30年間墜落しなかった会社の物語(99%の人のためのアンチヒーロー的起業家回顧録)
第1部「創業までの話」
序章:30年目のシドニー
33年前、この街に住んでいた。
若かった。何も持っていなかった。自信なんてまるでなくて、不安ばかり抱えていたくせに、変にイキがって強がっていた。
まあ、それが若さというやつだったのだろう。
30年ぶりに訪れたシドニーは、いろんな意味で別の街になっていた。
街の顔つきも変わった。再開発で中心部の建物は大きく様変わりし、当時は一日中渋滞していたメインストリートも、いまはLRT(路面電車)専用となり、車の進入は完全に禁止されていた。
そして何より、圧倒的に人の数が増えたという印象が強い。
人の色も違う。インド系、中東系、アジア系。多様性がどうのこうのって話じゃない。風景が、音が、においが、当時とはまるで違っていた。。。
だが、一番変わったのは自分自身だろう。。。
あの頃、オーストラリアの永住権を取ろうと、本気で考えた。
でも途中で、見切りをつけた。
代わりに、永住権がなくても好きなときに好きなだけ来られるような経済力を手に入れればいい。そう考えて、日本で仕事に打ち込んだ。
作った会社は、何度も危機を乗り越えながらも、なんとか生き延びた。結果、それなりに稼げるようになった。
で、今こうして、またこの地を踏んでいる。
ある程度は、思い描いた通りになった。
大金持ちではないけれど、思いつきで旅ができるくらいの金と時間は手に入った。
たしかに嬉しい。
けれど、何かが違う。
あの頃のようなギラギラした目も、何がなんでも掴みとってやるという覚悟も、今はない。
安定した収入、家族、そういう守るものを手に入れた代わりに、どこかがスッと抜けてしまった。
一緒に過ごしていた仲間は、貧乏なやつが多かった。
でも、それがなぜか誇らしかった。
未来は白紙だったから、いくらでも描けた。いびつでも、雑でも、可能性だけは無限だった。
今は違う。未来は、だいたい見えている。
それなりにうまくやってきたし、ある程度の成功も手に入れた。
けれど、それが「確定した未来」だということが、ふと寂しくなる。
あの頃は、ポーカーのテーブルで、無いチップまで賭けてた。
勝てる保証なんて無いのに、なぜかイケると思ってた。
今はカードを置き、ロビーでアイスコーヒーを飲んでいる。
でも、まあ悪くない席だ。
レストランで皿を運ぶ若者を見て、「ああ、自分もあんな顔してたな」と思った。
目がギラついてて、何かを掴もうとしていて、でもまだ何も持っていなかった。
そのくせ、やたらとプライドだけは高かった。可愛げのない若造だった。
住んでいた頃は、地元民ぶってオペラハウスやザ・ロックスなんて眼中になかった。
でも今回は、行ってみた。
のんびり歩いてみると、これが案外悪くない。
昔の自分が見下していた浮かれた観光客たちも、今見ると妙に愛らしい。
自分もそのひとりだ。
年を取るって、こういうことかもしれない。
道ですれ違う誰かの顔が、ふと昔の友人と重なる。
あの人は今、どうしているだろう。
生きてるのかな、ちゃんと笑ってるかな。
当時の仲間は、ちょっと変わった奴が多かった。
良く言えば個性派、悪く言えば”まともじゃない”社会不適合者。
自分はどっちだったかって?
一流企業を辞めて単身オーストラリアに来て、アルバイトで食いつなぎながら、まあいろいろ悪い人たちとも付き合い、お金持ちとも付き合い、ホームレスと人とも付き合いがあった。”まとも”じゃなかった。。。
それが、気づいたら、“まとも”になってた。
それが、寂しさの正体だったのかもしれない。
あの頃、金がなかった。
だからこそ、日々の暮らしに工夫が必要だった。
バイトを掛け持ちして、その日暮らし。
夢はきっとかなうと思っていたし、時間も無限にあるような気がしていた。
給料を全部ぶっこんで、好きな子にプレゼントを買った夜。
水族館の裏手に忍び込んで、ホームレスの親父と釣りをした夜。
そういうくだらない、でも全身を使って生きていた夜が、今でも心の奥で光っている。
今の自分は、安定した暮らしを守ってる。
家族を食わせ、住宅ローンを払い、老後の備えもしている。
あの頃の自分が一番嫌っていた、“普通のオッサン”になった。
けど、それもまた、悪くない人生だったんじゃないか。
自分の尺度で見れば、充分にやった。
足りないものは、ないわけじゃないが、たくさんあるとも言えない。
あの頃、あの街で、無茶で無様で、夢だけで生きていた自分がいたこと。
その時間があったからこそ、今の自分がある。
それを確かめたくて、今回の旅行を思いついた。
(つづく)