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なぜ私が「教育」に興味を持ったのか。

少し長くなりますが、私が教育に興味を持った理由はすべて私の原体験からです。さかのぼって、私が小学校5年生だった時、アメリカから帰国して日本の公立小学校に転校した私はギャップに苦しめられ、自分を見失い、辛い日々を送ることになります。この経験から私は「教育」の世界に興味を持ち始めました。

私は小学校2年生から5年生まで約4年間アメリカに住んでいました。そこで私は現地のシュタイナー教育を実施している学校に通い、様々な人種が混ざった教室の中でのびのびと、自分に嘘つくことなく、わくわくするままに自分らしく学んでいました。(シュタイナー教育とは、一人一人の個性を尊重し、個人の持つ能力を最大限に引き出す教育で、芸術作業を通して人間形成を行います。)

これには3つ理由があります。

1.“違い”を受け入れて、認め合う環境があった。

アメリカは様々な人種の人が暮らしているため、肌の色、髪の毛の色、目の色、言語、価値観、文化が皆異なり、混ざっているという環境が前提にあります。その上でシュタイナー教育の先生、特に私の担任の先生であったスプージン先生はその混ざった環境をマイナスではなくプラス変え、皆が違いを受け入れ合える教室を作っていました。具体的には、私が転校した日に、「ふるさと」と「さくら」を日本語で歌って迎え入れてくれました。日本人が転校してくる時に日本の文化を少しでも子供たちに理解してもらおうと工夫をしてくれていたのです。様々な“違い”を理解し合い、受け入れ合う環境の中で、皆それぞれが自分らしくきらきらと輝いていました。そのため私はアジア人、日本人として自分を無理に変える必要もなく、ありのままで受け入れられ、自分らしくいることができました。

2.安心して自分らしく学び、成長できる環境があった。

シュタイナー教育では、一クラス約20人、1年生から8年生まで同じ先生が担任をします。そのため先生はクラスの子ども一人一人の成長をしっかりと見守ることができます。何か問題があれば見て見ぬふりすることなく対応してくれます。子どもとしても、先生は自分のことをしっかりと見てくれているという安心と信頼が生れます。また、シュタイナー教育ではテストがありません。学年の最後には先生の直筆で書かれた丁寧な文章とともに一年の学びの成果が渡されます。点数での評価ではなく、子ども一人一人をしっかりと見ているからこそできることの一つです。このように先生との絶対的な信頼関係から生まれる、安心できる「教室」があったから私は自分らしくいることができました。

3.自由に自分を表現でき、それを受け入れられる環境があった。

シュタイナー教育では教科書がありません。自分で学びながら自分で自分だけの教科書を作ります。そのため正解は自分の中にあり、教科書に書いてある正解を導き出すための勉強ではありませんでした。芸術を通して学ぶ授業が多く、絵、手芸、楽器、オイルトミーという運動芸術などがたくさんあります。ここでは自分らしい学びを自由に表現することができ、先生や周りの大人は点数という単一的な評価基準で評価するのではなく、それぞれの学びや成長を認めてくれていました。そのため、それぞれ違う形で、絵、手芸、楽器、ダンスなどを通して自分を自由に表現しているのです。私自身も自分の心がわくわくするままに学ぶことができました。

この3つの点から、アメリカで、しかもシュタイナー教育学校だったからこそ先生や周りの友達に恵まれ、見ず知らずの地でも自分らしく学び成長することができた4年間でした。

また、英語が全く話せない状態でアメリカの現地の学校に飛び込んだものの、楽しく過ごせた経験から、適応力、何とかなるというポジティブ精神が身についき、今でも変わらずスーパーポジティブ人間になりました!

そんな私が小学校5年生の時に帰国し、日本の普通の公立の小学校に転校しました。そこでもちろん文化も教育方法も異なるため大きなギャップを感じます。アメリカにいた自分、シュタイナー教育を受けていた自分、英語が話せる自分、芸術的なものが得意な自分が教室の中の他の子とは少し“違う”ことに気づきました。見渡してみると皆同じような見た目、同じようなものを持ち、同じような話をしていて私以外の皆が同じに見え、自分も皆のようにふるまわないといけないと思い込んでしまいます。そこから私は本当の自分を隠し、自分に嘘をつきながら周りにすべて合わせるようになり自分を見失いました。自分らしくいられませんでした。

これには3つ理由があります。日本の学校はすべてアメリカのシュタイナー学校の時と真逆の環境だったからです。

1.“違い”を受け入れて認め合う環境ではなかった

そもそも、日本という国もそうですし教室の中で、文化、容姿、価値観が混ざっておらず、私にとっては他の皆が同じように見えました。先生や友達も“違い”を認めようとする価値観がなく、違うものはよそ者扱い。私はよそ者扱いされたくないため、周りにすべて合わせるようになりました。そうしていれば仲間外れにはされることなく何となくやり過ごすことができるからです。

2.安心して自分らしく学び、成長できる環境がではなかった。

クラス約45人を先生1人で一人一人を見られるはずがなく、たった1年で担任は変わります。いじめや喧嘩などがあっても先生が忙しすぎて見て見ぬふりをする先生も多い。私自信先生が私のことを見てくれているという実感もなく、苦しさをわかってくれるとも思っていませんでした。信頼できる先生はおらず、教室や学校は安心できる場ではありませんでした。そのような環境で自分らしさを出せるはずもなく、周りに合わせ続けていました。

3.自由に自分を表現してそれを受け入れられる環境ではなかった。

常に正解は教科書にあり、教科書以外の学びは評価されず、教科書に書いてあること以外は間違い。点数という単一的な評価軸しかないため、自由に自分の学びを表現することができませんでした。自分らしく表現できる芸術的な授業でも必ず良い、悪いと判断され、成績として点数で評価されます。正解を探すだけの学びとなり、わくわくするままに学ぶこともできず、自分らしさを出せる場もありませんでした。

この状況は中学、高校でも続き、どんどん自分は何が好きで何が嫌いかもわからなくなり、周りに合わせていたため自分の意見もなくなり自信が全くない状態でした。

そんな私が、大学受験の時期になった時、得意なはずであった英語を本気で学び始め、AO受験で大学受験することを決めました。そこからは志望動機や面接のために親や多くの大人と話しながら今までの自分を振り返る中で、自分が周りに合わせていたこと、それがすごく苦しかったこと、辛かったことに気づき、肩の荷が下りたのを覚えています。その時、自分をネガティブに変え、苦しめた日本の教育というものに疑問、問題意識を持つようになったのが「教育」に興味をもった最初のきっかけです。そこからもう一度アメリカの時のように混ざった環境で“違い”を受け入れ合い、認め合いながら、自分らしくいられる環境のある大学を探しました。”混ざった”環境や教育を探した結果、国際生が半分を占め、90か国から学生が集まっている、まさに混ざった環境がある立命館アジア太平洋大学に進学をしました。文化、価値観、バックグランドが混ざった環境の中で自分らしさを取り戻し、少しずつ変わった私は、常に「教育」という軸を持ち、自分の中での課題を追求するために活動しています。