古川 遥の笑顔をつなぐ道
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ストーリー:古川 遥の笑顔をつなぐ道
第1章:国際文化との出合い
若き日の私は、法政大学の国際文化学部で学んでいた。異文化コミュニケーションに強い関心を持ち、「国際開発」や「難民支援」にも心を動かされていた。2度のイギリス留学を経験し、多様な価値観と文化が交差する日常を体験。私は言葉の壁を超え、人と人をつなぐこと、その架け橋になることに生きがいを感じていた。
留学先で見たのは、ただの風景ではなく、それぞれの土地で暮らす人々の物語。そこには笑顔もあれば、困難もあった。だがそのすべてが、自身の胸の中で静かに火を灯す。「異文化」「理解」「受け入れ合う世界」。私の中で、その理想は明確になっていった。
第2章:JTBで描いた「笑顔」のビジョン
大学卒業後、私は JTBグローバルマーケティング&トラベル に入社。配属されたのは、北米・オセアニア担当の部門だった。私のミッションは、日本を訪れたいという外国人旅行会社に、日本のツアーを提案すること。
だが、私の営業スタイルはただ数字を追うものではなかった。私が何より大切にしていたのは、「お客様に笑顔を届けること」、そして「日本で受け入れる側の人々にも笑顔を感じてもらうこと」。ツアーを提案するとき、単に旅程を説明するだけでなく、「この場所で人々はこんな風に過ごしている」「文化を感じるためにこんな時間を取るといい」と、心の体験を組み込んだ提案をした。
ある時、私が交渉していた海外の旅行会社との一件。価格交渉も激しく、条件も厳しかった。しかし私は、「コストも大事だけれど、そのツアーを通じて生まれる記憶こそ価値だ」という信念で折衝を続けた。最終的に事業パートナー先と契約が成立し、彼女はそのツアーのマネジメントも任され、現場で行程管理をしながら、細やかな気配りを発揮した。
ツアー参加者からの「楽しかった」「また日本に来たい」「日本の人が温かくて感動した」という声を聞くたび、私の胸は温かくなった。私にとって、ただ売るのではなく、人と人の「交差点」を作る仕事だった。
第3章:次のステップ — 社会課題への挑戦
JTBで6年間を過ごした後、古川 遥は転機を迎える。私はビジネスの中にある “社会的な意味” をより強く感じたいと思うようになった。「お客様を笑顔に」「受け入れる日本の人々を笑顔に」――そんな小さな哲学を、もっと広く、もっと根深い“困りごと”に対して使いたい。
私が選んだのは 株式会社HQ。ここでは営業企画という役割の中で、ただ営業を支援するだけでなく、企業調査や市場分析を通じて、営業チームに戦略的な知見を提供するポジションだった。私は、自分の過去の経験(異文化、交渉、顧客との信頼構築)を武器に、HQの営業が効果的なアプローチをできるよう裏側から支える。
たとえば、新しい提案先の企業について詳しく調べ、市場動向や競合を整理し、営業資料に落とし込む。その資料を通じて、営業担当者はより説得力のあるプレゼンができ、お客様に提案を届けられる。私はこの役割を「笑顔をつなぐ中継地点」だと捉えていた。
第4章:未来へのビジョン
古川 遥には、まだ夢がある。私が思い描くのは、「社会課題を解決できる仕事」。単なる “モノを売る営業” ではなく、お客様の困りごとを丁寧に聴き、それを戦略に落とし込みながら、社会にポジティブな影響を与える。
将来的には、海外と日本をまたぐビジネスを通じて、観光だけではなく、教育、異文化交流、地域創生など、多くの人が笑顔になる仕組みを作っていきたいと考えている。ツアーによって人が出会い、価値観が変わり、笑顔がつながっていく。そのネットワークをもっと強く、大きく。
エピローグ:古川 遥という架け橋
古川 遥の人生は、まさに「架け橋をかける旅」だ。大学で学んだ異文化理解、JTBで培ったお客様へのホスピタリティ、そして現在のHQでの戦略支援――これらすべては、古川 遥が信じる「人と人が出会い、笑顔が生まれる世界」へとつながっている。
私は今日も、データと市場分析を通じて営業チームを支えながら、自らの信念を胸に抱いている。困りごとを見逃さず、そこに意味を見出し、人々に笑顔をもたらす。私の歩みはゆっくりかもしれないが、その足跡は確かに、誰かの明日を少しだけ明るくしている。