書くことでしか世の役に立てない男【自己紹介】
https://note.com/ymu_cats/n/nb378f5c0e0e2 より
書くことでしか世の役に立てない男
自分を一言で表すなら、このタイトルになります。
まず生粋の文系です。岐阜で生まれ愛知で育ち、生まれてはじめての言葉が「Apple」だったから、
「おおこいつは将来のスティーブ・ジョブズか!!」と期待されていた割に、気がつけば東京でしがない新聞記者をしている凡人になっていました。
これまでの経歴を振り返ると、ほんとうに書くことだけの人生でした。
ブログで人生を学んだ男
普通、文系という生物は読書家です。自分も小学校まではそうでした。愛読書が「かいけつゾロリ」の、よくいる陰キャ小学生です。
しかし中3でブログに出会うと、私は活字を見る時間よりも文章を書く時間がだんだんと長くなっていきました。「自己表現」「自己主張」が苦手な自分にとって、黙々と、しかし確実に自己主張をできる環境というものはブログにしかなかったのです。
そんな、高1のある日。
だらだらと続いていたブログを更新し続けていたら、急に当時片思いだった子からメールが。
そりゃあワクワクしますよ。心拍数上がりますよ。
とびきり明るくて、趣味も合うし、顔もかわいいし。
放課後(愛知県民はこれを”業後”という)には一緒に絵を書いたり、謎の踊りをしたり、一緒に県道46号線を歩いて帰宅したりしながら、過ごしていました。ほんのりと恋心を抱きながら。
そんな人からメール、なんだろう、なんだろうと、ケータイをぱかっと開けました。まだガラケーだったからね。
そこには、
私のことをブログに上げるな
とだけ書かれていました。
そして続けざまにメールが。
このメールが来たこともどうせブログに上げるんでしょ?
以来長きにわたり、彼女は自分に口を聞いてくれなくなりました。
他校の、自分とは全く属性の違う、ザ・野球部のキャプテン!風の彼氏を作り、自分の存在を影にして、彼女は高校3年間、太陽のように輝いていました。
普通はこんな経験をしたらショックでブログなんてヤメます。
自分もいいました、もうブログやめるって。お前のことはネタにしないって。
しかし、すでに私の生きる場所はブログにしかありませんでした。サーバー上のテキストデータ、数キロバイトを書き換えることでしか、自分の人生を表す場所は無かったんです。山内の言う「ブログやめます」は、田代まさしの「麻薬やめます」と同じくらい説得力のないものだったんです。
現にまたいまここで、ネタにしているしね。
すまん、初恋の人よ。よっぽどエゴサでもしないとこのページにたどり着かないと思うから。許してくれとはいいません。なるべく苦しみながら死にます。なんでもします。年収2000万円になって嫁に迎えに行きます。
営業会社でタダ働きで書き続けた男
そんなこんなでブログを続けました。青春をモンハン3Gとブログに捧げたといっても過言ではありませんでした。大学時代はGoogleの「Blogger」でスマホブログを運営し、収益化。そこで仕入れた知識をアルバイト先のドコモショップで披露し、そこでお客様から貰ったフィードバックや、店員だからこそ知れる(でも機密保持契約はきちっと守る)情報を、またブログで発信し、自分の知識にしていきました。
アドセンスやアフィリエイトの仕組みもこの時学びました。
そして社会人。
当時、Googleのなにかしらの規約にひっかかり、ブログはデータごとGoogleに存在を消された直後だったこともあり、「これからは仕事に集中する!待ってて、お父さん!」と、なにも父と約束をしてないにも関わらず、父の名にかけて仕事に打ち込みました。
心がけたのは、なんでも手をあげること!
前職では営業会社でありながら、雑誌の編集・出版もしていたので、まよわず編集委員に名乗りを上げました。
またSNSの運用、ブログの更新、求人広告の制作、とにかくやれることはなんでも!手を上げました。
結果!
給料は同期とビタ一文変わらないのに!
残業時間が倍以上ある!
書くこと自体は正しいのですが、本業でもなければブログのように副業でもなく、タダ働きで会社のためにひたすら文章を書き続けました涙
具体的には、ブログを1日5記事、フェイスブックを毎日更新、Twitterアカウント2つを運営しながら、お客様から求人広告の受注があれば、(本来はお客様からデータを貰うべきものを)自分でヒアリングして、テキスト制作、写真選定までぜんぶやっていました。しかも定時の間はひたすら営業電話を掛けないといけないため、これらの仕事は全部残業。朝は始業の1時間前、夜は終業の6時間後まで仕事が続いたこともあり、家計簿を見返すと19年2月のレッドブル・モンスターエナジー・リポD代が計5000円を突破していました。
ブログに救われた男
無理。これ以上仕事続けるの、無理。
そう思った私は、リクナビでもエン転職でもなく、元カノに「転職をすべきか」相談。
「いいじゃ~ん、転職しちゃいなよ!」
と、あまりにも軽い言葉。しかし、それが逆に自分の背中を推してくれました。
翌日、退職届を提出。上司に「勝手だなあ」とぶつくさ言われましたが、当時すでに上司よりも元カノのほうが大事だったんです。(でも1ヶ月後フラれた)
このとき、ブログの実績を評価していただいたのか、立て続けにライターの以来がlancersなどを通じて自分に舞い込んできており、月4万円くらいを本業とは別に稼いでおりました。
これがなければ無職期間中に破産していたんじゃないかと思うと、過去10年間、とぎれとぎれながらもブログをやってきてよかったなあと思ったのです。おあつらえ向きに、ちょうどフラレて仕事どころじゃなかったしね。
書くことで飯を食っている男
そして新聞記者として転職しました。
前職ではタダ働きだった執筆業でお金をいただけるなんて!
と、初任給を貰った時に感動した記憶があります。
え?給料?なんにも案件とってきてないですけど?なんの成果も上げてませんけど?貰っちゃうよ?いやダメでしょ~貰ったら。そうやって私を試そうとしてるんでしょ?貰っちゃダメなんだよね?でもいいや~~~貰っちゃうっぴょ~~~ん~~と、UFJの預金残高を見ながら有楽町のビル街を10センチくらい浮きながら歩く人がいたらそれはきっと私だったんだと思います。
前職では月100万円を売り上げようと、80時間残業しようと、いつ減給されてもおかしくない状態だった私。毎月のように試用期間の給料に落とすぞ、その先には解雇がまっているぞ、と言われ、脳みそが腐るほど営業電話を掛けまくった私。そして早朝出勤して1日200件電話を掛けたら日には逆に「こんな件数掛けられるわけがない」と怒られる私。みんな死ねばいいのに。
それが半年後には有楽町をリニアモーターカーのように浮いて走っているわけですから、人生よくわからないです。
もっと役立ちたい。夢はないけど目標ならある。
こうして現在に至るわけですが、人生のあらゆるステージに「書く」という行為が紐付いていました。中学校からガラケーで始めたブログが高校で人生を狂わし、大学で認められ収益にもなり、新卒でそのライティング意欲はすべて無報酬のタスクとして消費され、絞り尽くされたタイミングで「記者」という肩書にたどり着きました。
そんな半生を送った私。これまでの自分の行動原理は
「今一番やるべきことをしろ」でした。それが真理だと思っていたんです。
いや、というか、それが自分にできる精一杯でした。そしてそのやる気の行き着く先がブログでした。
ただ、自分の中の「最重要タスク」は、多くの場合他人にとって
「どうでも良いこと」であるということを、余裕のできた最近になって学びつつあります。
例えば「大井町線に乗ってきた」という記事は誰の役に立つんでしょうか?
九品仏で最後の1両だけドアが開かないという話は、九品仏を初めて使う人にしか役立ちません。
いや、書いている本人はめっちゃ楽しいんだけどね…。
それでは娯楽止まりになってしまいます。
じゃあ、もっと誰かに役立たせるためには?
自分にとって重要なことと、他人にとって重要なこと。
この2つが並列しているとしたら、他人を優先させてあげる。
自分の幸福や満足ではなく、他人の役に立てることをまずやってみる。
そうしようと思ってるんだけどなかなか難しい、と、仕事・恋愛・ありとあらゆるステージで痛感する日々。一方で、結局私には書くことしか能がないし、趣味がない。
だからこそ、まず1年で、1000人に見られる記事づくりを。
そして2年で、1000人に買われる記事づくりをしていきます。
行き着く先には、「儲けたい!」という願望があり、
将来的に自分のメディアを持つという目標があります。
一発逆転できる人格でもないですし、
手のひらの運命線は干からびかけたミミズのように、うっすら&へにゃへにゃです。
当面はコツコツやるしかありませんが、がんばることにしましょう。
そのためにも自分ひとりで頑張っていくだけじゃなく、
ゆるくつながれる環境で、いろんな人と頑張りたいと思います。