオスな環境こそが、私の眠っていた才能を呼び覚ましてくれました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 「当たり前」の中に隠れていた、私だけの最強の武器 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
何もない空間で、私は夢中になって手を動かしました。
全体をぐるっと見渡して整理し、「誰が」「何を」「どうしたら」一番スムーズに現場が回るのか。
誰もが迷わないためのオペレーション(仕組み)を次々と作っていったのです。
それまで私は、これを特別なスキルだと思ったことはありませんでした。生きていく中で、あまりにも当たり前にやってきたことだったからです。
けれど、社内の誰よりもそのスピードと精度が長けていると気づかされたとき、目からウロコが落ちるような感覚でした。
私のバラバラだった経験の点と線が、カオスを整理する「仕組み化の力」として、一つの強い武器に繋がった瞬間でした。
「自分で判断して、自分で動いていいよ」というベンチャーの自由な社風も、私の肌に驚くほど合っていました。
コロナ禍のあの暗い部屋で、一人で頭を抱えていた転職活動。
あのときには分からなかった「自分の本当の強み」を、AoyamaLabでの6年間が、私にしっかりと教えてくれました。
伊達にいろいろな現場を経験してきてはいません。
何もないカオスを宝の山に変える筋肉を引っ提げて、私はこれからも、目の前にあるすべての課題を楽しんで解決していきたいと思っています。