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あらゆる世界を歩き進めた私、いまこそ「創り出す」という道へ。

こんにちは、宮石 照子(みやいし てるこ)です。今回、自分の辿って来た道、そしてこれからの道をWantedlyの皆さんにお伝えしたく、ストーリーを書かせて頂きました。目を通して頂ければ、とても嬉しいです。

幼少期に始まる閃きに満ちた道のり

私は幼少期から美的なこと、創造的なことにとても興味があって、遊びの中で創意工夫を施すことが好きでした。幼稚園の頃には、友達や家族とおままごとに没頭しましたが、周囲が既製品で遊ぶ中、私は徹底して道具を草木によるハンドメイド。泥団子ひとつでも、表面に別の粉を振りかけるなど素材を融合し、よりリアルな物への変化を楽しんでいました。一級建築士の親戚が身近にいた関係で、ドールハウスも建築資材の端切れを用いた本格設計でした。おままごとのシチュエーションも「家庭」「学校」「習い事」「レストラン」など多岐に渡り、かなり細部に渡る設定を設けながら、想像力と感性を培っていました。妹と「家庭教師」ごっこをして遊んだ際は、実際に私が家庭教師として丹念に妹への指導を展開し、小学校に上がる前に「小学2年生までの漢字を覚えてしまった」という珍エピソードもあるぐらいです。

そうした経験のひとつひとつが、「オリジナリティを創り出す」という活動と関心の源泉になっていると考えます。

その後、小学生の頃にはピアノ、習字、新体操等を習い、心技体の基盤を養いました。その甲斐あって、運動面では小学生の頃は持久走の成績が群を抜いておいて、地域の陸上選手や水泳選手に選ばれる機会を頂きました。家の生活環境も多彩でした。鶏、インコ、ウサギ、犬、猫、ハムスター、メダカ、ウズラ、鯉等、数十種類の多種多様なペットを飼う経験を得ました。海で泳ぐ事や山登りなどのアウトドア活動も好きで、自然と接していました。

中学生を通じて毎年学級委員を担当し、文化祭や音楽祭、毎週行われる校内の校歌斉唱ではピアノ伴奏を担っていました。ピアノコンクールでは最優秀伴奏者賞や金賞を受賞。体力テストでもAランクを獲得。同時に科学にも興味を持ち出し、科学研究物並びに発明展示会で特選を頂きました。理科の先生から「この賞を貰えるのは10年に1度だよ」と言って頂けて大変嬉しかった記憶があります。小学校・中学校までの期間中、累計100枚以上の賞状を頂きました。

高校生の頃はニュージーランドへ留学し、ランギトトカレッジで主に美術・音楽・生物・家庭科について学びました。そこでは世界中の人々が集まっていたので、多種多様な異文化や人々に触れることが出来ました。授業では主体性を重視されていたので、自由に研究を行う事が出来ました。日本とは異なり、先生は生徒の立場をとことん尊重し、最適なサポートを行う役を担っていました。こちらの留学経験は、主体的に動くという姿勢の獲得と共に、多様性への寛容度を高める事が出来たと感じます。この時から、「一人ひとりが自分の生命を輝かせて、誰もが主人公であり続ける」という価値観が、私の人生の基軸となりました。

このように、閃きに満ちた毎日が、ここに存在していました。

そうした時間が、福岡の西南学院大学へ入学した後も続きます。ここでは美術部に所属し、絵の活動に一層専念するようになりました。そのまま卒業して教壇に立つ予定でしたが、当時の婚約者が開業医で、「芸術活動に専念して欲しい、専業主婦になって欲しい」という相手の意向を受け、いったん学業からは離れる事を決意致しました。その後は、可能な範囲で、知り合いの施設や会社向けに、アート講師や会長秘書として働きましたが、「もっと色々な経験がしたい」という願望が出て参りまして、プライベート面の変化も生じた事から、一転、北海道へ講師として勤める事に致しました。

そうして、しばらく講師生活を経た後、改めて両親からお見合い話が持ち上がります。一家が芸術好きということもあり、芸術方面に関わりのある株式会社リョーユーパンの御曹司の方と結婚をする事となりまして、そこへ勤務する運びとなりました。

これより、私は本格的に「創り出す」世界への道を歩み始めました。ピアニスト活動、画家活動、企画戦略等に携わりながら、2年ほどが経過した矢先のことです。私はそうした活動に邁進をし、「もっと成長したい!」という向上心が尽きる事はありませんでした。人生に対する価値観と方向性の違いから、より芸術方面に力を入れたい私と、出来れば家庭に専念して欲しい夫との間にジレンマが生まれ、最終的には「自分一人で生きていこう」という決心をする事に致しました。

メディウム・スペシフィック、限界なき創作世界

「創作」は「素材」との蜜月的な関係性にあります。言うなれば、素材によって芸術は限りあるものとなってしまうのです。言うなれば、私たちの芸術は素材によって限定されています。これを芸術論としては「メディウム・スペシフィック」という言葉で表現されます。例えば、「映画(色彩音楽)」は現代の創作物の中でも非常に高度な芸術性を誇りますが、本質的にはフィルムと画面(データとスクリーン)という媒体から逃れる事は出来ません。「彫刻」もそうです。かつてほど重要視されない傾向にある彫刻という創作物は、その立体性が特異な点ではありますが、「木・石・土・金属」といった素材の持つ性質より大きな物を表現する事は出来ないのです。

創作に限らず、私たちの活動が物理的な制約を受けるのは当たり前なのですがーーここに来て、人類は革新的なテクノロジーを獲得する事になりました。それが、電子プログラムの世界です。「電子世界」には電子端末という媒体の制約こそあるもの、実質的に、その中における創作表現には物理的な限界がほとんど存在しないのです。この世界では、日々新しい手法が生み出され続け、限りない創作が大々的に許されます。絵画やピアノなど、長らく媒体に拘束され続けていた私は、「まさにこれが創作の極致だ!」と感じました。英数字のコードを束ね、モジュールとなるプログラムを配置していくと、どのような世界でも描けてしまう。無限の創作世界なのです。

苦労してでも、ゼロから何かを「創り出す」事を続けたい。その強い想いが、今、創作の極致にある世界へと私を誘っています。無限の創作世界へと本格的な歩みを進めて、「人々を笑顔にするシステム」「社会を力強く支えるシステム」を構築したい。そのように、私はエンジニア分野への興奮と決意を新たにしています。

自分と向き合ってみる

私の強みは、習得した高度な技能と、それらを融合させて生み出す幅広いインスピレーションです。ニーズに応えるだけではなく、ニーズを超えるクオリティの高い作品を作成する事が可能です。好奇心が強いので、新しい事にも積極的に取り組む主体性を持っています。

外向性が高く、異文化の方と仲良くなるのも得意で、良いもの・使えるものを積極的に取り込む柔軟性があります。自分が様々な経験を踏んでいる事もありまして、環境の違う他者の心情を汲み取る共感性の高さもあります。

周囲の人からは「才能豊かだね」とか「優しいね」と言われることが多いです。前職では「創造的だ」という高い評価を頂きました。ただし、ここで補足をしておきます。私は「奇抜なもの」ではなく、人々の心に潤いを与えるもの、生活を豊かにするもの、社会に活力を与えるもの――つまり、「ただ新しいのではなく、しっかり使えるもの」を創り出す力があるのです。

「創造性とはただ単に人と違うというだけではない。誰でも奇をてらうことはできる。それは簡単だ。難しいのは、バッハのようにシンプルにすること。極力シンプルにすること。それが創造性だ。」これは、ジャズ演奏家として有名なチャールズ・ミンガスの言葉です。実際、私たちは高度で複雑なものではなく、分かりやすい、使えるものを求めています。これまでも、そしてこれからも、私が目指すべき創作活動の目標地点はそこに存在しています。

エンジニアの世界へ、いざ。

私は、働くというものが、自己成長と他者貢献、双方の意味を持つものだと思っています。仕事の中で、クライアント・同僚・部下・上司、様々な人との繋がりを重ねながら、人間的にも技術的にも自己研鑽を行い、かつその中で何かの向上的な貢献を果たしていく。それこそが、私の憧れる魅力的な働き方だと考えます。

今の私が改めてエンジニアを選んだ理由が、そこにあります。個別の技能向上による創造物の提供、それによる社会への貢献。こうした両者の関係性に、創造性と拡張性が多分に含まれているからです。「自分も他人も、心の底からワクワクできるものをお届けしたい」というのが、私の願いです。デザインや上流工程に関しては、一定の知見がありますので、エンジニア職と私のこれまでの技能経験にも親和性があるものと考えます。そうしてエンジニアとしての自己が確立されれば、上流から下流まで自分の裁量の幅が広がり、様々な案件に対応出来るようになるのではないかと思っており、その自分の未来像を楽しみに描いております。

よく、社会人になりますと、「10年後の自分」というテーマで何かを語る機会があると思います。私はどうでしょうか。エンジニアという職業を通じて、この社会の、この世界の一員として何かを創り出し続け、周りの人々に幸せを分け与えられる人間になれていたら、とても嬉しいと思います。また、どれだけの年数かの具体的な想定はまだ出来ておりませんが、自分の悔いのないような生き方を貫徹した後は、ボランティア・慈善活動にも幅を広げ、より広域に渡って世界に貢献できる自分になっていたいと考えています。

以上、これにて、私のストーリーにいったん筆を置きます。ここまで目を通して頂いた方、本当に有難う御座いました。「創り出す」世界から始まった私のストーリーが、新章に入ろうとしています。ここでようやく、私も「天職」を得られそうだという予感がしております。エンジニア業界で第一線で活躍されている皆様と素晴らしいご縁を頂けますよう、心より楽しみにしております。


宮石照子(みやいし てるこ)略歴:
ニュージーランド留学経験あり。平成23年、日本異業種交流会/スクラム会に入会。会長秘書として事務・渉外・イベント管理・モデル/売り子・画家業務等に従事。平成25年にANAビジネスソリューション株式会社(顧客対応)、平成27年に株式会社ジニアス(芸術講師及び児童発達支援員)入社。この時期、並行してピアノ/書道/絵画/英語講師/児童発達支援/学童保育/知育教育/教材制作といった芸術・教育分野、SEO対策/ホームページ記事制作といったクリエイター分野にて活動を開始。平成28年、株式会社リョーユーパンに入社(総合課人事部。)平成30年より、知人を介して本格的なクリエイター事業を展開。HP運営/SEO対策/動画編集/漫画作成/デジタル画像制作/イラスト制作等を行う。以後、弁護士事務所や人材派遣会社と連携し、デジタル分野のクリエイターとして実績を積み重ねる。その他、ベビーシッター、指圧・オイルマッサージ師としても活動中。

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