このストーリーでは、アンソリュートにジョインするまでに正社員時代から個人事業主と様々な経歴を持つ彼について今回は深堀りしていきます!
是非ご一読ください!
本日はよろしくお願いします!まずは、簡単に自己紹介からお願いします。
瀧口 朋希(タキグチ トモキ)です。1992年生まれの31歳。
新規事業部の責任者です。
ありがとうございます、本日はよろしくお願いします!
早速ですが、瀧口さんの過去についてお伺いしたく…
どのような学生時代を過ごされてましたか?
学生時代はとにかくサッカー漬けの毎日でした。
中学の頃はJクラブのジュニアユースに所属していて、授業が終わった瞬間即帰宅、練習をして、
夜22時くらいに帰ってくる生活でした。
高校にあがるタイミングでユース昇格できず、高校サッカーの道に進むわけなんですが、
今思うと、そこが人生初の挫折だった気がします。
高校は色々と選択肢がある中で学業を頑張るか、サッカーで頑張るかの2軸で考えていましたが、
ご縁もあり地元では強豪で知られていた高校にスポーツ特待で入学しました。
とにかく中学~大学はサッカーに明け暮れていましたね。
プロの道は考えられていましたか?
もちろん。
プロになりたくて、大学まではサッカーの軸で進路を決めてました。
中学でも高校でも全国大会はそれなりに出ていて、、
ただ全国的に有名な選手でも、チームの絶対的中心選手というわけでもなく、、
とにかく不完全燃焼の高校サッカーでして。
もう一度環境を変えてトライできる場所として大阪の大学に進学しました。
高校まで無名の選手でもプロになれるのが大学サッカーの醍醐味。
当時はそう思っていたので、大学で一花咲かせたいという一心でしたが、
いざ入学してみると化け物だらけだったので、割と早いタイミングで「もう無理だな」と諦めました。笑
(同期が6人くらいプロになったので相当すごい世代だったと思います。)
ここまで目指してきた事に区切りをつける決断をする。当時どのようなマインドでしたか?
割と簡単にというか、すんなり諦めてましたね。
サッカーを約20年くらいやってきて、その過程で経験したことであったり、
築き上げたコミュニティが強かったので続けてきたことに価値があったと今でも思ってます。
あとは奇跡が起きない限りプロの道は無理かなってどこかで思ってたので、
サッカーを続けながらも、今後何をしていこうかなというイメージは常にしてました。
とにかくサッカーしかしてこなかったので、学業面の優位性もない中、
自ら道を切り開いていくしかないなと。
スポーツってプロ競技だけが全てじゃないと思っていて、
僕自身今でも東京都社会人サッカーリーグに所属していますが、プロリーグより下のカテゴリーでも盛り上がりがあるので、プロになれないから全てが台無しになるって感じではないと思います。
そんな瀧口さんはどのような軸で就職活動されてましたか?
軸というほど明確なものはなかったです。
ただ昔から他の人が経験するであろう一般的な生き方はしたくないな、という気持ちがあったので将来的に起業する前提で就職活動はおこなっていました。
ちなみに起業前提というのは、どうせ自分でやるから1社目はどこでも良いや、という舐めた考えです。笑
カッコイイ(笑)
軸がないとなると、かなり幅広く受けられていたんですか?
軸がない中でも自分の興味ないことは続かないと思っていたので、
業界で言うと広告・アパレルの2つに絞ってました。
昔からブランド×マーケティングという分野に興味があって、
10代の時からそういう本を買って読んでました。今でも変わらずそういう系読んでます。笑
「スターバックスはなぜ確固たるブランドを確立できたのか」みたいな。
大学もブランドマーケティングというものを専攻していたくらい好きでした。
とは言え、就職活動もそこまで熱心にやっていたタイプではないので、選択肢は限られていて、
最終的に東京×渋谷×広告というパワーワードで就職先を決めました!www
一社目から広告代理店にいらっしゃったんですね!
マーケターとしての採用でしたか?それとも…?
広告運用側ではなく、営業をやっていましたね。
しかもウェブじゃなく、マス媒体の!
社風的に営業会社という感じだったので、
毎朝アポ電をかけ、訪問しての繰り返しでした。
毎月の目標を達成するため、営業電話からのアポイント転換率などを計算し、とにかく電話かけまくる!っていう感じだったので、辛いことも多かった気がします。
目標達成できないと、上長3~4人(役員含む)に対して報告する「未達会議」という地獄のような会議が催されるので、営業しまくるしかなかったんです。
どういった経緯から転職活動を始められたんでしょうか?
精神的なものなのか、その時に何か考えられていたのかなど。
それで言うと、辛いから転職したいというわけではなく、
自分のキャリアにベクトルを向けたタイミングで転職を考えました。
今後自分がやりたいこととやるべきこと、それが今の環境でやれるのかやるべきなのか、など考えた上で自分自身が進むべき道はWebマーケの世界と答えを出しました。
当時出会ったリクルーターから、
「良い経歴だと思うんで一回飯行きませんか!」と声をかけていただき、
改めて自己分析をして、Webマーケの中でもどういった企業に進むべきなのかを明確に考えたのを覚えてます。
そこで紹介してもらったのが、株式会社セプテーニでしたね。
凄いご縁だったんですね、、!
やはり営業職からのスタートだったんでしょうか?
幸いなことに営業と運用コンサルどちらか選んでいいよっていう感じだったので、
運用コンサルティングを選択しました。
Webマーケティングの仕事をしたかった理由の一つに、
数値的根拠をもった思考や折衝能力を身に付けたいという気持ちがあったので、
常に数字と向き合う運用コンサルティングという職種がベストと判断しました。
1社目で経験したマス媒体は、数値根拠を持った提案などが結構難しいというか、
数値としてどれくらい成果が出せたのかほぼ分からないような感じの中、営業をしてました。
営業目標を追いながらも、
自分の中で自信がない商品を提案しなくてはいけないというジレンマがあったので、
まずは数値に向き合おうと決意しました。
そのチーム配属で出会ったのが、
当時の上長となる仲田さん (弊社代表)と新卒の頃の張 (広告事業責任者)でしたね。
ここから3人の関係性は始まるんですね …!
当時のエピソードなどお伺いしたいところではありますが ...
本格的にwebマーケティングコンサルタントとして動き出した瀧口さんの歴史については
次回のストーリーにてご紹介させていただければと思います!
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