自分のしたい研究の為、会社を早期退職して、大学院に再進学した話。
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以下の文章はブログ投稿サイト、退職直後に書いたnoteからそのままもってきたものです。なので若干詩的なとこがあるかもしれませんが、自分の特殊な経歴、その時の感情を一番書き表しているのはここだと思います。
大前提、会社への感謝
僕は去年大学を卒業し、とあるIT企業に入社しました。
ちなみに最初に言っておくと、「会社における人間関係がー」とか「上司のパワハラがー」とかそういうのではありません。
自分が所属していた部は会社全体で見ると小規模で上司・先輩の方々には本当によくしていただきました。
僕は大学では歴史学を専攻しておりまして、ITの知識なんてそんなにあるわけではありませんでした。
IT企業に入社するってことで基本情報技術者を取得している程度。
当然、業務なんてなんもわからないわけですよ。
自分の所属していたところはITインフラをメインで請け負っているところで、プログラミングとかはあまりやらないようでしたが、インターネットに関する知識は必要で研修や、毎日の業務を通して、必死に勉強していました。
でもね、多分新卒で入社した人は多くの方が感じることではないでしょうか。
「辛い」「学生に戻りたい」「辞めたい」etc…
僕も、そう思った。わからないことだらけ。
歴史学の知識なんて当然使うところはない。
「辛い」と。
でもね、自分のことを指導するように言われていた先輩は、始めて新卒教育を担当する、という慣れないながらも一生懸命教えてくれて、わからないことを只教えるのではなく、
「どうやったらできるようになるのか?」
「どうやったら、ネットがつながるのか?」
など、僕に考えさせながらも指導してくれました。
自分だって忙しいはずなのに、僕が分からなかったら、時間をとってzoomを開いて質問に答えてくれたりしました。
そんな環境に置かれていたこともあって、だんだんと
「辛い」ではなく、「がんばろう」「理解を深めるために資格を取ろう」
そう思えた。
僕にいつも指導してくれた主任、同じチームの先輩、部長、副部長上司の方々には本当に感謝していると同時に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
特に主任の外に、チームの先輩、副部長には本当によくしていただきました。
そして、僕にとって、この主任と副部長の言葉が今でも忘れられない、心に刺さって消えない、そんな存在になっています。
そも、なぜやめたのか?
まぁここまで会社への感謝というかを述べてきたわけですけど、
そもそもなんでやめたん?って感じですよね。
僕は高校生の時から歴史が本当に大好きでした。
あまりにも好きだったので、歴史学部が無かった指定校推薦をやめて、一般入試で歴史学部に進学したほど。
そんくらい好きでした。
それもあって、学部3年生くらいの時から、あわよくば、歴史の大学院まで進んでもっと研究出来たら。
でも、家庭の事情というのもあって将来自分のお金で行こう。そう思っていました。
それで、前述のIT企業に入社したわけです。
IT企業に入社した理由としては、手に職をつけたかった、勉強が好きだから学び続けることが必要な業界は向いてると思いました。
ただ、入社するというなら、全力で。
入試前に基本情報技術者試験も取得しましたし、入社してからもAWSの資格など、積極的に取得していきました。
そして、日々業務をする傍ら、僕は自分の給料をためながら株式投資をしていたのですが、ある日、気づく。
「あれ、これ大学院、いけるな…」
まぁまぁな額が手元にあることに気づきました。
そう思うと、
「あの時の研究はああしたかった」
「あれについてもっと調べればよかった」
…
「仕事しながらでも、勉強すれば合格するのかな…」と。
いろんな感情が渦巻く。
「大学院、いきてぇなぁ」
これが、僕の退職を決意した、理由の発端でした。
夏休み、決意。
そう思い始めた日から、僕は大学院について調べ始めました。
「自分のやりたい研究と近い研究室がいい」
「1日1時間くらいの勉強で受かる」
「外部より内部性の方が有利」
「内部では落ちない」
など。
そもそも、大学院に進学する人が少ないので、みんながみんな自分の体験した院試についての体験談をネットに乗せており、さまざまな情報が錯綜していました。
ただ、共通して言えそうなことは
「自分のやりたい研究と近い研究室がいい」
ということ。
僕が院進を決意するまで、一番の障壁は之でした。
僕のやりたいことと、似たような研究をしているところがない。
強いて言うなら、防衛大学校大学院?
僕、もしかして幹部候補生としていったん自衛隊入らなきゃダメ?
いやいや。
無理だろ。自衛隊は。
まず仮に超狭き門幹部候補生になれたとして、大学院行くまでに何年かかんのって話よw
本当に。
完全に行き詰った。
うーん…
ん?
とりあえず、大学の時の教授に相談すればよくね?
大学院受験に一番詳しいはずだ。
ネットの情報よりも何よりも、信頼性のある情報をくれると思いました。
早速クソ長相談メールを教授のメールアドレスに送り付ける。
教授は驚きながらも、丁寧な返信をしてくださり、
- 仕事をしながらでも受かると思う
- 防衛大まで行くのは大変だから、僕と研究内容違うけど、うちを受験すれば?とのことでした。
まさに、目から鱗とでもいいましょうか。
母校受けることが出来るならそれが一番いい。
僕は大学院進学を検討するにあたって、母校は初めに選択肢から切っていました。
なぜなら、自分のことを担当してくれた教授と、自分のやりたい研究内容、全くと言っていいほど違うからですね。
強いて言うなら、時代は同じということくらい?
でも、もし、母校に戻っていいなら。
受験校すら定まっていなかった当時。
「大学院…行きたい。行こう。」
そう思った。
ちょうどそのころ、8月初頭。会社は夏休みに入る頃でした。
もう一回一人で考えよう。
そう思って、夏休みをつかって久々に一人旅に出る。
場所は沖縄。自分のやりたい研究に関する歴史的な史跡が眠る場所。
決意するのにそんなに長い時間はかからなかった。
旅行はたったの2泊3日。
多分ある程度心に決まってたんだと思う。
あとは、一歩踏み出す、トリガーを引いてくれる何かが必要だった。
それが2泊3日の沖縄旅行。
自分が本当にやりたいこと、研究したいことを、散策しながら一人で考えました。
うん、やっぱり。やりたいかな。もう一回。
夏休み、決意。
退職。忘れられない、上司の言葉。
夏休みが終わって、会社に戻った僕。
もう決意は固まっていました。
教授には、仕事をしながら勉強して、合格したら退職した方がいい。
100%受かる保証はない。と。
そういわれていました。
そりゃそうだ。
でも、僕は合否が出る前に退職をしようと考えていました。
理由としては、
- 一応仕事しながら勉強していたものの、予想以上に勉強時間確保が難しいということ。
- 近々、部内組織編成の変更が行われるということもあり、速めに伝えるべきだと思ったこと。
- そしてなにより、会社の人たちがあまりにいい人すぎたこと。
一番大きいのは3つ目。
本当によくしてくれて。
忙しいのに、僕のためにわざわざ手を止めてくれて。
どんな時でも快く対応してくれました。
会社で嫌な思いをしたことは0でした。
もしよ、もし、こっそり勉強して、合格もらって、今までお世話になってきたのに、
「あ、合格もらったんで、はい、やめます。お世話になりました」
そういったらみんなどう思うのか。
当然、わかっている。職業の自由。僕がどんな職を選ぼうと、進学を決意しようと、彼らに僕を止める権限なんかない。
だけど。だけど。
「それは余りに不誠実なんじゃないか」
そう思った。
歴史学をやってきたが故か。保守的どころか、古臭い日本人の考え方。
あーあ。
夏休み明け。最初のミーティング。
僕は主任に心の内を明かしました。
第一声。
「やりたいことがあってうらやましい。それはすごく素敵なことだと思うよ。副部長とかにはエスカレーションしておくから、大丈夫。」と。
なんて言われるんだろう。重い口を開いた結果としては少し拍子抜けだったのを覚えています。
怒られるのかな。呆れられるのかな。
決意を固めたくせに、心のどこかで、重い口を閉ざしてなかったことにしようとしている自分がいた。
そのすぐあと、副部長から社内メールが来た。
すぐに時間をとってくれて、ミーティング。
僕は胸の内、やめる理由3つも含めて全部語った。
情報系を卒業している彼にとっては、僕の史学の話などさっぱりわからん、といっていた。
でも、僕は語った。
自分がやりたい研究を。
本当に申し訳ない、ということを。
ただひたすら。
僕が話し終わった後、副部長は、僕が院に通う夢を捨てずに会社も抜けないという妥協点を何とか模索しているようだった。
僕はいつも通りふるまっていただけだが、部内における僕の人柄に関する評価は高かったらしく、ありがたいことに期待されているようでした。
僕も会社に勤めたまま、院進できないか。調べていた時期がありました。
でも、やはりそのような院はビジネスマン向けのMBAが取れる!みたいなやつばかり。
会社に勤めながら史学の院に通いたい奴なんてこの世界に僕くらいしかいないのでしょう。
だから、その妥協は申し訳ないが達成できないことを伝えました。
それ以上に
「自分は誠実でいたい」と。
ミーティングはじめ、堅い声色だった副部長。
当然です。半年で新卒が辞めると言い出したんだから。
でも、僕が熱を込めて語った後、副部長が発した言葉は
「あのね、○○くんね。立派だと思う。語ってくれたことの内容はほとんど何を言っているかわからんかったけど笑 熱意を感じたし、応援したいと思った。たまにいるんだよ。環境が合わないとか、育成環境が。とかいう子が。でも○○君の理由は前向きで、本当に応援したくなった。将来教授としてテレビとかで紹介されてたりするのかな笑」
嬉しかった。副部長が認めてくれたことが。応援したいって言ってくれたことが。
そのまま、退職のタイミングとしてキリがいいのは9月末だろうという話になりました。
この退職の話は、僕としては全然いろんな人に話してもらって構わなかったのですが、主任、部長、副部長、チームの先輩だけのオフレコということになりました。
マジでどこまで行っても優しすぎる。
そして、軽い日々の業務をこなしながら迎えた最終出社日。
ちょっと緊張しながら、オフィスに入る。
いつもと何も変わらない。
僕は前日までに振られていたタスクに取り掛かった。
今更だけど、うちはリモートワークに対応しているので、基本的に来ても可なくてもどちらでもいいといった感じ。
午前中までタスクをこなして昼休憩。
昼、僕にはやることがありました。
一応前日までにお世話になりましたお菓子を買ってきてはいたのですが、すこしでも誠意をと、もっともっと買ってこようと業務中に思い立ち、昼休憩そっちのけで、近くのデパートにお菓子を買いに行きました。
オフィスに戻ると、紙袋ぱんぱんに詰めた菓子折りに事情を知らない人は不思議そうな顔をしていたのを覚えています。
そして、午前14時ごろだったかな。副部長が来て、個別ブースで和やかな雑談をしました。
「いやぁ、何年後かわからないけど、○○君テレビで見かけたらかっこいいよなぁ笑」
そういって、時間が過ぎていきました。
返却物の返却を行い、定時。
主任とチームの先輩はいません。
東京ではない、別の場所で仕事をしているから仕方ないね。
二人に、
- こんな新卒で本当に申し訳ないこと
- お世話になったこと
- 之から全力で頑張る事
- お菓子いっぱい買ってきたからオフィスに依る機会があれば賞味期限が切れる前にたくさん食べてほしい旨を伝えました
そして、ついに退社の時。
最後に、副部長含めオフィスにいた僕の事情を知った3人が集まってくれました。
4人でエントランスに向かう。
若干僕が自虐をしながら和やかな雰囲気で。
エントランスでは、1人、僕のことを本当にいい子だと思ってくれていたという方が泣いてくれました。こんなごみ新卒なのに。つくづくいい会社だな。
いよいよ別れの時。
副部長が
「じゃあ、最後は昭和的な言葉で〆るか!がんばれよ!」
あふれ出そうになる涙を必死に抑えながら、扉を開ける。
ありがとう。本当に。
短い間だったけど、僕に社会人の基礎を教えてくれて。
ありがとう。こんなごみ新卒によくしてくれて。
僕が扉を開けて、外に一歩踏み出す。
後ろを振り返ってたくさん手を振りながら。
手を振ってくれた3人の姿が、最後の昭和的な〆の言葉が、今でも僕の心に鮮明に残っています。
その言葉があったおかげで、毎日10時間必死に勉強しています。
今は合否待ち中だけど、LINEを交換してる同期を通じて、副部長たちにいい結果が報告できればいいな。
#2月4日追記
無事合格でした!