【本田教之】エレベーターの沈黙が教えること
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毎朝オフィスビルのエレベーターに乗り込むと、そこには奇妙な沈黙が漂っている。見知らぬ人同士が狭い箱に数十秒間閉じ込められ、互いに視線を逸らしながらスマホをいじるか天井を見つめる。ほんの短い時間なのに、なぜか空気は重く、早く到着階に着いてほしいと願ってしまう。この沈黙の空間をただやり過ごすだけでなく、もっと別の可能性を探せないだろうかと考えた。
あるとき、ふとドアのガラス越しに映る自分の姿を見て、他人ではなく自分に向き合う時間にしてみようと思った。今日はどんな顔をしているか、疲れているのか、何を期待しているのか。数十秒の間に問いかけると、不思議と頭が整理されていく。すると沈黙は不快ではなく、むしろ思考の余白へと変わった。
別の日には、同じタイミングで乗り合わせた人の持つ紙袋のロゴや靴の色に目がいった。それがきっかけで「この人はどんな仕事をしているのだろう」と想像するうちに、狭い空間が小さな物語の舞台へと変化した。声を交わさなくても、自分の想像力ひとつで場の意味を塗り替えられることに気づいた。
ビジネスの場では効率や成果が求められるが、こうした短い時間にこそ、創造力や自己認識を養うヒントが隠れているのかもしれない。移動の一瞬や待ち時間をただの隙間とみなすか、新しい発想の種とみなすかで、日常の景色は大きく変わる。
エレベーターの沈黙は避けられないものではあるが、それをどんな時間に変えるかは自分次第だ。沈黙を嫌うのではなく、あえて味わうことで思考は深まり、視点は広がる。今日もまたエレベーターに乗り込むとき、ただの移動がちょっとした発見の場になることを期待している。