49歳で発達障害と診断される
私のキャリアの始まりは、実は北米でした。北米での仕事は最初は怖かったですよ。英語もしっかり話せないし、いつでも即解雇になると聞いていたからです。でも、真実は逆でした。
北米では12年就労し、その間、仕事は3社。帰国して10年、その間働いた企業は6社。全て日本文化特有の会社都合の退職を自主退職として会社を離れたのです。6社のうち、2社では大幅な減給もあり、その2回は予告なしの減給でした。日本の法律では、減給も解雇も難しいと言われますが、実際中小企業では起きています。
そんな企業文化は今更どうでもいいのです。問題は、なぜいつも同じように圧力を受けることになるのか、期待値に応えられないのか、その方が問題でした。
私の大学時代の専攻は心理学です。発達心理学、生物心理学、犯罪心理学、様々な心理学を学びました。兆候はこの時期にありました。私は毎日大学の授業の後、図書館でとにかく教科書を読んでました。夕食を食べた後も図書館に戻り勉強を再開。まるで受験生の様でした。
でもテストを受けるとほぼC。
何かがおかしい...
勉強の仕方が悪いというのは理由の一つにあるだろうと思っていましたが、それだけじゃないとも感じていました。
49歳の時、職場で業績がいい時とポンコツの時とギャップが日本とブラジルの距離並みに開きがあることが目立つようになった時、思い切って大人のADHDを疑い精神科を受診。結果、「ASDとADHDですね」と診断されました。
その先生は、アメリカでも勉強されていた方なので、私の北米時代の話をすると、「日本だと生きづらいでしょう? アメリカでも生きづらい人もいるかもしれないけど、シリコンバレーではADHDの人だけでクリエイティブな部署を作って、前例のない発想を形に出来るような試みもしてたりするから、発達障害の人の居場所もまだあるからね」と教えてくれました。
49でADHDと診断されていたということは、北米時代も勿論ADHDだったわけですが、生きづらさを感じたことはありませんでした。当時バンドを組んでいましたが、アメリカ人の二人のボーカルはADHDでした。今思えば私含めて3人もADHDがいたんだなと。
でも、診断を受けて安心できました。理由が特定できたのと、強みのハイパーフォーカスや創造性はやっぱり偶然ではなかったことを確認できたからです。
以来、転職活動は上手くいきませんでしたが、なぜか外国籍の採用責任者と一次面接をすると通過するのに国内チームの人たちと話をすると面白いくらいに不通過になる。このパターンが何十回も続きました。
解雇勧奨を行くとこ行くとこで経験しました。日本では解雇も減給もできない。そんなことが言われますが、その法律をしっかり守っているのは、上場企業だけかもしれません。中小企業では、普通に行われています。特に外資系であれば。もちろん、自主退職として辞めさせられるのでパッケージもでません。
私の場合、業績がいい時と弱みが露呈する時の差が恐ろしく大きく、出来ない時はまさにポンコツそのものです。ADHDやASDと診断した医師には、脳の神経が人とは違う発達の仕方をする、脳の仕様が他の人とは異なることで、興味のない事には全く反応出来ない、締め切りがあると意識があるのにしっかりと着地させられないと言われても、職場では「努力しない」「やる気がない」「仕事ができない」と思われてしまいます。
私の場合は、ASDも持っているので、想定外の反応が来た場合、頭が真っ白になり話を続けるのが困難になります。まさにポンコツです。
でも、不思議とそんな自分が嫌ではなかったりするのです。発達障害を持っている方々は、ポンコツを露呈した時、かなり恥ずかしい思いを感じたりするでしょう。一方で、自分の強みも知っているので、そんな自分が嫌いではないという人も多いと思います。私は発達障害に感謝することが増えてきました。
まず、診断をされれば行政からの支援を受けられる。この事実を恥ずかしいと思うか、そう思わないかで、今後の人生の送り方が変わってきます。
冷静に考えてみて下さい。「障害」とつきますが、インフルエンザと違って処方箋で治るものでもなく、一生持ち続ける特性です。しかも、自分も遺伝により同じ特性を受け継ぐことになったし、そんな自分の子供も受け継いでいます。
でも、自分が診断を受けたことで、自分の子供達が受け継いでも原因が理解できるので、温かい言葉をかけてやることができます。
2つ目の感謝は、発達障害でどこに行っても解雇勧奨で転職を余儀なくされました。でも、1年も経過しないうちにまた同じ末路を迎えます。50近くに差し掛かり転職活動で面接が入っても、毎回在籍期間が短いという理由が不通過の理由の一つともなり、転職先が決まらなくなってきて、無職を初めて経験することになります。
今までの蓄えを使って毎月の支払いや生活費を賄います。それも長くは続きません。でも、こんな時でも発達障害に感謝できるのは、娘たちが親を一番必要とする時期に、子供に一日中向き合えたことです。授業参観、幼稚園の送り迎え、子供の歯医者や病院の手配、学童の迎え、朝夕ご飯の用意と学校へ行く娘の送り出し。。。
こんな些細な事ですが、主夫を経験した自分にとって、ワンオペの苦労を味わえたことで、世の奥様方の苦労が理解できたこと、子供とずっと長くいられたこと、男は一家の大黒柱だという昭和の概念は、令和では神話に過ぎないと思えたこと、何よりも発達障害に真摯に向き合えたこと、これは自分が当事者になっていなければ絶対に味わえなかった貴重な体験です。
この体験から、私は面接の度に自分が発達障害であることを先に公表するようになります。そこで敬遠する面接官の下へ行っても、また辛い心の傷を負うだけです。自分のカミングアウトを真摯に受け止め、それを受け入れてくれた人の下であれば、自分らしくいられる、そう思ったのです。
皮肉なもので、一度欧州のスタートアップの面接前の下調べの時、その企業が神経多様性(発達障害)に寛容で支援をする文化であるとウェブサイトで大々的に謳っていることを知りました。もちろん、面接で自分の発達障害の事を伝えました。すると、その面接官は、発達障害の事は何も知らず、逆にあたふたし始めました。案の定、翌日に不通過の連絡が送られてきました。
企業がウェブサイトで謡っている発達障害の方々への寛容な文化であることは、恐らく本国では事実化もしれません。しかし、障害について理解することと、受け入れることは全く異なることです。受け入れられない人は、ずっとストレスを感じるし、また受け入れられていないと感じ続けるのもストレスです。
このブログでこんな事実を書くのは、私の将来において不利になることも多々あるでしょう。しかし、私のような障害を持ち声に出せずに匿名のブログの中だけで吐き出せるだけの人にも勇気をもってオープンにし、自分らしさを保ってほしいと願っています。
あなただけではないですから。私も心無いことを何度も言われてきました。でも、治らない障害を悔いても時間の無駄です。治らないなら利用すべきです。私は強みだけのために仕事をすることに決めました。
正社員を選ばず、敢えて業務委託や個人事業主として働くことで、複数の年収の柱で大きな年収にするという方法を選びました。融通が利くようにできるだけフルリモートが出来る職種を選ぶことを始めました。
派遣を含めた契約社員は不安定と否定的に考えている人たちもいるかもしれませんが、利用した方がいいです。契約が1年で終わったとしても、自分がポンコツで使い物にならないと何年もうじうじ言われるよりも、すぐ次の環境へ移ることができます。もっと自分を愛し労わって下さい。そして他の人には見えない景色が見える能力があることに誇りをもって人生を全うしてください。
まずは、出来るだけ個人事業主の登録をしておいて、契約で自分のスタイルに合うものを選んだり、ひとり起業で組み合わせたり、そんな考え方が普通になってきている時代に突入していると思います。皆さんも、諦めずに前進を続けて下さい。