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Tomojiro David Otani
東京都出身。法政大学社会学部卒業。日本におけるインターネット創世記である1999年にNEC Biglobeに障害対応エンジニアとしてIT業界のキャリアを始める。その後電通グループ企業に所属し、ISO27001/Pマークコンサルタントとし、Livedoor社のプライバシーマーク取得を担当。2005年メルマガ媒体であるケータイWOWOWをMBOし、請け先の(株)嘯氣堂の取締役就任。その後は株式会社アウスタの創業に携わるほか、IT/WEB分野におけるプロデューサー、ディレクターとしてWEBデザイン案件、システム開発ディレクション、出版プロデュースを多数担当する。2013年9月よりグループインし、デジタルクリエイティブ事業部を発足し部長に就任。2018年5月には受託開発/SES事業を行う株式会社ブレーンの事業承継に担当として携わった。
Kenta Nishiwaki
「20代が輝く社会を創る」株式会社アウスタ社長室の西脇健太です。 新潟大学教育人間科学部学校教育課程英語教育専修を2010年に卒業してから、地元新潟県長岡市を本社に置く(株)大光銀行へ入社し支店業務・本部業務を経験、2年半勤務をしたのち現在の㈱アウスタに転職をしました。 現職では採用人事の役割を担っており、よく面談時に口にすることですが、学生までまったく働くことに興味がありませんでした。 不真面目だったということでは全くありません。 ”良い大学に行けば安定した会社に入れるから頑張れ”という大人の言うことに従い、授業態度や生活態度は悪くない、どこにでもいそうな真面目な学生でした。 中学校に入る前に両親が離婚したこともあり、よりしっかり生きなければという自覚が子供ながらにあったのだと思います。 何かになるために入ったのではなく、受かりそうだからという理由で入った教育人間科学部でしたので、教員になりたいという想いは大学時代一切起こらず、卒業後は「ニートになるのはよろしくないらしい」という理由で銀行へ入行します。 そのあとすぐ、33歳の今でも自分が働くうえで大事にしている価値観を抱くことになります。 「夢や目標がないと、働くことってこんなにもしんどいのか。夢がない仕事はつまらない」 と。 その後、自分が銀行で抱きうる夢や目標を妄想しましたが、 「ここには自分の夢がないな」 と、転職を志します。 ただ地元に正直行きたいと思える会社はなく、前職より給料が良い会社はゴロゴロあったものの給料で会社を選ぶことが、どうしても”自分の意思がない生き方”のように感じた当時23歳の私は、 「働く場所ではなく、自分に合った生き方を探そう」 と土日を使い、SNSを介していろんな人に会うようになります。 その活動の中で、弊社アウスタのOBの方に出会います。 その方は会社員ではなく、弊社グループ企業を退職後、新潟県で29歳で起業されたという経営者の方でした。 そこで思いました。 「あ、起業って普通に生きている人でも出来るんだ」 「学歴が関係ない世界があるんだ」 「自分も経営側の人間になって、仕事を創る人になりたい」 と。 その後紆余曲折はありましたが、前職の銀行を退職し、 「事業家になる」 という夢を掲げ、上京し2012年11月に㈱アウスタ(当時の社名は㈱アウトスタンディング)に入社しました。 その後の活動は以下をご確認ください。
【アウスタ代表コラムVol.2】「個の時代」に会社を盛り上げる意味、そして目指す”あり方”とは?
Kenta Nishiwaki's story
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