仕事をしていると、まるで未来の自分に雇われているような感覚になる瞬間がある。今の自分が選んだ行動が、数か月後や数年後の自分の働きやすさを決めてしまうのだから、それはもう未来の誰かと契約を交わしているようなものだ。しかもその未来の自分は一度として姿を見せず、声も発しない。ただ静かにこちらの決断を受け取っていくだけだ。こう考えると、今やっている仕事はすべて未来への投資であり、同時に未来の自分からの依頼でもあるのだと思えてくる。
この考えが浮かび上がったのは、ある日突然未来の自分がひどく不機嫌な顔をしている想像が頭の中に流れ込んできたからだ。どうやら私は、何かの選択をしぶり、その結果として未来の自分に不要な負担を押し付けてしまったらしい。その顔を思い浮かべた瞬間、私は妙な焦りとともに、今の自分の行動をもう少し丁寧に扱おうと決めた。未来の自分から見た時に、これは引き受けてよかったと思われる選択を積み重ねられるかどうか。その意識が小さな行動の質を確実に変えていった。
未来の自分という存在を、私はこれまで曖昧な輪郭のまま扱っていたが、改めて意識してみると、未来の自分は想像以上にシビアな顧客のようなものなのだ。今の自分が作った資料の雑さも、決めなかったことの後始末も、全部未来の自分が引き受ける。もし自分が逆の立場なら、そんな仕事を請け負いたいだろうかと考えると答えは明白だ。こうして私は、目の前の仕事が未来の自分の作業環境を整える行為そのものであるという視点を獲得していった。
とはいえ、未来の自分に全てを最適化しようとすると息苦しくなる。そこで私は、未来の自分をもう少し遊び心のある存在として扱うことにした。未来の自分が喜びそうな小さな仕掛けを作る。たとえば、後で読み返すメモの中にあえて少しだけ気の抜ける一言を挟んでみたり、誰にも見られない作業フォルダに秘密の名前を付けておいたりする。そんな些細な遊びでも、未来の自分がそれに出会ったときに少しだけ笑うだろうと思うと、現在の自分は案外元気になる。
未来の自分を顧客と捉えるか、それとも相棒と捉えるかで、仕事の向き合い方は驚くほど変わる。顧客として扱えば品質が上がるし、相棒として扱えば継続力が生まれる。両方の視点を使い分けることで、自分の仕事に対する解像度は一段階上がっていった。そしてその変化は、淡々と積み上げてきたタスクを少しだけ誇らしく感じる感覚につながっていく。
気づけば私は、未来の自分がどんな表情をして待っているのかを時々想像するようになった。それはいつも明るい顔とは限らないし、きっと呆れたような日もあるだろう。それでも、未来の自分が今日の自分をどう扱ってほしいと思っているかを考えることが、結果的に仕事をより面白くするのだ。
未来の自分はまだ見たことがないけれど、確かに存在していて、そして必ず今日の選択を受け取る。そのことを忘れないまま働けるなら、どんな仕事も少しだけ優しいものになる。そんな感覚を胸に、私は今日も自分の未来に雇われて働いている。