【阪田和典】未来の匂いが曲がり角からした
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朝の空気を吸い込んだ瞬間、なぜか今日だけ世界が半歩早く動いているような感覚があった。歩く速度を少し上げても追いつけない、けれど遅れているわけでもない。まるで自分の周囲だけが、未来の方へと薄く傾いているような、不思議な揺れ方をしていた。その理由を確かめたくて、普段とは違う道を選んでみた。単なる寄り道のはずが、その選択が一日の流れをまるごと書き換えてしまうなんて、このときはまったく想像していなかった。
曲がり角に差し掛かった瞬間、どこからともなく新しい匂いがした。それは特定の何かを示すものではなく、まだ形になっていない企画書のような、未完成のアイデアのような、可能性だけが濃縮されたような匂いだった。そんなものを「匂い」として認識している自分に驚きつつも、なぜか胸がざわついた。これはきっと、自分の中で眠っていた何かを起こす合図だと、直感だけが妙にはっきりしていた。
その正体を探るように歩いていると、通りすがりの人たちもいつもと少し違って見えた。忙しそうに歩くビジネスパーソンの背中からは、これから何かを始めようとする熱が漏れているようで、ふと目が合った学生の表情には、自分の未来をまだあきらめていない、あの頃の真っ直ぐさがあった。世界は何も変わっていないのに、自分の視界だけが微妙に解像度を上げて、未来を先取りするようになっていた。その状態が妙に心地よくて、誰にも話さずひっそり確かめながら歩いた。
やがて、自分の中に浮かぶ小さな問いが増えていく。あの匂いの正体は何なのか。どこに向かえば、もう一度その予感をつかめるのか。未来の匂いは、ただの気のせいではないか。そんな疑いさえ、むしろ楽しさに変わっていく。もしかしたら自分は、この感覚をきっかけに何かを動かしたかったのかもしれない。仕事でも、生活でも、チーム作りでも、結果だけを追いかけるのではなく、その前に漂う「まだ実現していない手触り」をつかみに行く勇気が必要なのだと、静かに理解していく。
少し歩き続けて気づいたのは、未来の匂いは突然現れたわけではなく、本当はずっと前からそこにあったということだった。自分がようやくその存在に気づいたのは、意識の向け方を変えたからに過ぎない。今まで見落としていた兆しや小さな違和感が、今日はなぜか自分の視界に引っかかり、ひとつの物語として浮かび上がってきた。行き先も理由もないまま歩いていたはずなのに、いつの間にか未来へ続く線を指でなぞっているような不思議な感覚があった。
最終的に、あの匂いが何だったのかを言葉にすることはできなかった。でも、それでよかったのだと思う。形にできない予感だからこそ、動き出すきっかけになる。職場でもプロジェクトでも、人との関わりでも、答えが見える前に踏み出す瞬間がいちばん大切で、いちばん面白い。そのことを、あの曲がり角の匂いが静かに教えてくれた気がした。
この体験を誰かに説明することは難しいけれど、未来は突然訪れるものではなく、日常の中で少しずつ匂いを放ちながら近づいているのだと信じたくなる。だからこそ、自分は今日もまた、別の角度から街を歩いてみたくなる。未来の匂いは、探す人の隙間にだけそっと現れるのだから。