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【...ストリートの片隅で...】①

Photo by Ilja Tulit on Unsplash

※当記事は執筆者の個人の見解であり、弊社意思とは無関係です※

戦後の度重なる設備投資の結果→高度経済成長期を迎え大きく花開いた日本の経済社会。

株価飛び跳ねに伴う地価価値の不自然な上昇から近隣国を巻き込んだ公定歩合の引き下げ合戦。

そんなバブルを飛び越え→盛大に弾け飛ぶが影響もなんのその。

→人々が次の時代を模索し過渡期でもあると感じていた90年代前~後半

あらゆるハイテクな物や価値観が生まれ日本国内の流れもざっと変わりました。

ノストラダムスの予言で世界が滅ぶと言われた2000年を飛び越え

2001年ノストラダムスでなく中東を機に世界情勢は大きく変わり

※筆者の誕生日も何の偶然か9月11日である※

そんな時代に高校で授業を受ける傍ら踊りやヒップホップと言うストリートカルチャーの事で

頭がいっぱいの一人の少年が居た。そう。私筆者でもある yamada tomo"NORI"である。

登校前には必ず※"BEAT STREET"や※"WILD STYLE"を見て登校していた。


これらは80年代を代表するHIPHOPムービーであり先輩からのお下がりの擦り切れかけたVHSであったw
勉強ではなく、その鑑賞の為の早起きは苦ではなくむしろ日課であったと言うか、

思い返せば自分にとっての必須科目はこれであったと言うだけなのであるw

家柄は中流階級の通常の家庭だが抑圧の強い家庭環境で育つ。

勉強なんて大嫌いで大嫌いで学校と言う組織も私は大嫌いであった。

正確に言えば何かの組織に属するのが今でも好きではない。

これはきっとこの時代の経験が尾を引いている。

"俺もやっている"んだからお前もやれ。
"みんなやっている"んだからお前もやれ。

そこに "WHY" を突き付ける事すら許されないそんな時代であった。

↑みたいな事は本来やりたい人がやればいいのであって、

全員が全員それに適しているとは限らないのである。

体育が苦手な子が美術の才能が有ったり。

逆もまた然りでその子の良さを見つけ伸ばすのが教育であると思うのだが、

当時の教育はとにもかくにも何でも周りと同じ事をやらせ、

同じ服を着せ・同じことを学ばせる。

これに対しては理由を聞いても明確な答えを出せる大人は、

当時誰一人と私の周りにはいなかったし疑問を持つ事すらしない大人ばかりであった。

↑この環境がぴったりハマって伸びる人も居るのは事実であるので全てを否定している訳ではないので

悪しからず。

"人間性や社会生活を営む上で必要な教養や素養を養う"と言う上では一役あるとは思う。

が、これだけではクリエイティビティは育たないだろうと今も思っている。

今思えば私にとっては、

学校と言う組織では自分の特性や適性が活かしきれなかったのだが、

それは後述する。

何より、

1984年生まれ僕ら世代自身のアイデンティティやキャラクター

を主張する事を良しとしない傾向があり、出る杭は打たれまくるどころか

徹底的に潰される。個性を主張する事よりも右向け右。左向け左。

自身を滅しておけばとりあえずは良い子だと言われる。そんな時代でもあった。

そう。恐らくこれを読んで共感した人にとっては、、、

全く面白くもなんともない時代だったのである

内申書は最悪であり教師の言う事なんぞ聞く気は最初からなく登校していたし、

また教師もそれをわかった上で僕らと接していたと思う。

中学時代は喧嘩ばかりで親が学校に呼び出される事も多々あった。

"家庭の医学"と言うあらゆる病気を網羅した分厚い本の"非行"の部分に

赤丸が大きくつけてあったのをハタチ過ぎた時に見つけた時は、

何とも申し訳ない気持ちになったものである。。。

そんな学生時代であったが、ある1つの出来事がそんな"非行"少年を大きく変える事となる。

続きはその内に...

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