顧客の「行動」ではなく、その手前にある「認識(パーセプション)」を動かす。 前回の激しい消耗戦 を経て、私はこの強力な視点を知っていました。人は認識が変わるからこそ、行動を起こす。その重要性を学び、頭の中の解釈を書き換えるアプローチの可能性を確かに感じていました。
しかしその「認識を動かす」という営みを、より精緻に、より完璧にコントロールしようと意気込んだことこそが、私をさらに深い迷路へと引きずり込むことになります。 それが、心血を注いで作成した極めて緻密な「カスタマージャーニー・マップ」でした。 認知から検討、購入、リピートに至るプロセスをミリ単位で細分化し、それぞれの接点に最適な施策を打ち、KPIを管理する。パーセプションという知識を、既存の行動プロセスの枠組みのなかで「完璧に機能させよう」としたのです。
目次 1. パーセプションの知識、それが新たな罠の始まりだった
2. 終わりのない細分化の迷路と、「属性の順位転換」のストーリー
3. 冷ややかな「組織の壁」 ── 資源の議論に翻訳せよ
4. 副作用 ── 「丁寧な命令」を捨て、仕掛けを企てる共同作業
5. 思考アルゴリズムをコード化せよ
ⅰ. 追っているのは消費者の『行動』か、それとも『認識』か?
ⅱ. その施策は、他部署の『有限な資源』を最適化しているか?
ⅲ. メッセージは『丁寧な命令』になっていないか?
1. パーセプションの知識、それが新たな罠の始まりだった 画面の向こうでは、Webサイトの転換率向上やフォームの離脱率改善といった、部分最適化された数値が着実に改善していました。しかし、どれだけタッチポイントの数値を削り出しても、最終的な売上や利益(KGI)は、まるで天井に張り付いたかのように1ミリも動きませんでした。
「この接点で、お客様はなぜ動いてくれないのだろう?」
マップを見つめながら、私は明確な答えを出せずにいました。行動を細分化して綺麗に並べることに囚われるあまり「なぜ消費者がその行動をとるのか」という本質的な因果関係を、ブラックボックスの中に置き去りにしていたのです。 過去の軌跡を記述するだけのジャーニー・マップでは、未来の行動を能動的に作り出すことはできない。せっかく手に入れた「パーセプション」という視点がありながら、それを施策の断片化(部分最適)という罠から救い出せずにいる自分に、深い目詰まりを感じていました。
そんな模索の果てに出会ったのが、音部大輔氏の著書『The Art of Marketing マーケティングの技法』でした。そこに書かれていたのは、私が抱えていた「パーセプション」という概念を、施策の断片ではなく、組織の「全体最適の設計図」へと昇華させるための極めて明確な戦略的視点でした。コントロールすべきは個々の「行動」ではなく、そこに至る一連の「認識の変化」を一本の強固な因果関係として設計すること。この構造的な転換こそが、当時の私に最も欠けていたピースでした。
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2. 終わりのない細分化の迷路と、「属性の順位転換」のストーリー しかしこの素晴らしい全体最適の理論を実務に導入しようとした途端、私は別の思考の迷路に迷い込むことになりました。
「認識の変化を追う」と考えた瞬間、無意識のうちに顧客を過度に細分化しようとしてしまったのです。 「客層や目的が違えば、求める心理もまったく違うのではないか」と考え、カテゴリごとに異なるパーセプションフローを何枚も作成しようとしました。条件分岐や例外処理を増やしていくうちに、Excelのシートは再び肥大化。チームのリソースは瞬く間に死守すべき限界を超えていきました。
顧客を細かく分類して安心しようとしていたのは、自分自身の「仮説の揺らぎ」をカバーするための一種の保身だったのではないかと振り返っています。そんなとき改めて本書のページをめくり、核心となる概念に立ち戻りました。それが、ターゲットの現状から理想への移行、および「属性の順位転換」という考え方です。
本書では、パーセプションフローを設計する際、まず動かすべきターゲットの心理的なスタート地点である「P0(現状:自社を選んでいない状態)」と、ゴール地点である「Pn(理想:ブランドの推奨者になっている状態)」をしっかりと枠外に固定することの重要性が説かれています。 そしてその間を繋ぐプロセスの中で、消費者がモノを選ぶ「理由の順位」を自社に有利な形へとひっくり返す 「属性の順位転換(Attribute Re-prioritization)」 に集中すべきだと示されています。
書籍の中で挙げられている有名な事例として、衣料用洗剤(アリエール)のマーケティング戦略があります。当時の消費者の頭の中にあった「汚れ落ちの良さ」という最優先属性の下に、それまで意識されていなかった「除菌ができること」という新たな属性を提示し、その順位をトップへと引き上げることで全く新しい市場を創造しました。この「理由の順位をひっくり返す」という基本構造は、あらゆるビジネスに応用が可能です。
今まで私が携わっていた異なる2つの事業において、この構造をどのように適応できるかを深く内省しました。
● ホテル宿泊事業において: 単に「価格が安い」「駅に近い」という既存の属性の比較競争(消耗戦)から、「移動の疲れを完全にリセットし、明日から最高のパフォーマンスを出せる滞在体験」という属性へ重要順位を転換させる。 ● リユース事業において: 「1円でも高く買い取る」という他社との価格比較から、「手続きが最もストレスフリーで、即座に入金される絶対的な信頼性」を最優先属性へと順位転換させる。 消費者が選択する「理由の順位」を自社に有利に再定義できれば、客層ごとに無数の地図をバラバラに作る必要はありません。キリがない細分化の罠から脱した瞬間、チームが向かうべき方向は非常にクリアなものとなりました。
3. 冷ややかな「組織の壁」 ── 資源の議論に翻訳せよ 自分なりに顧客の「認識の変化」を追い、これまでにない綺麗な一本の因果関係(全体最適の設計図)を描き上げた。そんな独りよがりの手応えを胸に、一歩部署の外へ出た瞬間、私は冷たい組織の壁に直面することになります。
他部署のマネージャーや経営陣は、私が提示した「消費者の心理プロセス」のシートに対して、すぐには強い関心を示してくれませんでした。「なるほどね。で、今月の稼働率はどうなるの?」「買取件数は今週何件増えるの?」という、目の前の数字に関する言葉が返ってくるばかり。当然です。彼らにとっては、自分が全うすべき目の前のミッションや責任が最優先だからです。
どれほど私が「顧客視点」や「認識の変化」を叫ぼうとも、他部署にとっては自分たちの業務を複雑にする「綺麗事の押し売り」に映っていた。相手が理解してくれないと嘆く前に、彼らにとっての明確なメリットを語れていない自分自身の独善が、この目詰まりを引き起こしているのだと痛感しました。
ここで立ち戻るべきは、本書に示されている 「戦略とは目的達成のための資源利用の指針である」 という冷徹な定義です。 企業が持つ予算、時間、人員、ブランドの信用といった資源は、常に有限です。他部署や経営陣を巻き込むためのロジックは、心理プロセスの解説ではなく、この「有限な資源の最適化」という経営の言葉で語られるべきでした。
私は、パーセプションフローの提示方法を「資源の言葉」へと再構築しました。
● 経営陣に対して: 「このモデルによって、消費者の認識がどこで停滞しているか(ボトルネック)が可視化されます。無駄な広告投資という『資源の空振り』を抑え、ROIを最大化するための資源配分地図です」という経営効率の言葉で説明しました。 ● 現場のオペレーション部門に対して: 「お客様の認識(パーセプション)をあらかじめ手前で適切に形成しておくことで、当日の現場でのトラブルや、理不尽なクレーム・値切り交渉が減少します。現場スタッフが対応に追われる時間と労力(リソース)を大幅に削減するためのものです」という業務最適化の言葉に翻訳しました。 全体最適の地図は、マーケターの自己満足のためにあるのではありません。組織全体の有限な資源の利用効率を劇的に高めるための共通言語として提示したとき、初めて他部署との連携が円滑に回り始めました。
4. 副作用 ── 「丁寧な命令」を捨て、仕掛けを企てる共同作業 このパーセプションフロー・モデルを現場に導入するには、相応の負荷、いわば「副作用」のようなものも存在していると感じています。なぜなら、このモデルを機能させるためには、マーケティング活動において最も手っ取り早い手段である「丁寧な命令(おねがい)」を一切封印しなければならないからです。「今すぐご予約ください」「我が社に売ってください」という、こちらの都合を押し付けるメッセージは、消費者の認識を本質的には変えません。
代わりに求められるのは、人間の認知システムを「知覚(五感で捉えた事実)」と「認識(その事実を解釈し、意味を見出した状態)」の二層構造に分解し、消費者が自発的に「そうか、そうだったのか」と納得するための 「知覚刺激(Stimulus)」 を、一歩一歩のステップに丁寧に配置していくという、深い思考を伴う共同作業です。
本書の中で紹介されている事例に、消臭スプレー(ファブリーズ)のマーケティング戦略があります。単に消臭力をアピールするのをやめ、「洗えない布製品には、目に見えないニオイが蓄積し、循環している」という事実(知覚)を提示することで、消費者に「だから毎日スプレーしなければならない」という自発的な認識(解釈)の変化を起こさせました。このように、著者が提示する「知覚と認識の設計」を、当時の私の現場でどのように具現化するかをチームで企てました。
● ホテル宿泊事業での取り組み: 当日、フロントに立つ手前で「このホテルは単なる睡眠場所ではなく、日常のストレスを完全に遮断する聖域だ」という認識を持ってほしい。そのために、予約完了メールの知覚刺激として、単なる予約番号だけでなく「あなたの滞在を最高にするための、デジタルデトックスの過ごし方ガイド」を届ける。 ● リユース事業での取り組み: 段ボールに品物を詰める手前で「この会社は、私の思い出の価値を正当に評価してくれるパートナーだ」という認識を形成したい。そのために、配送キットの中に、査定士の顔写真やこだわりを記したレターという具体的な知覚刺激を忍ばせる。 心理(Perception)と刺激(Stimulus)の因果関係を一枚のシート上で組み立てるおもしろさに気づいたメンバーたちは、指示されたタスクをこなすだけの「作業者」から、自ら問いを立てて顧客の心理を動かそうとする「自律的なプロフェッショナル」へと、その姿勢自体を変化させていきました。
5. 思考アルゴリズムをコード化せよ かつて一部の経験豊富なマーケターや、ベテラン現場スタッフの直感という「暗黙知」の中にしか存在しなかった顧客との因果関係が、一枚の「パーセプションフロー」という共通の地図によって組織の「形式知」へと仕組み化されました。
部分最適の延長線上に、全体最適は必ずしも存在するわけではありません。個々の施策が、どの心理ステップを動かすために配置されているのか。その全体最適の因果関係をコントロールできるようになった組織は、一過性の値引きやキャンペーンに依存することなく、再現性を持って市場を創造し続けることができると考えています。
理論の中では仕掛けた刺激によって本当に 「1匹目の魚が釣れたか」 、つまり狙い通りに消費者の認識が変化したかを現場で定点観測することの重要性が説かれています。もし変化していなければ、アプローチ(知覚刺激)を修正すればよいだけです。この検証プロセスを回し続けることこそが、売上の天井を突き破り、ROIを継続的に改善していくための確実なアプローチと言えます。
もし目先のデジタル上の数値だけを追って、施策の断片化に悩んでいるのであれば、明日から自身の組織に以下の「3つの問いの型」を実装してみてはいかがでしょうか。
ⅰ. 追っているのは消費者の『行動』か、それとも『認識』か? 顧客を過度に細分化する前に、彼らがそのサービスを選ぶ「理由の順位(属性)」をひっくり返す設計図があるかを自問する。
ⅱ. その施策は、他部署の『有限な資源』を最適化しているか? 自部署の主張を押し通すのをやめ、他部署や経営陣が持つ時間・予算・労力をいかに効率化するかという「戦略の言葉」に翻訳して巻き込む。
ⅲ. メッセージは『丁寧な命令』になっていないか? 「買って、売って」の要求を抑え、どのような事実(知覚刺激)を投げ込めば、顧客が自発的に「そうか!」と納得するかをチームで企てる。
このアプローチが授けてくれるのは、単なるマーケティングのフレームワークではありません。リーダーがチームを率い、組織の壁を越え、企業の有限な資源を最も美しく駆動させて市場を創造するための、再現性のある「サイエンス(技法)」なのです。
▼なぜ連載しているのか
▼第6回:パーセプション
▼第1回:ジョブ理論