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突然目の前に現れた、「僕がやらなきゃ」と思える仕事。そんな仕事にまた、出会いたいです。

2006年に転職した際、転職成功者としてリクナビネクストさんに掲載いただいた「転職成功者ストーリー」 https://next.rikunabi.com/shintenchi/ji_03.html から、下記抜粋させていただきます。古い記事になってしまいますが、自分という人間のパーソナリティや働き方を理解して頂くうえで有用ではないかと思い、ここに転載させていただきます。

ここに書かれているような、天職と思える仕事にまた、出会いたいと考えています。

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学生時代から「ものづくり」の仕事を希望していた平沢さん。編集会社に入社し、会社案内など広報媒体の営業から企画制作までをこなす大忙しの毎日を過ごした。次のステージを目指し転職した学習塾運営会社でも、ものづくりの仕事が楽しめる環境があった。生徒募集のための広告媒体や広報誌制作がメイン。経験を活かし仕事に没頭した。ところが1年ほど続けるうち、徐々に違和感を覚え始めたという。

「それまでは、好きなものづくりの仕事を楽しめればそれでいいと考えていました。しかし、30歳を目前に控え、このままでいいのだろうかと漠然と思うようになったんです。楽しいだけでなく、何かもう一つ、仕事をするうえでの『軸』になるものを持っていないと、この先頑張り続けられないんじゃないかって」

そんなある日、運命の出会いが訪れる。軽い気持ちでリクナビNEXTを検索するうちに、偶然メディネットの求人を見つけたのだ。“副作用の少ない第4のがん治療法”として注目を浴びる最先端治療「免疫細胞療法」と、その受診医療機関の情報提供をする広報宣伝職の募集。「こんな治療法があるのか!」と、ページに釘付けになった。

「というのも、僕は親をがんで亡くしているんです。だから、どうしても人ごとには思えなかった。『この療法をもっと早く知っていれば』と悔やむと同時に、僕と同じように後悔する人を少しでも減らすこの仕事を、僕がやらなくてはと思ったんです。今までの経験も活かせるし、絶対に人の役に立てる仕事だと。このとき初めて、『仕事を通じて社会貢献がしたい』という、もう一つの『軸』を見つけました」

「使命」とも思える仕事を運命的に発見した平沢さん。何としてでもメディネットで働きたい。そのために「できることは全部やろう」と転職活動に臨んだという。
「応募フォームを送信後、すぐに履歴書と職務経歴書を送りました。納得のいくものを提出するために何十回も下書きをして。履歴書は、ちょっと文字が曲がっただけでも一から全部書き直しました」

熱意が実り、無事に書類選考を通過した平沢さん。面接に向け、熱意はさらに増すばかりだった。
「この仕事にかける想いや、今までの仕事をポートフォリオとしてまとめ、面接に持ち込んだんです。入社後はこうやって何かをPRする仕事に就くわけですし、面接で自らを『宣伝』することでスキルを伝えようと考えました。面接の場では、アピールできることは全部したし、聞きたいことはすべて質問しました。とにかく、『これでダメならしょうがない』と思えるまで、徹底的にやってやろうと」
その思いは面接官たちの心を打ち、平沢さんは晴れて内定となった。

転職して約2年半。社会貢献の使命を感じながら、一人でも多くの人に免疫細胞療法を知ってもらおうと、新聞・雑誌への広告出稿や、Webページの企画など、幅広く業務をこなしている。「できることは何でもやろう。そして、僕だからこそできる仕事があるはず」との熱い想いは今も変わらない。
「患者さんやその家族から、『こんな治療法があったなんて!』などの反応があったときはやりがいを感じますし、自分の関わった広告で患者さんのお役に立てるのは本当に嬉しい。この仕事に出会えて幸せです」

平沢さんの転職活動Q&AQ 求人はどうやって検索した? A トップページの職種欄にある「企画系」もしくは「クリエイティブ系」から検索したり、フリーワード欄に「企画」「制作」などと打ち込んで検索しました。 Q メディネットの面接は何回? A 2回です。こちらのアピールに熱心に耳を傾けてくれたので、一生懸命熱意を伝えました。一次面接終了後は、喫茶店で一人反省会。受け答えの課題などをまとめ、次回に活かしました。 ベンチャー向きの「主体性」を評価当社の事業に対する「共感」は強いものがありました。中にはうわべだけの過剰なPRをしてくる応募者もいますが、彼の場合は一つ一つのPRにも経験に裏付けされた根拠を感じたので、納得できましたね。「できることをやってやろう」というベンチャー向きの主体性が感じられ、働き方が当社に合っていると評価しました。