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働く「ことば」

どうも。
野村です。

はてさて、唐突ですが皆さんは「自分のスローガン」を持っていますでしょうか?
唐突すぎますねえ。
座右の銘、と言うには重すぎる。
かと言って明確な抱負とはまた違う。

私は結構持っています。
例えばこのWantedlyのスローガンは

「さあ、昨日までの自分を超えろ。」

なんですよ。

これはホンダの企業PRのCMから抜粋しました。
本当にいいCMだったんですよ。

但し、ナレーションの俳優がパクられましたが。

何してくれちゃってんのよ、デリヘルで本番強要とかないでしょ〜。
もう見れないじゃないか!

おっと、これはダブルミーニングじゃないですよ!
じゃないですよ!

座右の銘はこのCMの全てです。
長いですよ、行きますよ。

頑張っていればいつか報われる。
持ち続ければ夢は叶う。
そんなのは幻想だ。


大抵、努力は報われない。
大抵、正義は勝てやしない。
大抵、夢は叶わない。


そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。


けれど、それがどうした。
スタートはそこからだ。


新しいことをやれば、必ずしくじる。
腹が立つ。


だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。


さあ、昨日までの自分を超えろ。


負けるもんか。

長いでしょ〜。
まあ

しくじった新井さんに腹が立っていますが!

どこまでそれるんだ、この話w

閑話休題。

自動車・バイクメーカーとWeb企業って実は似ていると思うんです。
どこが似ているかと言うと
「企業としての個性」
「販売したものの先にある『感情』を動かす」
「結果は同じでも過程が違う」
などなど。

トヨタとホンダのキャラクターは全く違いますよね。
トヨタは実績、ホンダは先進性、カワサキは変態。

おっと、いきなりぶっこんで来たぞ川崎重工!

別にお酒のんでないんだけどなあw

じゃあ
Microsoft・Apple・Google
の違いはどうでしょう。
全然キャラクターが異なる3社ですよね。

更に
Amazon・楽天・ソフトバンク
これはもう、別次元で違いますよね。

でも、Webや情報を主体とした会社であることは間違いないです。

それは「働く人」も同じなのではないでしょうか?

例えば、私は守備範囲がぶっ飛んだWebディレクターであり、何でも屋でありUbuntu/Pythonオジサンであります。
一方、PHPに特化したプログラマー、進行管理が得意なプロジェクトマネージャー、ソリューションに特化したプランナー、UI/UXデザイナー、イラストレーター、フロントサイドエンジニアなどなどなどなど。

Web業界だけでも数えても数え切れない業種の人がいるわけです。
それぞれがそれぞれの役割を個人の個性を元に遂行しています。

ならば、働く人はそれ自体がブランドですよね?

かつてタバコ会社に務めていた時によく言われました。

「でた!野村ブランド!」

いや証券会社じゃあるまいし。
まあ、私にしか出来ない仕事を私のやり方で進めていたのは間違いありません。
勿論、企業倫理に外れない範囲内で。

そう言われて、ふと思ったんですよね。

そうか、一サラリーマンでもブランドになれるんだ、と。

だとすれば

自分のアイデンティティを表す言葉があっていいのでは?
自分の役割に応じた言葉をいくつか持ってもいいのでは?

そう考え至ったわけです。

2006年、最初のワードが「Wisotope」でした。
Web+Isotope
ラジオアイソトープ(放射性同位体)のような、危険だけども役に立つWebサービスをつくる人でありたいという思いを込めまして。
今じゃ不謹慎と思われるのかねえ…
ツマラナイ世の中です。

その次が「WIWA」です。
私の実験的サービスのドメイン名です。
再帰的頭字語なのですが
Web Is Wonderful A...
このA...には何でも入ります。
実験的なものだから固定はしていません。
実は一番のお気に入りです。

更にその次が「HYPER IDIOT PIG」です。
まあ、我ながら自虐にも程がありますねw
しかし30ちょっと過ぎになって「自分を過大評価してはいけない」という自戒の意味を込めています。
個人事業主のWeb屋、色んな業種の会社や人と接しますから頭でっかちになってしまうのではないかという「恐怖」によって自分の軸がぶれないように、敢えてこの言葉を選びました。
この世界、無知の知が大事ですから。

その次は…まあいいでしょう。
封印です。

その時その時の自分の状況、立場などを踏まえて、言葉を選ぶようにしています。

働く人と対になる働くことば

を持つことで、自分の軸はどこにあるのか、価値を持てる努力を怠っていないかを確認しています。
また、この言葉は「ことば」と開いてイメージしています。
言語としての「言葉」と、自分のブランドイメージとしての「ことば」を使い分けたいからです。

これらの「ことば」には三つの原則を持たせています。

「妬むな、嫉むな、僻むな」

随分と尖った、マイナスイメージな漢字が並んでいますが、これは私の「生きる上でのモットー」です。

他人を憎々しく思わない、妬まない。
他人と自分を比較して卑下しない、嫉まない。
妬みや嫉みを周囲に巻き散らかさない、僻まない。

いつの頃かわかりませんが、高校を出た当時には心にこの「ことば」がありました。
理由は…覚えていません。
誰かの「ことば」なのか、自分の「ことば」なのかさえ判別がつかないほど、曖昧な出自です。

まあいじめられていた中学生だったのですが、それでも自分を曲げなかった「中二病特有の謎の反骨精神」から生まれたのでしょう、多分。

41歳の春、未だ中二病は完治せずですが、なにか!?

うんまあ、自分で言うのもなんですけども、悪くない「ことば」だと思いますよ。
妬む、嫉む、僻むヒマがあったら、それを気にせずに前に進んだほうが絶対にいいんですから。

人生には「必要な無駄」と「不要な無駄」がありますが、この三つは完全に不要です。

しかし驕り高ぶりを増すと忘れてしまうのが人間ってやつなんですよね。

だから、「働くことば」に組み込んでいるのです。

定年も何もない商売、逆に生涯現役を貫きたい私ですから「働く」ことは「生きる」と同義なんですよね。

勿論、私は聖人君子でも何でもありませんから、忘れられない腹も立つことなんか沢山あります。
当たり前ですよ、俗人ですから。
ただし、それらに引きずられて生きていたくもないもの事実です。

めんどくさいし。

ということで「働くことば」を持つと軸がブレなくていいよ、自分自身を再確認できるよ、よかったら皆さんも持ってみたらいかがですか?
というお話でした。

もう夜の2時半だ。
寝よ寝よ。

推敲はまた今度!