ノーベル賞とイノベーションの共通点
イノベーションとは新結合である。大学時代に習った経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの言葉だ。
今日ほどこの難しい言葉の意味を理解した日はない。仕事で新しい価値を創りたい人、何か社会にインパクトを与えたい人にとってはまさに、考え方のイノベーションだ。なにせ、イノベーションとは誰にでもできる、ノーベル賞と同じ思考プロセスだからである。
高校時代の友人と2年振りに飲みに行った。大人になるというのは面白いもので、高校時代のクラスメイトが何かのきっかけでいきなり意気投合するということが起こるらしい。
というのも、僕らの通っていた高校は理系が強く、文系の僕からしたら興味の対象が違う人が多い。彼は、理科も数学も得意であり、化学の点数16点、数学は毎回補修の僕からしたら、彼は全く別の人だった。しかし、ひょんなことからそんな彼とお酒を交わしながら語り合ったのだ。
ド文系の僕からしたら、彼の話は全てが新しい。彼は大学院で生命科学を研究しており、タンパク質と日々向き合っている。正直、その時点で僕からしたら意味不明である笑。ただ、話を聞いていると想像以上の面白さなのだ。
彼はシンガポールのとある学会で表彰されたいた。凄すぎである。その学会にはノーベル賞受賞者も来ていたらしく、ノーベル賞の話をたくさん聞いていた。このノーベル賞受賞のプロセスが面白いのだ。人類を前進させた大発見の多くは、実は偶然の発見なのである。
例えば、ペニシリンを発見したフレミングは、実験中のペトリ皿にクシャミをし、 数日後、唾液が付いた場所の細菌のコロニーが破壊されているのを発見した。これが偉大な大発見の元となったのである。
偉大な発見は、偶然が生んだのだ。元々世の中に存在していた「唾液」と「コロニー」が、偶然という触媒によってつながって、フレミングの好奇心で実験を進めた時、人類を助ける薬ができた。
科学とは、綺麗なロジックの積み重ねだけでなく、神様からの偶然のプレゼントでもあるらしい。
このように、イノベーションとは、偶然という触媒で既存の何かが混ざった時、好奇心というスパイスを加えて起こる。イノベーションとは新結合であるとはこういうことだ。
これは、新しい価値を創ろうとしている人にとっては発想の大転換ではないだろうか。
イノベーションを学ぶ時、0→1を創る必要性を学ぶ。ただ、問題はその方法がわからないことだ。しかし、ノーベル賞の話を思い出して欲しい。世界を進める大発見は、既存の何かの組み合わせによってできている。既存の組み合わせで良いのだ。
ノーベル賞がそうであるならば、仕事やビジネスではなぜそうではないのだろう。
ビジネスのイノベーションこそ、既存の何かの掛け合わせなのかもしれない。そう考えれば、イノベーションを生み出すのに天才である必要はない。
「どうすれば価値を創れるかな?」という0→1の発想ではなく、「何と何を組み合わせれば価値を創れるかな?」という1×1の思考をすれば良いのだ。
すでに僕たちは社会を変えるイノベーションの種を持っていて、あとはそこに偶然と好奇心というスパイスを混ぜるだけで良い。
これは、ド文系の僕がド理系の友人と話していて発見したイノベーションである。このイノベーションもまさに、僕と友人という、既存の二者の掛け合わせである。そして、この二者の世界が離れていればいるだけイノベーションの幅も大きくなるのだろう。
そういう意味で、人と人とが出会うことも大きなイノベーションだ。違う何かと違う何かが出会う時、社会は少しだけでも良くなるのかもしれない。
自分自身がもっと違いを楽しめるように。そして、日本全体がもっと違いに優しくなれるように。
社会とは、人と人との掛け算だ。