正直ものが報われる世界を本気で願って
正直ものが報われる世界を本気で願って
「正直ものが馬鹿を見る」社会に生きて
「正直ものが馬鹿を見る。」
この言葉を、これまで何度耳にしただろう。 ニュースでも、職場でも、ネットの世界でも、 いつのまにか“そういうものだ”と信じ込まされてきた。
「社会ってそういうものだよ」
「みんながやってるんだから」
「普通はこうするもんだろ?」
そうやって、見えない圧力が僕たちを縛る。
けれど、その“みんな”も、“普通”も、 よく考えれば、どこにも実体のない幻影だった。
僕は子どものころから、 この「普通」と呼ばれるものに馴染めなかった。
正直でいることは、なぜか「間違い」とされ、 誠実に向き合うほど、損をすることが増えていった。
社会の“当たり前”にうまくなじむことができず、 心の病を抱えて、学校や集団の中では居場所を見失いがちだった。
「ただただ、優しくありたい」
たったそれだけの願いさえ、許されなかった時期があった。
それでも僕は、自分の生き方を貫き続けた。
正直であること、誠実であること、 時に馬鹿を見ても、その姿勢だけは手放したくなかった。
48歳になった今、ふと振り返ると、 今の僕は、とても人として「大切」にしてもらっている。 信頼して仕事を頼まれるような機会もたくさんもらいっている。
まだまだ裏切られることもあるし、利用されることもあるし
損もたくさんしている。
でも、それでもやっぱり僕は、 「正直で誠実なままでいたい」と、心から思う。
そんな生き方を貫いてきた人生を、 僕はこれからも肯定し続けたい。
「当たり前」になれなかった僕と、正しさの孤独
子どものころから、 僕はずっと「みんな」とは違う感覚を抱えて生きてきた。
「みんなと同じようにやろうよ」
「空気を読めよ」
そんな言葉が、集団の中で響くたび、 僕はどんどん自分が小さくなっていく気がした。
学校でも、家でも、 「正直に言うこと」が時に厄介ごとを招くことを知った。
それでも嘘がつけなかった。
結果、しばしば先生や大人たちに
「もっと子どもらしくしなさい」
と叱られた。子どもらしくって、、、何、、、
友達からは距離を置かれたこともある。
ある日、言われたことがある。
「波起は正しいけど、間違ってる。」
この言葉は、今でもずっと胸に残っている。
正しいことが、 合理性や効率化と対立する構造の中で、 「社会でうまくやるためには、少しズルくならなきゃ」と、 何度も諭された。
「人間、そんなに正しくなんて生きられないんだよ」
と怒鳴り声が飛んできた。
でも僕は、 「正直でいること」は手放したくなかった。
どんなに世間から「間違ってる」と言われても、 自分の“正しさ”だけは守り続けていたかった。
“働かないの?”の声と、「ネイチャーヒップホップ」で生きる選択
大学を卒業しても、僕は“就職”を選ばなかった。
「ちゃんと働かないの?」
「そろそろ現実を見なよ」
そうやって、周囲の大人たちは心配した。
当時の社会は、お金を稼ぐこと、安定した職業に就くことが“正義”のように語られていた。 でも、どうしても僕は、その道を選べなかった。
僕には夢があった。
“ネイチャーヒップホップ”
大自然を感じること=Nature
ありのままで生きること=Natural
この二つの英語を掛け合わせた
大自然の中で人は「生かされていること」
それを歌う「ネイチャーヒップホップ」という独自のジャンルを作った
優しさを信じること、 世界を少しでも癒したいという気持ち。
自分の言葉で、自分の歌で、
「ただただ、当たり前に優しくありたい」
それを伝えたかった。
現実的には、まったく楽な道じゃなかった。
ライブハウスの帰り道、 バイト代でやりくりしながら、
お客さんのこないライブハウスにノルマの数万円を払う日々。
社会の“普通”からはみ出した自分に、
「これでいいのか?」と問い続ける日々。
それでもやめなかったのは、 ファンの人に
「あなたの歌で救われた」
と何度も何度も言ってもらえた瞬間が、 僕にとって何より大きな“証”だったから。
29歳になって、ついにメジャーデビューを果たした。
だけど、それがゴールだとは一度も思わなかった。
“成功”や“お金”や“名声”は、
僕に「幸せ」や「満足感」をくれなかった。。。
やっぱり僕は、「優しくありたい」という自分の原点に戻っていく。
あれから19年経った今でも、カラオケで自分の歌――「優しくありたい」が全国で歌われている。
僕は心のどこかで「これで良かったんだ」と、 静かな肯定感に包まれる。
介護現場で出会った“ありのままの生命”
音楽活動を続けながら、 僕は障がい者の介護のアルバイトもしていた。
正直、最初は“働かなきゃ生活できない”という現実的な理由も大きかった。
だけど、そこで出会った人たちは、 僕に
「人間の価値って何だろう?」
と問い直すきっかけをくれた。
生産性とか、合理性とか、経済とか、お金とか、、、 そんな言葉の反対側にあるような世界。
彼らは、 「素早く」も「効率的」も「合理性」もない豊かな世界で暮らしていた。
一日をゆっくりと、 少しずつ、できることを積み重ねていく。
何もできない日もあった。 でも、諦めなかった。
誰も責めなかった。
その“ありのまま”の姿こそ、 僕が本当に大切にしたかったものなんだと、 深く思い知らされた。
今や、AIやDXで「効率化」を追い求める社会の中で、 ふと立ち止まり、 “今ここにいる生命”と向き合うことの尊さ。
「何も生産しない時間」にこそ、 人間の豊かさや、 “優しさ”の根っこがあるのかもしれない。
介護現場の仲間たちに、 僕はたくさんの“人間らしさ”を教わった。
社会との摩擦と「正しさ」の葛藤
音楽でも介護でも、 僕はいつも“正しさ”にこだわっていた。
だけど、社会に出てみると、 “正しいこと”が、必ずしも「評価」や「成果」につながるわけじゃなかった。
音楽の現場では、
「波起は正しいけど間違ってる」
と言われた。
リーダーとしてまっすぐやろうとすればするほど、
「もっと要領良くやれよ」
「裏で動かなきゃ、世の中では生き残れないよ」
と諭された。
ビジネスの世界も同じだった。
「契約は守るべき」
「約束は絶対」
そんなふうに生きていると、時に「融通がきかない」と煙たがられ、 理不尽なトラブルや、突然の契約解除にも何度も遭った。
「正直ものが馬鹿を見る」
「正直ものが損をする」
そんな現実に直面して、心が折れそうになったことも一度や二度じゃない。
正しいことが、 合理性や効率、損得勘定とぶつかる場面は、 大人になるほど増えていった。
「大切なのは、結果だ」
「人を信じるな、自分の身は自分で守れ」
そんな言葉が社会の空気を支配していた。
それでも僕は、
正直でありたい、誠実でありたい、という自分だけは裏切りたくなかった。
損をしてもいい。 馬鹿にされてもいい。 それでも「人を大事にする」
それが、なぜか自分の誇りだった。
東日本大震災と「続ける覚悟」
2011年3月11日、東日本大震災。
テレビの中で流れる光景が、 僕の心を激しく揺さぶった。
何もしないでいられなかった。 現地に行こうと決めた。
最初は勢いだけだった。
でも、一度行ったら終わりじゃなかった。
そこに“当たり前の日常”を取り戻したい人たちがいて、 できることはわずかだったけれど、 僕は何度も何度も被災地に通い続けた。
気がつけば3年。
貯金は底をついた。 周りではボランティア破産する人もいた。
「どうして、そこまでするの?」
「もう十分だよ」
「自分の生活を大切にしなよ」
周りからは理解されなかった。
それでもやめなかった。
“正しさ”が損につながるとわかっていても、 目の前の人に手を差し伸べることを選び続けた。
現地でのボランティアは、 「誰かを助ける」つもりが、 いつのまにか自分のほうが“生きる理由”をもらっていた。
ある日、岩手県大槌町の鮮魚店、河合商店、、、 店主のひでくんにこう言った。
「何も力になれなくてごめんね」
すると、ひでくんは僕に言った。
「来てくれるだけで、生きる力もらってるよ」
その言葉を聞いた瞬間、 僕は胸がいっぱいになり、 ひでくんと二人で、声を殺して泣いた。
ああ、 正しいことが報われる瞬間が、 こんなふうに静かに訪れることもあるんだ。。。
14年越しの“報い”――河合商店の軌跡
あの日から、もう14年が経った。
僕は今でも、岩手県大槌町の河合商店、ひでくんのもとに通い続けている。
「一度きり」じゃなく、「続けること」の意味をずっと考えてきた。
被災地では、最初の熱が冷めれば、ボランティアの数も減る。
「もう十分だよ」
「日常に戻らないと」
そんな空気が広がる中で、 僕はどうしても背を向けることができなかった。
気づけば、ただ現地に通うだけじゃなく、
河合商店のECサイトを作ったり、Webマーケティングを支えたり、 ふるさと納税のプロジェクトや、SNSの発信も手伝うようになった。
ひでくんの店は、震災で家も店もすべて流された。 ゼロからのスタートだった。
それでも、彼は何度も「諦めない」と言った。
「もう一度、この町で生きていきたいんだ」
そう言ってくれた。
あの日から14年。2025年。
ついに河合商店は、震災後初めて『黒字』を達成した。
でも、売上よりも、もっと大きなものがそこにあった。 それは
「共に手を取り合った」
時間、 14年という年月を超えて続いた“つながり”だった。
「お金じゃない報い」
それは、数字では測れない“誇り”として、確かに僕の胸に刻まれた。
未来への願い「正直ものが報われる世界を本気で願って」
正直に生きることは、今もきっと「馬鹿を見る」と言われるかもしれない。
実際、僕は今でも騙されたり、利用されたり、悔しい思いをすることが少なくない。
それでも、「正直で誠実でいること」を手放したくない。
僕がなぜこの生き方を続けているか
きっとそれは、優しさや正しさが「損」になる社会を、少しでも変えたいからだ。
社会のルール、みんなの空気、「普通」という実態のない重圧。 それらに押しつぶされそうになった過去の自分に、今、こう伝えたい。
「大丈夫だよ、そのままで」
どんなに遠回りしても、 どんなに損ばかりしても、 自分を裏切らずに生きてきた道が、 いつの間にか“人として”の評価につながり、 気がつけば、必要とされる人間になっていた。
AIやDXの時代になり、効率や合理性が最優先される世界で、
「ただゆっくり、少しずつ、誰かのために日々を生きること」
の尊さを、 僕はこれからも信じ続けていきたい。
#大切にしている言葉
「正直ものが報われる世界」
この言葉を、僕は人生の宝物として、 これからもずっと胸に刻んでいく。
「正直ものが報われる世界」は、まだ遠いかもしれない。 でも、僕はその世界を本気で願いながら、 これからも誰かと手を取り合って、生きていこうと思う。
【執筆者プロフィール】可児波起(かになみき)
1977年生まれ/神奈川県平塚市在住
海辺の部屋代表/マーケティングデザイナー/DXコンサルタント
経済産業省認定「IT専門家」/中小企業庁「デジタル化応援隊」
JASRAC正会員・音楽家(STAND WAVEリーダー)
生成AI・SEO・広告・DX・Web制作・EC・SNS・音楽まで幅広く実績
60社超のコンサルティング・成長支援
ナショナルクライアント、大手企業・官公庁との取引・講演・執筆多数
「物語のあるマーケティング」と共創・寄り添い型の支援スタイル
海辺の部屋:https://www.umibe.art/
可児波起ポートフォリオサイト:https://www.behance.net/namikikani
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