小説「たゆたえばたんぽぽ」について
小説を書くようになったきっかけ
当時サバイバルの専門学校に通っていた私は、人の心の複雑さに興味を持っていました。
「自然が好き」「ヒトより虫」みたいな人々が集まっている学校なのに、ヒト同士の問題によってヒトが悩んでいるのです。
それに、「自然環境保全」って一体どこまで?
環境保全の定義が人によって違いすぎて、非常に難しい問題だと思っていました。
環境保全セミナーを開催したとしても、関心の高い層しか参加しません。自己満足だと思ったのです。
そこで「伝えることの重要性」「考えてもらうきっかけづくり」ができる人間になった方が、良いのではないか?とも考えていました。
この頃から、マーケティング的な考え方は持っていたと思います。
そんな時、売れない役者であった恋人の脚本作成にあたって、ほんの少し「このAという人物は坂の上にいるから、この視点はこうなんじゃないか?」といった意見を述べたことがきっかけでした。自分も、物語を作ってみたいと思ったのです。
しかし、本なんてろくに読んだこともない。なので「一気に文学を学んじゃおう」と思って通信制大学へ入学しました。
「たゆたえばたんぽぽ(文学賞では 花はたゆたう)」はそこでの卒業制作になります。
▼余談
ちなみに、その売れない役者の元彼を支えた7年間は小説一本書けるとよく言われます 笑
アル中、ヘビースモーカー、癇癪、過食症・・・なのに病院には絶対に行かない。そんな彼を励まし続け、最終的に彼は「役者」の肩書きを手に入れました。その結果、精神状態も回復したのです。この頃から、人に寄り添うこと、メンタルヘルス的なサポートにやりがいを感じていたと思います。
題材は周りの人間から
自分の叔母の半生をモデルにして物語を作成しました。
叔母は、結果的に4人の介護生活に人生の半分以上の時間を捧げました。
叔母がそのような生活を送っていたことを知らなかった私は、「もし他の選択肢を選んでいたら?もっと幸せな選択肢は?」という疑問が湧いたのです。
小説を書く前段階に、叔母へインタビューさせてもらうことから始めました。
人を幸せにするなんて烏滸がましい
その疑問から書き始めた小説ですが、「人の人生を変える」「人を幸せにするなんて烏滸がましい」という気づきから、主人公は全く別の女性に形を変えて生まれました。
そのとき、私の頭の中にずっと浮かんでいたのは、日本史上最高齢の動物園生活を送ったゾウ、はな子でした。意思疎通が難しくなった私のおばあちゃんと、動物園で寂しそうにしているゾウのはな子に、私は何か強いインスピレーションを感じました。(ちなみに、ゾウのはな子には実際に会ったことはありません。)
ゾウのはな子について調べていくうちに、彼女が過去に「殺人ゾウ」と揶揄された経緯があることを知りました。それは昭和35年の事件に起因しています。
昭和35年、ゾウのはな子、そして叔母の半生――私の頭の中では、これらの多くの人生が入り混ざり、最終的に「シュルレアリスム」(超現実主義)と呼ばれるような物語が形作られました。
<あらすじ>
ひとりの主婦が、きらきらしているとはいえない日常を過ごしていた。
家事に追われるうちに、気がつけば六十歳だ。
ある日、買い物の帰りに若い女の子とぶつかった。
どこからか逃げ出してきたらしい彼女は泣いていて、初対面にもかかわらず感情をぶつけてくる。彼女が落としていったブレスレットを届けるために、すぐに帰るつもりで「わたし」は家を出た。
彼女は知っているようで知らない街に迷い込み、帰れなくなってしまう。帰れないのではなく、帰りたくないのかもしれないと、「わたし」は悩む。意思とは何か、愛とは、幸せとは何か、大人になれば分かると思っていた。でも未だに、わからない。そんな「わたし」の目線通して考える物語。