アートの未来は「共創」「拡張」「変容」にある
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アートの未来は「共創」「拡張」「変容」にある
──廃墟を見つめ、「時間」「忘却」「再生」をめぐる思索
アート教室を始めて5年。
私は「都市の廃墟」をテーマに制作を続けてきました。朽ちていく建物の壁、錆びついた鉄骨、風雨に削られた痕跡──それらは都市の「時間」を刻む記録であり、「忘却」の影でもあります。
そして同時に、人々の手によって新しく塗り替えられ、再び生まれ変わる可能性を秘めた「再生」の場でもあります。
作家として廃墟に向き合う孤独な時間と、教室で子どもたちと表現を分かち合う共創の時間。その往復を通じて、アートの未来を切り拓く3つのキーワード──「共創」「拡張」「変容」が見えてきました。
孤独な探求(時間と忘却) vs 共創(いまを共有する)
《廃墟都市》シリーズに取り組むとき、私は「時間」と「忘却」を強く意識します。
崩れた壁面や剥がれ落ちたポスターは、かつてそこに人が生きた証です。しかし、それは忘れ去られ、無名の記憶として都市に沈殿していきます。私はその痕跡を抽象的な線や色へと転換し、孤独に都市の時間を描き出そうとしてきました。
一方、教室では「共創」が日常です。
子どもたちが描く一本の線が、思いがけず街路や地図のように見えることがあります。その瞬間、私は「ここにも都市の時間が流れている」と感じます。孤独な探求が他者との出会いによって解きほぐされ、忘却の影に新しい光が差し込むのです。
専門的な拡張(廃墟の再生) vs 誰もができる拡張
作家としては、廃墟の断片を再構築するインスタレーションを試みてきました。
瓦礫や鉄片を素材に取り込み、光と影を重ねることで「再生の場」としての都市を空間に立ち上げる。これは高度な技術や準備を必要とし、鑑賞者にとっては挑発的でもあります。
一方、教室ではもっと身近な「再生」が生まれます。
段ボールの切れ端から街をつくり、新聞紙の破片を貼り合わせて「未来の都市」を描く。子どもたちは遊びの中で廃墟を蘇らせ、忘れられたものを新しい物語へと変えていきます。誰もができる拡張のなかに、アートの再生力を感じるのです。
挑戦としての変容(断片都市) vs 自然な変容
《断片都市》シリーズでは、廃墟のスケッチを意図的に分解し、新しい構造へと組み替える試みに挑戦しました。そこには「時間の断片を再生へと変容させる」意志が込められています。廃墟は忘却の象徴でありながら、同時に未来を呼び込む扉でもあるのです。
一方、教室での子どもたちの変容は驚くほど自然です。
昨日は「こわれたビル」だった絵が、今日は「光に満ちた未来都市」へと変わる。彼らにとって廃墟は終わりではなく、物語のはじまり。遊びや好奇心が自然に変容を生み出し、都市を「再生」へと導いていきます。
結びに
廃墟は「時間」「忘却」「再生」が交差する場所です。
その廃墟を前に、私は作家として孤独に探求し、教室では共創の中で再び学びます。
孤独な探求と共創、専門的な拡張と誰もができる拡張、挑戦としての変容と自然な変容──。
その対比を往復する中で、アートの未来が見えてくるのです。
石塚昭典
アートを通じて学ぶこと