【中原優介】名刺が話し始めた日
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ある日、デスクの隅に積み重ねた名刺を整理していたら、突然それぞれが自分の声を持っているように感じられた。印刷された肩書や会社名を超えて、その人が歩んできた道や持っている価値観が名刺から直接語りかけてくるように思えたのだ。冷静に考えれば、ただの紙にインクが乗っているだけなのに、不思議と一枚一枚が小さなストーリーを宿しているように見えてくる。
新卒で大手のシステム会社にいた頃、名刺は交換の儀式に過ぎなかった。ルール通りに受け取り、定型文で会話を始めるだけだった。しかし独立してからの名刺は、単なる自己紹介ツールではなく、出会いの象徴としての重みを持ち始めた。スタートアップの代表から渡される名刺は、まだ立ち上がったばかりの事業への情熱で熱を帯びていて、フリーランス仲間の名刺はどこか実験的で、肩書さえ遊び心に満ちている。まるで名刺自体がその人の未来のビジョンを小さく先取りしているかのようだ。
名刺が語りかけてくるという感覚は、プロジェクトを進める上でのコミュニケーションにも通じる。肩書や役職だけを見て判断するのではなく、その人の背景やこれから実現したいことに耳を傾けると、想像もしなかった連携の可能性が見えてくる。要件定義の場でも、仕様書に書かれていない「なぜこの機能が必要なのか」という思いを掬い取ることで、開発の方向性は大きく変わる。名刺に宿るストーリーを感じ取れるかどうかは、仕事の広がりに直結しているのだと思う。
最近はあえてデジタル名刺に移行せず、紙の名刺を大切に残している。引き出しを開けると、それぞれが今も静かにこちらを見つめ、次の会話を待っているようだ。名刺の束を眺めながら、これからどんな新しい出会いがあり、どんな物語が積み重なっていくのかを考えると、自然と胸が高鳴る。名刺は過去の記録ではなく、未来への小さな扉なのかもしれない。