親すら良いところをあげられなかった27歳に少しだけできることがあった話
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『──では、あなたの良い所はなんですか?』
面接やエントリシート、ひいては転職エージェントの面談でも幾度となく、働いたことがある人間、そうでない人間すら問われてきた事だと思う。
私はそのたびに言葉に詰まってしまっていた。
良いところ、と言っていいのかはわからないが自分の中で好きな所はあるにはある。
だがそれは今まで関わってきた人達の評価とはズレているような気がする。
”わからないね”といわれる事もあれば”わかりやすいね”とも言われる。
”関わりにくい”と言われたと思えば”話しやすい”とも言われる。
寡黙で気難しいと思われながら、明るく話しやすいと思われもする。
私の好きな芸人が”芸人の仕事は客観視”だと何気なく言っていた事が自分の中で腑に落ちた。魅力的な人間に映るのはいつだって自分がどう見られているかを敏感に感じ取れる人間だと思う。
面接などだと特に自分が良く見られたい。
だからそうなるよう”自分がどういう人間に見られていて、そう見られる人間の良いところは何か”それを考えて答えるようにしていたと思う。
大げさに言っているだけで大なり小なり全ての人間が誰かに気に入られたくて”好かれる人間”を演じている事は周知の事実ではある。それを見越して採用者は選考を進めるのだろう。
だが、いつしかそうしている時間が長くなるにつれ私は私というものがわからなくなっていた。
・自分がどういう性格か?
・自分の美点は何か?
・何が好きで何が得意なのか?
そもそも仮に自分が”優しい性格”だと自認していたとして、それを本当に表明しても良いのだろうか?
性格に学歴やテストの点数のような明確な基準は存在しない。
なのでもし自分が「〇〇が好き」だと明言したとしてもそれが周囲の人間から否定されれば私はそれを好きではないことになる。
笑えることに欠点は無数に上げる事ができる。
(他責思考、怠惰、卑屈、頑固、人見知り、主観的、偏見が強い、自意識過剰etc)
それはなぜか?もちろん自他共にそう認められてきたからだ。
なればなおのこと自分の良いところなど挙げられようはずもない。
無理やり絞り出しした自分の美点を挙げて他人にさらに否定されてしまえば、ちっぽけな自分の自尊心など消し飛んでしまうからだ。
だから私の転職活動は難航した。
もちろんそれ以外に経験の少なさ、能力の低さもあるだろうが。
いざ面接となると怖くて言葉がでない。
そんな状態で転職エージェントに依頼し、むやみやたら300社近い会社に応募しその選考に落ちた事があった。
そんな時母に
「こんな良いところが何もない人間雇ってくれるところはない」
「私の良いところは何?」
と泣きながら言ったことがある。
すると母はしばらく悩んで、悩みぬいた末に真剣な面持ちで
『ゲームがうまいとか?』と言った。
私は泣きながら乾いた笑いしかでなかった。
20年以上同じ屋根の下で過ごした人間からすら、こんな薄っぺらな、だからどうだと一蹴されるような美点しか出てこないのか、と。
私はそういう人間なんだろうと思った。
そう思ってもう一度、考えることをやめた。
私はこの世に存在しないものだと思うようにした。
結果転職エージェントも止め、最終的に今の職場の面談までたどり着いた。
面談で「とにかくパソコンができる人がいい」といわれた事だけは覚えている。
私はその時パソコンの実務経験なんてほぼ無いに等しかった。
今までの職歴の中でパソコンを触る業務はないわけでは無かったが、ほぼほぼお遊びのような(社内ツールの操作がメインだった)からだ。
そのために私は事務に漠然とした恐怖感を感じていた。
ショートカットを使えなければいけないのか?マクロってなんだ?組めるのが常識なのか?関数?自動化?自動化できないと置いて行かれてしまうのか?
また、今までの仕事であった”こんなことも知らねぇのか”という目で見られてしまう。
そんな恐怖で震え上がりながら初出勤の日までネットで事前にショートカットキーを覚えたりofficeソフトについて調べたりしていた。
結果、私の考えは杞憂だったのだと知る。そしていくつかの私の偏見は打ち砕かれた。
私は上司に、先輩たちに恵まれて「とりあえずやりたいことがあればやっていいよ」というスタンスでaccessやExcelで空き時間にマクロについて勉強させてもらえた。
社内のDX担当の方が私のコードを見て、開口一番『うち、来る?』と言われた事はたとえ冗談だとしてもうれしかった。
月並みな表現だが、私にも多少は出来ることがあるのだと思えた。
コードを打つのは楽しい。仕事でも、今は自宅でpythonを勉強して、VBAとの差異に苦戦しながらもよりできることが拡大していく事にわくわくしている。
確実に今の自分は技術も知識も口が裂けても”できる”なんて言えるようなものではない。
でも、”好き”とは言えると思う。