人が人として生きるために絶対必要な教育について思うこと
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もう辞めたんですが、占い師として去年活動していました。
相談に乗る中で、「うん、それはわたしやない。お役所案件や」ってことがめっちゃあるんですよ。
秘密保持があるから、実例は出せないけど、たとえを出すなら
「向かいの家の人の植木鉢が、道路にはみ出てるの!!」という相談。
市役所の生活安全課か、自治体があれば、占い師じゃなくてそっちに相談かな。
「一人暮らしの親が働いていなくて家賃を払えません。私も支援する余裕ありません」
役所だ!!
役所に行け!!!
事情があれば家賃を補助か待ってくれる制度がある!!
こんな感じで、占いという名のカウンセリングをしていたのですが、普通に考えれば
「相談先は占い師じゃねえって分かるだろ」
って思うわけですよ。
役所への相談なら無料だぜ。
何で金払って占い師なんだよ。
話し方とか、
雰囲気とか、
何の仕事してるかとか、
職場での扱われ方とか、
ぶっちゃけ、地頭の良さとか
電話越しに見えるものを耳から感じ取る。
(電話占い師だったので)
別にその人たちが悪いわけではなく
どこに相談するべきなのか
その思考の先がないだけ。
頭の中によぎるのは
「教育とは何か」
学歴って結局のところ、知性とか地頭にかかわる部分が多い。
そしてそれは、親の財力と品性がそのまま子どもにかかわると思っている。
わたしが学校の成績が良かったのはㅤ
親が学校に行かせてくれて
生活の心配もなく
好きな本を買ってくれたり
図書館に連れてってくれたり
たくさんいろんな場所に連れ出してくれたから。
こんな話を元高校の国語の先生、
江奈さんとしてたら(公立高校で20年先生していた)
「教育って絶対必要なものなんですが
底辺はもう
教育じゃなくて
福祉なんだよな」
って話になりまして。
さすが江奈さん。
福祉という言葉がぴったりすぎる。
頭が良ければいい!という
単純な話ではありませんが。
勉強ができない
つまらない
やらない
ってなるのは
子どもとしてすごく自然に思う。
できるようになるまでは
一定の期間がかかる。
要するに、「負荷がかかる」
この負荷に、親も子どもも耐えれるか。
成績を上げたいのなら塾。
で、成績が上がらないと
もっと塾に行かせねばと焦る。
でも、昨日蒔いた種が
今日実を成すことはありえないわけで。
その「待つ」という負荷が
AIの台頭により今まで以上に耐えられない子が増えてそう。
(という勝手な思い込みですが。)
昔Twitterで
「古典は不要と言われているけど、古典を知らないと『春はあげもの』というボケが通じねぇ」
みたいなのを見て、すんごい納得。
先日、ライターの大先輩たちと「AIが出てきたことで、人は賢くなるか?衰えるか?」で盛り上がった。
今のところ、研究最中だと思うので、賛否両論あるようだけど。
個人的にはやはり海馬の動きとかが気になるので、記憶力の低下とか悪影響のほうが大きいのでは?と思っている。
すべては、あと何年か後じゃないとわからないけど。