朝の通勤中、ふと気づいた瞬間があった。人が大勢いるのに、誰も意識していない場所があるという事実だ。私はその小さな発見に妙にテンションが上がってしまい、その日からずっと観察を続けている。きっかけは階段の端にある手すりの、さらにその端っこだった。あそこだけ、他の部分とは違う時間が流れているように見える。誰も触らないようで触っていて、誰も見ていないようで確実に何かの役に立っている。それなのに主役にならない。むしろ主役になってはいけないという気配すらある。私はその控えめな存在感に妙な親近感を覚えた。それ以来手すりの端っこを見つけるとつい立ち止まり、そこだけの歴史を想像するようになった。もしかしたら昨日、不安そうな誰かがそっと触れて勇気を確かめた場所かもしれない。もしかしたら、急いでいる誰かが身体のバランスを崩した瞬間にふっと支えた場所かもしれない。私たちは日々たくさんの支えられ方をしているのに、そのほとんどを忘れてしまう。仕事でも、誰かの一言や、小さなアイデア、何気なく置かれたメモが自分を救っているのに気づかなかったりする。私は最近、その見落としてきたものたちをちゃんと感じ取るようになりたいと思うようになった。目立つ成果だけを追いかけるのではなく、誰かの働きをそっと支える側にも価値があると信じられることが、自分の働き方を少し変えた。チームで動く時も、メンバーの声にならない努力に耳を澄ませる癖がついた。すると不思議なもので、以前より意見がまとまりやすくなり、空気の流れも柔らかくなった気がする。手すりの端っこに教えられたことは想像以上に大きかった。控えめな場所にも意味があるということは、控えめな人にも力があるということだ。今日もまた階段の途中で端っこを見つけながら、この小さな気づきを誰かにそっと渡せたらいいと思っている。
スマホからInstagramストーリーズに投稿しよう
カメラを起動して2次元バーコードをスキャンしてください。