正解を選んだつもりだった③
【第3部|逃避願望から芽生えた、思い切った選択の行末】
看護師を辞める。
そう決めたのは、実際に退職する1年前でした。
でも当時の私は、
「看護師そのものを辞めたい」と思っていたわけではなかった。
ただ、今の働き方を続けることが苦しかった。
夜勤がない職場。
もう少し給料が高い場所。
人間関係が穏やかそうな環境。
もっと“働きやすいところ”に移れれば、続けられるんじゃないか。
そう思って、毎日のように転職サイトを見ていました。
でも、見れば見るほど、なんか違うなって感覚が強くなっていきました。
給料が高い職場に行っても、人間関係が良いかは分からない。
逆に、周りの人たちが良い人たちばかりでも、毎日の生活に追われて経済的にも時間的にも余裕がなければ、今と大きく変わらない気がした。夜勤が減ったとしても、責任がなくなるわけじゃない。
結局、どこへ行っても、自分のモヤモヤは消えない気がしていたんです。
私は“現状を変えたくて”転職を考えていました。
でも転職サイトを見れば見るほど、
「転職しても、根本的な解決にはならないかもしれない」
そんな感覚が強くなっていきました。
じゃあ、どうしたらいいんだろう。
その時の私は、正直、答えが分かりませんでした。
ただ、転職サイトを見漁っていたある日、メルマガでたまたま流れてきたチラシが目に入りました。
それは、看護師経験がある人向けのワーキングホリデープログラムでした。
その瞬間、
「え、なんかこれだったら…」
って思ったんです。
もちろん、明確な夢があったわけではありません。
海外で何かを成し遂げたいとか、英語を極めたいとか、そういう強い目的があったわけでもない。
でも、転職サイトを見続けても未来にワクワクできなかった私にとって、そのチラシだけは少し違って見えた。
今まで積み上げてきた看護師経験も活かせるし、もし合わなくても、帰国後また働ける。
なんか、いい発見がありそうだし、完全にレールを外れるわけではない。
そう思えた時、「とりあえず行ってみようかな」
と初めて少しだけ前向きになれたんです。
今振り返ると、当時の私はかなり“保険”をかけての選択をしていました。
今の環境から抜け出したかった。
もっと広い世界を見てみたかった。
でも同時に、安定を完全に手放す勇気はまだなかった。
だから私は、
“看護師を捨てて海外へ行く”のではなく、
“看護師という土台を持ったまま、一度外の世界を見に行く”
そんな感覚で、オーストラリアへ行くことを決めたんです。
そして私は、退職する1年前の段階で、師長にも辞めることを伝えました。
「来年、辞めます」
かなり早いタイミングでした。
でも当時の私は、そうでもしないと辞められない気がしていた。
もし、
「もう少し続けてみたら?」
「せっかくここまで頑張ったのに」
そう言われたら、きっと私は揺らいでしまう。
また“正しい選択”を優先して、辞める決断を先延ばしにしてしまう気がしていたんです。
だから私は、自分が迷っても戻れないよう、先に“辞めざるを得ない状況”を固めました。
今思えば、かなり策略的だったなって思います。
でも正直、渡豪が近づくにつれて気持ちが揺らいだのも事実でした。
病院の人たちが、送別会やお別れ会を開いてくれた。
「頑張ってね」
「向こうでも元気でね」
そうやって送り出してくれる人たちもいて、“今いる場所”の温かさを感じたんです。
ずっと、「早く辞めたい」と思っていたはずなのに、いざ本当に離れるとなると、少しだけ惜しくなる自分もいました。
毎日うんざりしていたはずなのに、こうして送り出されると、
「惜しいことをしてしまったかな」と。
だから、「本当に行きたいんだろうか」と何度も頭をよぎったのもまた事実。(笑)
不安もありました。
行ったこともない土地。言葉も文化も違う。知り合いもいない。
でも、それでも私はやっぱり現状を変えたい、今の環境から逃げたい。
その気持ちが強くて、パスポートを片手に飛び立ちました。✈︎
“このまま同じ場所に居続ける方が怖かった”
実際にオーストラリアへ行ってみると、率直に、めちゃくちゃ楽しかった。
オーストラリア人のホストファミリー。
語学学校で出会った韓国人の友達。
MEETUPで出会ったいろんな国の人たち。
今までの人生では関わることのなかった人たちと、英語でコミュニケーションを取る。
それだけでも新鮮でした。
景色も
『ファインディング・◯モ』でしか見たことがなかったオペラハウスを間近で見たり、ノンフェンスの崖で広大な自然を目の前にしたり。
海の青さも、空の広さも、街の空気も、全部が心地よかった。
「来てよかった」 そう思いました。
何より、私が好きだったのは“空気感”でした。
オーストラリアでは、険しい顔をしながら働いている人がほとんどいなかった。
店員さんが好きな音楽を流しながら、リズムに乗って接客していたり。
バスが遅れても、誰もイライラしていない。
クリスマスには、運転手の好みでバスの中が装飾されている。
カメラを向けたら、知らない人でも普通にピースしてくれる。
最初は驚いたけど、その空気感が、すごく心地よかった。。
「こうしなきゃいけない」
「周りに合わせなきゃいけない」
そういう空気が、日本よりずっと薄かった。
みんな、いい意味で“他人を気にしすぎていない”。
だからこそ、自然体で自由に見えました。
私はそこで初めて、「これもありなんだ」と心が軽くなりました。
日本にいる時、私はずっと、
「これ言ったらどう思われるかな」
「空気悪くならないかな」
「周りに合わせた方がいいかな」
そんなふうに、無意識に周りの目を気にしていました。
でもオーストラリアで出会った人たちは、もっと自然に自分の気持ちを表現していた。
嫌なものは嫌。
楽しいものは楽しい。
自分はこう思う。
日本ほど、“周りの空気”に縛られていない感じがしました。
浜辺で手を繋ぎながら歩いているおじいちゃんとおばあちゃんを見た時も、
「素敵だな」と愛おしくなりました。
年齢とか、周りの目とかを気にせず、自然に愛情表現をしている感じ。
“自分たちらしく生きている”空気感が、私はすごく好きだったんです。
だからといって「日本よりオーストラリアの方が全部いい」と思ったわけではありません。
正直、住みやすさだけで言えば、日本に勝る国はない。
ご飯は美味しいし、街も綺麗。コンビニも24時間開いているし、電車も時間通りに来る。街中のトイレですら普通にピカピカ。
海外へ行って初めて、日本の凄さも実感しました。
「日本は住みやすい。」
「けど、なんか、生きづらい。」
便利で、安全で、整っている。
でもその分、ちゃんとしていることを求められる。
空気を読むこと。周りに合わせること。
迷惑をかけないこと。大きく道を外れないこと。
私は知らないうちに、そういう“ちゃんとしなきゃいけない空気”に支配されていました。
オーストラリアにも現実はありました。
私が経験したアシスタントナースの仕事は時給35ドル。夜勤になると42ドル。
土日はさらに上がり、祝日は70ドル近くになることもありました。
最初はかなり驚きました。うわあ、高時給!
でも結局、働いた時間に対して報酬をもらう働き方であること自体は、日本で私が経験したことと変わらなかった。
働く時間を増やせば収入は増える。でも、自分の時間を費やさなければ収入も増えない。
オーストラリアは物価もかなり高かった。
卵1パックですら、日本円に換算すると500円近くしました。
確かに日本より収入は高い。でもその分、生活費もかなりかかる。
だから、ワーホリ1年だけで人生が劇的に変わるわけではありませんでした。
そして私は、
「このままオーストラリアに住み続けたいか?」
と考えた時、そこまで強くは思えませんでした。
やっぱり、現実的なことを考えると日本に戻る選択が無難だった。
でも、一度海外の価値観に触れてしまったおかげで、前みたいな生活、元に戻るハードルも高くなっていました。
人の目を気にしすぎないこと。
「ちゃんとしていなくてもいい」空気。
自由に生きている人たち。
そういう世界を知ってしまったから。
だから、日本に住みながら、いろんな国の価値観に触れられる生活が理想でした。
でも私は、それを“現実的に叶えられるもの”だとは思っていなかった。
「そうなったらいいな」と思っていただけ。
だから結局、また看護師に戻って、淡々と毎日を生きていくしかないんだろうな。
そう思っていました。
帰国後、私はまた転職サイトを片っ端から見始めました。
少しでも“マシな職場”を探すために。
でも、どこかずっと本腰を入れられなかった。
いざ面接を受けようとしても、頭の片隅でモヤモヤが消えなかったんです。
「私は、この場所で一生働き続けたいんだろうか」って。
もっと違う世界がある気がしていた。
もっと自由な生き方とか、もっと自分に合う人生とか、どこか別の可能性がある気がしていた。
特別なスキルもない、
やりたいことも分からない、
何かに挑戦できる自信もない、のに。
だから結局、進みたいのに進めないまま、ずっと思考はぐるぐるしていたんです。
「もっと、自分の人生を良くできる場所はないのかな」と。
時間にも縛られず、
お金にも困らず、
もっと自分らしく、自由に生きていける方法。
そんなものが、どこかにあるんじゃないか。あってほしい。
そんなふうに将来へのモヤモヤを抱えながら、
毎日あらゆる転職サイトをハシゴして、スマホの画面をスクロールし続けていた矢先、
私は今の会社と出会いました。