座右の銘はWhere there is a will, there is a way.です。 高校生の時にお世話になった恩師から、卒業時に送られた言葉で、自分のやりたい、なりたい姿を求めている私にはぴったりだと思いました。 一見すると、何がしたいか分からない人間かのように見えるキャリアを築いているかも知れませんが、常にそこには理由があり、掴みたい未来を描いています。
私が持つバックグラウンドやスキルが誰かを笑顔にするような、大変さを少しでも軽減できるような、そんな仕事ができる人になって、世界を舞台に活躍したいと思っています。 ただそこにはいくつかの障壁がある事も事実で、私はシングルマザーなので転居や残業が難しいです。
主にゼネコンからの依頼を受けCGパース、VRの制作ディレクションに従事しておりました。 制作のメインはベトナムやフィリピンのパートナー企業へ依頼し、成果物の確認や修正指示、納期前には自ら手を動かし精度を上げて納品、というフローで行っていました。
AutoCAD、Revitを使用し、基本設計~実施設計、プレゼンテーション資料として3Dパース、Twinmotionを使用してCGアニメーションや簡易VRの作成に従事しておりました。 設計業務の主となる基本プランニングは設計士である所長が担い、現地調査から申請書類作成、議事録の作成や日程調整のサポート
英国、米国、それぞれの文化、政治などを学び、私は英国が好きなので、英国の文化や歴史的背景を捉えながら原書を講読などしていました。 また音声学や言語学などの基礎も学び、ただの英会話とは全く異なる会話法を学びました。
たこ焼き屋、ラーメン屋、BMWディーラー、と様々なアルバイトを経験し、4年時には1年間ホテルのレセプションで勤めていました。 幅広い接客業を経験し、最後1年間は高いコミュニケーションスキルが必要とされ、時には英語での対応もさせていただき、社会人に必要とされる対人スキルやマナーが磨かれた4年間でした。
12歳で同級生10数人と指導者と立ち上げた、イングリッシュハンドベルチームに所属し、いつの間にかたった1人の最年長として、20人弱のチームを引率する存在として活躍しました。 福岡県で開催されたハンドベルアジアシンポジウムには指導者と共に10数人の10代のメンバーを引率し、演奏においても指導者の右腕としてチームをまとめていました。 卒業後は事実上引退し、後輩指導に注力していましたが、10年以上1つのチームで中心となって活動できた事を誇りに思っています。