クルージングヨット教室物語2
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佐藤麻美子は、特にヨットに興味があるわけではなかった。
大学時代からの同級生であった今井隆に、自分のヨットがやっと横浜のマリーナに輸入されてきたから一緒に見に行こうと誘われてついてきたのだった。
今井隆は、大学の就職活動中のとき、なかなか内定を取れず、就職先が見つからないでいた。
もうほとんどの同級生たちは、会社から内定の通知をもらっていた時期だった。もちろん、佐藤麻美子も、就職試験を受けた会社から既にいくつか内定をもらっていた。
そんな中の1社に、まだ新卒の求人を募集している会社があった。
「ね、この会社を受けてみたら」
佐藤麻美子は、今井隆にその会社を薦めてみた。今井隆は、佐藤麻美子に薦められたその会社を受けてみた。すると、その会社に受かって、内定をもらうことができた。
「麻美子も、この会社に就職するんだろう」
「え、そうね・・」
佐藤麻美子は、実はその会社には行くつもりはなくて、別の内定をもらった会社へ行くつもりでいたのだが、今井隆にそう聞かれて、思わず頷いてしまい、結局その会社へ隆と一緒に入社することになってしまった。所属は総務部で、営業部に配属となった隆とは別の部署ではあった。
「インターネット上に、こんなサイトがあったら便利だろうな」
今井隆は、その会社で働いているときに思いついたサイトを具現化してみた。サイトなんて一度も作ったことがない、プログラミングのやり方なんて全くわからなかったが、わからないことはGoogleで検索しながら見よう見まねで作り上げた。
出来上がったサイトは、ほかの人たちにも使っていて便利と思ってもらえる人気のサイトになった。
そして、今井隆は、せっかく就職できたその会社を辞めて、自分のIT会社を起ちあげた。
プログラミングなんて全くわからず、サイトの作り方も何もわからなかった今井隆だったが、会社の起業の仕方も何もわからなかった。佐藤麻美子の父親は、東京の中目黒で輸入雑貨の会社を起業した自営業者で、アメリカのサンフランシスコに支店まで作り、単身赴任でアメリカへ移住していた。
その父親の姿を幼い頃からみてきた佐藤麻美子は、今井隆がIT会社を起ちあげる際、会社を起業するのに必要な書類作りなどいろいろ手伝ってあげていた。隆の会社の起業は手伝ってあげたが、佐藤麻美子自身は、特に就職したその会社を辞める気はなく、会社の起業は手伝ってあげるけど、起業した後の会社経営については、隆1人で頑張ってねと、隆に伝えていた。
今井隆は、いろいろ面白いアイデアは出すアイデアマンではあったが、役所に提出する際の会社の書面作りとかは不器用で苦手だった。そんな隆がパソコンで何度も書類を作り直している姿を見ていられなかった佐藤麻美子は、就職したその会社を退職して、隆の起業した会社に転職したのだった。
佐藤麻美子のフォローもあり、今井隆の起業したIT会社は毎年、順調に売上げを伸ばしていき、今では従業員を5、60人ぐらい抱えるまでの中規模の会社にまでなっていた。
そして、今井隆は、念願のマイボートを手に入れたのであった。