振り返り
稀にみる転職回数ではありますが
自分としては10年毎の計画に向かい進んできた結果と捉えています。直近10年間は最愛の子供、父親の不幸等、困難な時でした。20代~30代は自分が思った欲しい経験値を取りに行くがゆえにベンチャー企業、その時のタイミングと需要により企業を変わり、攻めの姿勢とリスクをとってきた結果、仕事の経験値だけでなく、かけがえのない人脈も得られた次第です。とは言え、もう少し賢く立ち回れたかとも思う反省点はあります。
インターネット黎明期から今日のAI時代まで、HTMLコード修正、バナー作成、Flash制作などコンテンツ制作、そして企画、Webサイト運営、デジタルマーケティング、そして新規事業と仕事を徐々に上流工程へと成長させキャリアを重ねてまいりました。当初「点」としての多様な経験は、事業成長を推進する「線」となり、ビジネスとテクノロジーを繋ぐ「面」としての専門性を確立してきました。ドットも集まると絵に見える如く。
”20代 いざWeb業界へ”
大学卒業後にマイカルという今でいうイオンに相当する会社です。入社ごにまさかの経営破綻。出直すにあたり、大学で学んでいたWebの道に行こうと決めて、半年間専門学校でスキルアップ。
そしてキャリアの始まりは、幸運にも松下電器産業株式会社の広報本部のWebマスターでした。当時は未だ企業がWebサイトを持ち出した時代。とはいってもWebを除けば世界的メーカーとしてのルールやマニュアル等は整備されており、それを学ばせて頂きました。今日に至るCIマニュアルなどを整備しておく意識がここで身につきました。
次に、BtoC向けのコンテンツを作る、サービスを運営する経験を積みたいと思い、東京の会社に移りました。ここはNECの社内ベンチャー第2号の会社でした。ここではtoC向けのコンテンツ制作と、営業の基礎をたたき込まれました。オンラインとオフライン施策にて顧客の会員向けサービスのリアルイベントとWebサービス連携、アンケート実施などを行いつつ、新規獲得の営業では提案資料作成、コンサルテーションにおける方法論、提案書作成を日々遅くまでみんなで頑張っていました。当時の先輩が猛烈営業マンでしたので、鍛えられました(今では笑い話ですが、ストレスで夜間救急にいったり、10円〇〇が出来たりと。働き方改革前、ベンチャー企業ではよくデスクの下で寝たりが当たり前の時代でした。)
20代後半では、モバイルサイト最盛期、i-mode全盛期。モバイルコンテンツの経験は必要不可欠。そんな折に、TVの番組制作会社&イベント演出会社にて某格闘技のオフィシャルサイトのプロデューサーに。プロデューサーとはいえど、小さな組織なので何でもありです。しかも、放送イベントという現場中心の中でのサイト運営、駆けずり回り、台本を巻く、台本の表紙デザインをする、リングに上がってマイクテスト「●●、出てこいや!」(声が小さい!と言われてバトンタッチ(笑)リングの上は回りの声が少し聞こえずらいんですね。 試合前後で選手インタビュー、選手のボイス収録、試合中は放送局と主催の間で情報の出す時間の交渉、選手のお宝グッズ獲得、チケット販売管理、TEL対応と目まぐるしい日々でした。
今では放送とWebとイベントが連動するのは普通ですが、当時はバラバラで、間を人が何とかつなぐ世界。タイムテーブルにそって、タイミング命です。リアルタイムのスリリングなこと。。24時間臨戦態勢。ここでの3年間で、イベント、展示会の基本的な部分も学びつつ、コアなファンに向けたサービスサイトの経験を得られました。
海外、シリコンバレーとのスピードと国内の遅さを経験。国内外の垣根はなく良いものは広まる。
世の中にネット常時接続ADSLが出る直前。今は無きPHSを持ちいた常時接続サービスが誕生。PDAは御存知でしょうか?昔、SHARPさんが電子手帳なるものを開発(https://corporate.jp.sharp/corporate/info/history/only_one/item/t20.html)後にスマートフォンの前身となる端末、PDAが流行。この端末がブラウザを装備し、通信カードが使えるとなり、パソコンがなくてもインターネットやメールが見れるという時代がありました。私も大もデジタル好きでしたので購入して使うなかで発見したのが、インターネットラジオがどこでも聞ける!でした。つまり、今でこそSpotifyですが、当時はインターネットラジオがその走りでした。そこで国内外をリサーチ。海外ではかなり流行していて各ISPでは音楽配信サービスが提供されていました。「これを日本でやろう」と思って、ダメもとでアメリカのLIVE365社へコンタクト。これが私の海外初仕事でした。提案書を書いて、中1日で回答を返す事を繰り返し、3回渡米して構想と交渉。スピード感が早いというのが印象でした。 そして国内問題が音楽著作権。JASRACが管理しているのですが、これが動かない、煮え切らない。今は海外音楽が気軽に聞けるようになりましたが、当時は時間が足りなかった。泣く泣く断念。 当時のことを書いたサイトがありました。https://zenigeba.exblog.jp/3004261/ 。スマートフォンが登場したのはこのすぐ後です。
この事業での経験は、世界とのビジネスはスピード感とタイミングと熱意が大切ということ。そしてお互いのゴールをしっかりと共有、グリップ出来ているか。当時の私がいた会社は5名。たいして、先方は全米3位、100名程の企業。本来であれば、大手商社も手を出していたタイミングでしたので、そちらと組むところだったのにと思います。その後数年で音楽配信がポッドキャストから始まり今に至ります。
30代 旅行+ECの世界。そして新規事業へ。
BtoB,BotC,モバイルを経験し、ここから何をするか?で選択したものが、趣味でもある旅行でした。 ちょうど楽天トラベルが浸透しだしたころ。
商品企画、コンテンツ制作、ECによる予約運用を一通り担当。ユーザー心理を捉えたコンテンツ作りやサイト分析、SEO/SEM対策といった基盤スキルを培いました。沖縄旅行、北海道旅行のワードを楽天トラベルさんと順位を争っていました💦 この運用経験は、その後の大規模サイト(航空会社、住宅、ポータルサイト等)におけるUI/UX設計や集客戦略立案の礎となっています。
旅行予約サイトは今でこそオンラインが主流ですが、当時はパンフレットとの戦いでした。まだ世の中の人はWebの予約に慣れていない所を引き込む。価格だけでなく、Webのリッチさで如何にサイト上のUXを引き出すかが勝負でした。
UIは旅行のダイナミックパッケージサービスの開発で鍛えられました。「日本初ダイナミックパッケージ」や日本航空の同サービス開発 。複雑な予約を予約モジュール上で実現するにあたり、当時いち早くAjax利用。制作会社と四苦八苦。しりょう今でこそ、様々なライブラリーがありますが、当時は組むのにプログラマーにさらには複数社での新規事業立ち上げ(カーボンオフセット値管理、オンライン診療、ヘルスケアアプリ等) は、市場ニーズを捉え、企画段階からシステム開発ディレクション、アライアンス構築、導入、そして事業化へと導く「ゼロからイチを生み出す力」と実行力を鍛えました。この過程で、異なる分野や企業との連携、困難な状況での課題解決能力 も磨かれました。また、20代で音楽配信において海外企業との取り組みはその後の私のグローバルな視点をもたらしました。必要な技術な国内になければ海外企業にコンタクトします。直近もヘルスケア管理プラットフォーム構築でオランダ企業にコンタクト、協業合意。
30代後半では。以前お世話になった社長より新規事業を作るにあたり出戻る。新規事業を計画、事業化にあたり環境省の実証実験に提案。受理され現在は複数社ありますが、カーボンオフセット値のクラウド管理サービスを企画、日本最大手新聞社、販売店、大手電機スマートメーターメーカー、損保会社のチームを組成し実証実験。日刊工業新聞に掲載される。 途中、震災にあい実証実験は中断するが、参画した電動バイクメーカー支援は継続。
40代 マーケティングオートメーションとAI&自分で新規事業にチャレンジ
MA(マーケティングオートメーション、Account Engagement、マルケト) やCRM (Salesforce) を活用し、データに基づいた戦略的なデジタルマーケティングに注力する。リード獲得からナーチャリング、MQLSQL創出といったフレームワークに基づき、売上分析までをシームレスに繋ぐ仕組みを構築を実践。
MAは効果を引き出す為にDB整備、CRMにも取り組みました。単に、MAを入れても差ほど効果は上がりません。2社で実践した結果、1社目は昨対113%、直近の勤務先ではインサイドセールスチームも仕組みに取り込むことで、Webからの問い合わせ数、直販売上を約4倍(約4,000万円から約1億8千万円)に拡大となる。
AIも活用。Google AI Essentialを修了し、本来の使い方を習得。楽にアウトプットというのは断片であり、本来は人がAIと一緒に思考することで人の思考が拡張され、自身にもインプットしていないと判断出来ない、使いきれないことを理解。日々、使い続けている。
少し自身でやりたい事が出来き、ヘルスケア管理プラットフォームの構築に挑みました。
自己資金で、要件定義書から資金調達にあたり商工会議所にも加入し利用してみたりと、全てを自分ですることで勉強になりました。ただ、痛い経験も、外注先が倒産し、自分の事業も大きく後退。リスクヘッジも改めて学ぶ。
50代 さらなる挑戦
AIOによりWebマーケティングのフレームは大きく変わり、広告運用もAIの自動化により変革を迎える今、業界もそわそわしていますが、改めて自分の価値を洗い出す。もともと0→1思考、新規に何かを作る、起こしたい性格な為、うまくAIを取り込みアップデートを継続。振り返ると方向性は悪くなかった見ているので、プラットフォームも諦めずに。まだまだ成長あるのみです。