「印象に残って自分に影響与えている言葉」ってあるなと思い、そのことを書きます。
私や会社に興味を持っていただいた人が、私がこんな背景や言葉によって今があると感じて、このnoteを読んでいただいた方にその人の人生に片隅でも良い影響があると嬉しいなと思います。
それでは、言葉とその言葉を受けて感じたことを書いていきます。
・人に迷惑かけないなら、何をやっても生きてもいい。
これは、私の父から受けた言葉です。
人に迷惑をかけない生き方をしてきたわけではないですが、自分のやりたいことを自由にやれていると思います。
「人に迷惑かけないなら、何をやっても生きてもいい。」があったので、迷惑かけた時は、反省して真っ直ぐに、自分のやりたいことをしながら、生きているんじゃないかなと思っています。
人に迷惑をかけないよりも、何をやって生きてもいいに着目することが大事かと思います。
・本来的に自己に生きる
これは、10年ちょっと前に株式会社フェリシモ名誉会長の矢崎勝彦さんから聞いた言葉で、本来的に自己って何ですか?と質問したら、「唯識」を読みなさい。と言われました。本来の自己とは何か?ここから探究が始まったかもしれません。私なりの解釈では、本来の美しい自分で生きるということです。
・本心良心にもとらない言動をする。
こちらは、書籍からですが中村天風さんという実業家でもあり、思想家でもある方が残した言葉です。本来的自己に近いかなと感じていますが、ちょっとだけ違うニュアンスが私にはあります。書籍には、「本心良心の発動した場合における言葉や行いというものには一点のやましいことがないから、どんな場合でも恐れることはないという意味です。」とあります。自分が気持ち良く生きるにはとても大事なことかなと思っています。
※中村天風さんというのは、明治生まれの方で、ウィキペディアで調べると影響を受けた人物に、「東郷平八郎、原敬、北村西望、宇野千代、双葉山、広岡達朗などで、実業界では松下幸之助、稲盛和夫など」と出てくる方です。
・七十にして矩を踰えず
これは、孔子の言葉です。論語の有名な一説です。孔子は、七〇歳になってからは、心の欲するままに行動しても道を外れるようなことは無くなった。と言っています。(解釈は、翻訳する方により多少違います)
自分の心の赴くままに行動しても、思い悩むことがない、後悔することがない状態と解釈しています。今の私は思い悩むこともありますが、人間としてこうなりたいがあります。
こうやって、振り返ると自分の心がとらわれない自由な状態でいたいんだなと感じます。
やりたいことをやりながら、生きて、かつ心に囚われがないって良いなと改めて感じました。