四半世紀まえ
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1世紀の4分の1を四半世紀(しはんせいき)という。
2025年の四半世紀前は2000年ととてもキリのいいこともあり、ちと四半世紀前ってどうだったのかを振り返ってみる。(いまちょっと仕事が手薄なこともあって、ねw)
え?生まれてないですって!? →「なにぃ」で画像検索してくれ!!
2000年というと20世紀末であった。新しい世紀がやってくる前夜という、まさに世紀の瞬間。
「新世紀エヴァンゲリオン」は21世紀を目前に控えた、20世紀末に作られたアニメだった。劇中のかの有名なセカンドインパクトは2000年の出来事だ。
ただし私が見たのはすでに21世紀に入ってからの再放送だったが…
この頃、我々の手にようやく携帯電話が行き渡り、端末を持つ人を狙い撃ちで連絡が取れるようになった。彼女の家の固定電話にかけてお父さんが出てしまう惨事から解放されたのだ。
セーラームーンの主題歌にある「電話もできないミッドナイト」の歌詞、今のZ世代は理解できるだろうか。
まだ携帯電話には飾りのアンテナがあり、それを自動で伸ばすギミックをつけてドヤ顔している人もいた。カメラがつくようになったのはもうちょっと後の時代だ。
Windowsの世界でいうと、アプリの異常終了の際にOSごと死んでしまいPC再起動を余儀なくされる事態がようやく減り始めた。Windows2000というOSは名作だったのだ。
この頃からPCとネットワークは同一線上で語られる存在になり融合が進んでいった。ただしITとかICTという言葉が発生するのはもうちょっと後のこと。
インターネットの本格認知と普及は2000年頃からの数年で爆発的に進み、皆がホームページとやらを持って情報を発信するようになった。
いまHTMLやCSSの読み書きができるのは、この頃にホームページごっこをしていた人たちの可能性があるのだw
20世紀末期はパソコン通信という、ネットワーキングが主体だった。
いまもFAX機に残るモデム(ピーガーガーと音を発するアレ)という装置でアナログ電話回線を通じて遠隔コンピュータと文字ベースの通信をするのだ。
映像はおろか画像も送れない、文字だけで勝負の世界。チャットと掲示板、同じテーマを扱う集合体(フォーラム)に夜な夜な出入りしていた人も多いだろう。
そんなパソコン通信が末期を迎え、ビジュアル勝負のインターネットに少しずつ移行が始まったのが2000年だ。増大し続けるデータ量に対応すべく電話回線ではなく光回線への移行が始まるのがその直後の2001年である。
ゲームセンターも隆盛を誇っていた頃である。
いまもプリクラと呼ばれる撮影機の初号機は1995年に登場した「プリント倶楽部」で、それの派生機が爆発的に普及したのが2000年頃。その分野全体がプリクラと呼ばれることにまでなった。
近代音ゲーの祖であるbeatmania、その兄弟であるダンスダンスレボリューション(DDR)が流行したのが2000年頃だ。自分でも信じがたいがDDRでめっちゃステップを踏み汗を流していた(黒い)記憶がある。
ファミコン→スーファミで王者だった任天堂が、ソニーのプレイステーションに覇権を奪われ、それを揺るぎなきものにされたのが2000年のプレイステーション2発売であった。
ファミコンがファミリーコンピューターの略、ファミ通がファミコン通信の略であることはもはやZ世代には…(略
ついでに覚えて帰ろう、ペットボトルのペット(PET)は、ポリエチレンテレフタラートの略だ(無関係
それらが「インターネット依存時代前夜」の2000年という時代だった。
世紀の切り替わりは、我々の生活様式の切り替わりでもあった。
この頃、自分はすでに情報処理技術者(古称)のはしくれとしてそれで飯を食っていた。
Java VMや.net Frameworkのような、溢れかえる広大なメモリ空間を前提としたシステムなど、想像もできなかった。
会社の自席でタバコを吸えなくなったのをああ困った時代だなぁなどと呑気に思っていた始末だ。
情報処理技術者はプログラミングという技術を持った職人として、ずっとそれでやっていけると思っていた。
現代のように学校でプログラミング的思考を教えてもらえる時代が来ることも、プログラムコードを書くのは(次第に)人間の役割でなくなることも、どんなWebサービスが組み合わせ可能であるかその知識や経験の量こそが「力量」のように扱われるような時代が来ることも、一切想像できてはいなかった。
ソフトウェアは売るモノであり、いまのようにサブスクリプションで定期的を永続的に使用料を巻き上げるような仕組みが出てくるなんて、思ってもいなかった。
いや、まてよ?電話のように毎月固定の利用料金が取れるように、システムそのものを作っちまえばいいんじゃないの?と考え、その構築に成功したのがホリエモン氏であり、三木谷氏であり、AmazonだGoogleだ、なのだ。
その時点で自分には何故そのような天啓が降りてこなかったのだろう(笑)
・・・回顧と恨み妬みの類wは尽きることなく、オチも見当たらないのでこの辺で終わっておこうと思う。
このごろ新卒入社してきた皆さん、四半世紀後の2050年にはいまの筆者と同じような年齢になるのです。良き25年の思い出作りと、良き人生を。
(なんだ、この読み物w)
(静岡県 54歳 男性)