日本企業がここ20年どうしても燻ってるワケ
いろんな企業様を見させて頂く機会が多い仕事ですが、例えば、マーケティングにおいてのブランディングの定義づけが苦手な企業様が多いことに最近気付きます。
特にIT企業や理系企業。多分、マーケティングにおいては、数字や数値ばかりを追っているからなのかもしれません。これは言語環境の違いでもあるとは思うんですが、仕事場において、ロジカルシンキングを正としすぎているせいでもあるかと。あと、KPIを測る上では一番目に見える結果として確かなものではある数値が唯一信じれるものの気がするのです。
が、「ちょっと待った」を言いたい。
いや、マーケティングにおいて、数字、数値は大事。それ基本。当たり前のこと。の前提で話していますので、悪口だと思って聞かないでください。数字は嘘つかないけど、数値は嘘つくからそんなに信じないでね。という話です。あくまでも、指標なんだということなんだけどと。。。
さて、今から約30年前。私はうら若き乙女でした。
どれだけ美人でモテていたかをここで自慢したいわけではありませんのでご安心を。笑
そんな美人で乙女でイケていた私は(自分で言うな。自慢しているではないか!)アートをやるなら日本一ではなく世界一のところで勉強しろと親に言われ、NYの美大に進学した。友達と別れるのは嫌だけど、過保護な親から離れられる嬉しさでいっぱいで、自分がありそうで最も自分がなかった..あの頃...1997 夏の日の君に〜(うっかり歌ってしまった。)
そう、その頃のNYは本当に良くて。そして日本の経済もギリギリ良くて日本企業の持つイメージも良かった。
NYの美大で日本人って言うだけで、SONYだのTOYOTAだのどれだけデザインがカッコイイか日本企業のデザインに憧れを持っているかを日々耳にして、そうでしょ?そうでしょ?と自分が偉いわけでもないのに、正直、なんだかそんな国から来ている事が誇らしかった。同じ隣のアジア諸国の韓国ではIMF危機でとんでもない事が起きているとも知らずに。今考えるとあの頃に一緒に勉強していた韓国人の学友達は本当に大変な中、勉強しに来ていたんだろうなと、、、。ちなみに韓国ではその危機が今の飛躍の大きなバネとなっているんだが・・・。
とにかくアメリカの大学は卒業するのはマジで大変だから、終始乱心ほぼ記憶喪失のまま4年で大学生活を終えたんですけど、あの頃にアート系で留学していた人と話すと、必ず、あの頃の日本を何故成長させなかったか?という話で同じ意見になりがち。笑 それには自分達の世代にも責任があると思っています。
私は俗に言う、就職氷河期世代、損な世代ってやつです。
でも実は、自分ってそういう世代だったんだ?って最近知りました。笑 自分がたまたま運よく就職できて、独立後も営業する事なくずっと紹介で仕事をやってこれたし、その渦の中に巻き込まれた事が無かったからかもしれない。とはいえ、実際にちょっと辛いな〜って時期もあったし、友達が大出世したりしても、世知辛い世の中になり、世界に通用する程、大きく経済成長させるだけの力は出し切れるような逸材が出るような世代ではまだないのだな〜とは思っていました。親の世代って正直凄いなって思っていたから。自分には子供いませんけど、同じような生活、子供にさせてあげられないもの。あの頃は、ありがた迷惑だと思っていた環境で、とんだ親不孝者ですが、今は感謝しています。
とはいえ、日本全体として、過去の栄光に縋って放ったらかしにした罪は大きい。テレビ見なくなって15年くらい経つからあまりわからないけど、「日本凄いでしょう?」ってまさかまだやってる?いや、確かに伝統文化、継承、やらなきゃいけないし、凄い事たくさんあるし、伝えなきゃいけない事は沢山あるけど、自画自賛ってやればやるほど痛々しいわけじゃないですか?冒頭の私のように。
何が言いたいかって、いつからかデザイン国(クリエイティブ国)から下請け国に成り下がってしまっていて、世界のトップ30企業に名を連ねていたはずの20年前の栄光のままの気分をまだ引きずってるけど、社会を引っ張っていくべき人達が現実見えていないんじゃないか?と。
韓国は国がちゃんと救ってくれてる(クリエイターを育てるプログラムを組んでいる)から今の形があるけれど、日本にはクリエイティビティが育つ環境が残念ながらない。。。
だったら企業そのものが気づいてちゃんと自分達の力で一歩一歩踏み出して取り返していかないとなところまで来てるんじゃないのだろうか?と。
話は最初に戻りますが、マーケティングは勿論、数字や数値かと思います。(これは前述したとおり、当たり前の話であって、ただ、これに関しては、人でなくてもできてしまう仕事です)
とはいえ、動かしているのは人間であって、心理が働いています。心が宿っている世界です。
01ベースでクリエイティビティを駆使して付加価値をつける事(ブランディング)は当たり前のことなのに、その当たり前の事ができずに、ただ、競合などの真似事やデータばかりをみてABテストをして数字の根拠ばかりを問い詰めている企業様が昨今多い様に思います。
よく、クリエイティヴやブランディング、その定義づけについて「その根拠は?数値で出せますか?」と仰る方がいらっしゃいます。毎日毎日数値ばかり見てたらそうなって、そのお気持ちもわかりますが、そもそもあんたはロボットかと。笑
恋に落ちる時にあんたはピピピと数値が出るんか?笑 それとも心拍数で測ってるんか?笑 そんな事本気で言ってる奴は、手繋いで吊り橋渡ってりゃよろし。笑
そうじゃないですよね?
カスタマーの心理、行動全てが数値で測れるわけではありません。言語の違いがあることを忘れちゃいけません。
だから01ベースで考える脳の私からすると、そんな質問受けた日には、
ちょいとお待ちなせ〜!まずその比較テストやABテストに使っている材料が本当に正しいのかの根拠はどこにあるのか?を検証していますか?その数値の根拠の前に。隣の誰かの真似事だったり、何となく反応が良かったから変えてみたりの繰り返しをしたりして、その根拠を作る前の段階の仮説立てがぐらついてませんか?だから伸び悩んでいるんじゃないですか?
と、そもそも論のその数値がどこからきて本当にそれを使っている事が正しいのか、それが正しいことを本当に数値で表せるのか?他の可能性や仮説立てはしているのか?ブランドとして企業として唯一無二の仮説を立てたのか?何を根拠にそんな変な質問をしてくるんだろうか?
と、根拠根拠と、どこからの根拠の話をし始めているのか?と、不思議でなりません。
そういう企業様に限って、一目で見て、コレ、誰に向けて作った誰の為のクリエイティブなの?UIなの?UXなの?サイトなの?とツッコミどころ満載のシステムをご提供されていたり、クリエイティヴをあげていらしゃったりします。お客様目線のユーザビリティで考えると、不親切極まりないのは全体を俯瞰で見たときに、残念な話ですから。
短期的に言えば、指標として重要視すべきことだと思うのだけど、中長期戦略でいうと、あくまでも指標として片隅に置いておくくらいにしておかないと、いつまでも良かったはずの数値にしがみつくことに。
あの頃の栄光にしがみついてる日本と何も変わらない大惨事になっては遅いのです。
そもそも間違ってるって考えた事あるかい?新しい事しようってエイヤー!!ってトライ&エラー、唯一無二のことは試したかい?ってんだい。
本当に言語の違いなだけなんですけどね。違う言語で見てみるということをしてますか?という話です。
もうこれはね、話が通じない人には一生通じないかもしれない話かもな言語の違いと可能性は無限大という話ですねん。
めちゃくちゃ科学信仰強い人のとこにいって、「オバケも宇宙人も絶対いると思うんだけど!!」って話してるみたいな。笑 でもきっといるのよ。笑 この世の中には証明できないことの方が多いわけだし、確率論から言うと、この広い宇宙に地球にだけ生命体が存在する方がおかしいし。笑
ちなみに皆さんは、「信用」と「信頼」の違いをご存知です?
・「信用」とは、過去の実績や行動から判断される評価で
・「信頼」は、相手の意思や能力に対して将来的(未来)な安心感や確信を持ち、無条件に任せる感情
とのこと。
信用はデータや実績に基づく評価であるのに対し、信頼はより感情的で、相手への期待や安心感を含む概念です。
マーケティングやブランディングの概念でいうと、あくまでも過去の実績で得た評価の数値で得られるのは「信用」の段階であって、「信頼」の部分に関しては、感情面を揺さぶり未来への期待に応え、安心感を与えることででしか成し得ない、それが「確信」に導かれ、本来のゴールのはずです。
マーケティング、PRの基本は信用、信頼、安心ですから。訴求力=安心力=ブランド力。
簡単に言うと、多くの人が大好きなアップルだとわかりやすいと思います。
数字の根拠は最初から確実性をもってあったわけではありません。仮説立てがいくつもあって、その仮説だてがいくつできるかが勝負なんです。
そしてその大きなひとつがイメージ戦略でブランディング以外の何物でもありません。
日本は確実な根拠があるかないかがわからない不確かなものに時間をかけたり、お金をかけたりできる企業が少ないのは確かです。
ただ、その根本の根になる部分をしっかりと作っている企業が大きくなるのは世界的に見ると、確かな根拠になるのではないでしょうか?