働いていると「窓が欲しい」と思う瞬間がある。外の景色を眺めたいとか、光を感じたいとか、単純に閉塞感から抜け出したいとか理由はいろいろだが、私たちはなぜ窓にここまでこだわるのだろう。最近、そんなことを考えながら仕事をしていて、ふと「もし会議室に窓が一切なかったら、未来を描くことはできるのだろうか」という問いにぶつかった。
窓のあるなしは物理的なことに見えて、実は組織の思考様式に深く関わっている。窓があると人は外に目を向けやすい。通りを歩く人、流れる雲、遠くのビル。そこから得られる刺激が無意識に発想を広げる。しかし窓がないと、視線は自然と内側にとどまり、目の前のホワイトボードやパソコン画面ばかりを見つめるようになる。外からの偶然の刺激が遮断されることで、思考は次第に狭まり、閉じたループをぐるぐると回る。
けれど、ここからが面白いところで、閉じた空間だからこそ逆に外を強烈に意識することがあるのだ。窓がない会議室にいると「外はどうなっているんだろう」と強く想像し始める。見えないからこそ描ける景色があり、制約があるからこそ突破しようとするエネルギーが生まれる。つまり窓がないことは必ずしもマイナスではなく、未来を考えるための別のきっかけになる可能性がある。
最近、リモートワークやオンライン会議が増え、物理的な窓の存在感は以前ほど大きくない。背景をバーチャルで自由に設定できる今、海辺のカフェからでも、宇宙空間からでも会議に参加できる。もはや窓は建物に付いているものではなく、スクリーンの中で無限に開かれるものになった。ならば「窓がない会議室」という設定すら、オンライン上では相対化されてしまう。
それでも現実に戻ると、やはり窓から差し込む光や景色の変化は特別だ。人間は環境から得る微細な刺激で気分や思考を変える生き物だ。だからこそ、窓の有無をどう活かすかは、働き方やチーム作りに直結するテーマになる。窓のある空間を選ぶか、あえて窓をなくして想像力を掻き立てるか。その選択が未来の働き方を象徴するように思える。
結局のところ、会議室に窓があってもなくても未来は見える。ただし見える未来の輪郭は大きく変わる。偶然の刺激に背中を押される未来か、想像力で描き出す未来か。大切なのは「窓」という物理的な条件に左右されるのではなく、自分たちの思考をどう開いていくかだ。窓の有無はただの環境設定に過ぎず、本当に開くべき窓は心の中にあるのかもしれない。