出社したら、自分の影がもう席に座っていた。最初は寝不足のせいかと思ったけれど、モニターの前で淡々と作業を進めるその背中は、間違いなく僕の影だった。タイピングのリズムも同じ、姿勢も同じ。だけど、僕よりずっと集中していた。
僕は声をかけようとしたけれど、影は振り向かない。マウスを握る手が止まることもなく、まるで僕の存在を知らないみたいに仕事を続けていた。少し腹が立った。でも同時に、どこか安心もした。もし僕が遅刻しても、影が代わりに働いてくれるなら、会社は回るんじゃないかと思ってしまった。
その日から、僕は影を観察するようになった。朝は僕より早く出社し、昼は一切休まずにコードを書き続ける。ミスも少なく、レビューも早い。Slackの返信も即座に返していて、同僚からの信頼も厚い。気づけば僕の影の方が“仕事ができる人”になっていた。
僕自身はというと、影の完璧さに少しずつ引け目を感じ始めた。やることがなくなっていく。会議に出ても、発言する前に影が全部言ってくれる。僕の意見は、僕より先に出ていく。だから僕は次第に話さなくなった。
ある夜、会社を出た時、街灯の下で影が僕を見た。初めて目が合った気がした。僕は思わず問いかけた。「お前、僕がいなくてもいいの?」影は何も言わなかったけれど、街灯の光に揺れながら少しだけうなずいたように見えた。
その日から、僕は少しずつ影より先に行動するようにした。出社を早め、誰よりも早くコードを書く。影がまだ来ていない時間に、自分の手で何かを作る。最初はうまくいかなかったけれど、朝焼けの光の中で仕事をしていると、不思議とアイデアが浮かぶようになった。影に頼らず、自分の輪郭を確かめる時間が、こんなにも静かで豊かなものだとは思わなかった。
ある朝、出社しても影はいなかった。机の上には、僕の書いた設計図だけが残っていた。窓の外から差す光が床に伸びて、ゆっくりと僕の足元を包んだ。影はもういない。でもその温もりは確かにあった。
働くって、たぶん影を生み出すことなんだと思う。自分が動いたあとに残る痕跡。努力の形、迷いの形、日々の積み重ねの形。それが積もって、自分の代わりに動き出すときがある。だからこそ、僕らは自分の影に負けないように、今日も少しだけ早く目を覚ます。