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結婚からたった2ヶ月で会社を辞めて独立してしまうという、親や会社を敵に回しかねない暴挙が、なぜかうまくいった理由。

今日(11月18日)が16回目の結婚記念日なんでこんな記事を書いてみました。

【読了目安:約2分30秒】

(写真は前の会社の送別会で叙々苑の商品券をもらってご満悦の私。
 この中に妻はいませんあしからず)


とっても気が早いことに私は高校生の時に

将来つくる会社の名前(トランプス)を決めていました。

なのでアメリカ大統領の『トランプ氏』とは全く関係がありません。笑


そして結婚の時期も高校生の時に「30才だな」と勝手に決めていました。

私はどういうわけか何でも先に適当に、勝手に、決めてしまうクセがあるのです。

結果、会社の名前(トランプス=ちなみに意味は切り札)も結婚の時期(30才)も

その通りになりました。


しかし、そのことはずーっと忘れていました。

ただ29才頃からなぜか仕事に関して不思議と

『このままじゃダメだ』と思うようになっていました。

もう本能としか言いようがないほどに『変わりたい』欲求が

心の奥底から突き上げてくるのです。毎日のように

『30才という時を逃してはいけない!』と本能が訴えかけてきます。

そして私は上司にベランダに来てもらい『ダメもと』でこう言ったのです。

「私にお金か時間のどちらかをください」

そしてその上司はありがたいことにニコニコして「どっちもダメー」と言ってくれました。

そのおかげで肚が決まりました。

会社の愚痴や文句を言うのは嫌なので、だったら自分でやろうと。

(正直に言うとほんの少しは言ってましたよ…そしたら当時、某保険会社でトップ営業マンだった先輩に「会社の愚痴は言うなー!」と一喝され、思いっきり弱い心をぶった切られました。ありがたや。ちなみに今はその先輩に会社の保険を全部お願いしています)


一応、当時つきあっていた社内の先輩(後の嫁)に相談しました。

【相談】というよりも、私の中では【決定】だったのですが…。

「あと1年ほどで会社を辞めて独立しようと思う」

そして彼女は

「いいんじゃないの。でも私の方が先に辞める」と言いました。

彼女の方が一枚上手でした。


将来の嫁にも反対されずに結構、あっさりと独立を決断できました。

なぜ独立できると考えたのか。結論はバカだからなのですが、

主な理由は以下の通りです。

当時、私はガシガシと同じチームのデザイナーの約3倍の仕事量をこなしていました。

そして、こそこそDTP(デスクトップパブリッシング)の勉強も二宮金次郎的にやってました。

つまり3人前の仕事をやっていたつもりだったのです。

そして妻も仕事ができる方だったので勝手に2人前はいけるなと思ってました。


そこでこんな皮算用が成り立ったのです。

3人前+2人前=5人前 つまり5人だ!みたいな…。笑

5人いれば大丈夫だろうという。ポジティブシンキング≒バカ。


で2000年の11月18日に結婚します。結婚式の準備はほとんど私が行いました。

会場を決めるのも、式の内容を決めるのもほぼ私だけで進めました。

なぜかと言うと彼女は結婚式の準備期間中、ずーっと日本にいなかったからです。

イタリア・ミラノのコンデナスト社で『VOGUE(Joierro)誌』のデザインをしてました。


つまり、私は独立の準備を、彼女はイタリアという異国でデザイナーとして戦っていたのです。


というわけで私が結婚から約2ヶ月で独立することは予定通りだったのです。

心配をかけるので彼女の親には直前まで内緒でした。

私の親にも内緒でした。きっと理解できないだろうと思って。


まあ、若気の至りというやつです。

でも結局、結婚式の直前に双方の親に独立することを報告しても

驚くでもなく「へー。そうなんだー。がんばってねー」みたいな感じでした。

信用されているんだか、楽天的なんだかよくわからなかったけど

ホッと胸をなでおろしたことを覚えています。


結婚式が終わって新居に戻ると(といってもボロい賃貸マンション)

やたら音が響く布団しかない寒い部屋。

彼女は結婚式の直前に帰国したので部屋になにもなかったんです。時間も金もなんにもない。

笑いました。裸一貫とはこのことだなと…。


上司には結婚式が終わって、予定通りにすぐに辞表を出しました。

今考えるとホントにバカだなと思います。しかし上司は素晴らしい人でした。

「じゃあフリーで仕事やんない?」と言ってくれました。

他の部署のAD(アートディレクター)も仕事をくれました。

辞表を出したら、結果的にたくさんの仕事をもらうことになりました。


4畳半のキッチンの片隅に3,000円で買った中古のガラステーブルを置いて

ライムグリーンのimacと家庭用の電話兼ファックスも置いて即席の事務所ができあがりました。


でもいうほど順風満帆でもなかったです。

一番最初に社外からもらった仕事は、早速、踏み倒されそうになりました。


「ご入金が遅れているようなのでお電話させていただきました…」

クライアント「オタクは法人じゃないんでしょ。ごにょごにょ。」

「・・・」(心の声:法人じゃなきゃ踏み倒してもいい法律でもあるんかい!)


私は売られた喧嘩を買わないほど意気地なしではないので

明るい声でロボットのように毎日、毎日同じ内容の電話をかけ続けました。

相手が「これじゃ仕事にならんわ」と根負けし

やっと入金された最初の仕事の報酬が10万円でした。


「ああ、10万円を稼ぐのも大変なんだなー」と実感しました。と同時に

最初にいい経験ができて運が良かったなと思いました。

この業界は仕事のスタート時に契約書を交わすことなどほぼなくて、

なんとなーく仕事が始まることが多いのです。

そして入金が遅れたり、条件が発注者の都合のいいように勝手にねじ曲がってたり

することがとても多いのです。もはやクリエイターのあるあるネタですらあります。

むしろトラブったことがない人の方が少ないのではないでしょうか。

そしてそのほとんどは泣き寝入りです。

「今まではどれだけ会社に守られていたことか」と、だいたい辞めてから気がつきます。

そうです。チカラのないフリーランサーなどナメられまくりです。

むしろ最初からハメてやろうという輩(やから)だっています。

私は雑誌のリニューアルが完成した途端、出版社が倒産し回収不能になった経験もあります。

とってもいい勉強になりました。早めに世間にビンタされて超ラッキーだったと思います。


もちろん単純にいいこともありました。

独立から3ヶ月後に紹介で大きな定期の仕事が入ったり

(凸版印刷が東洋一でかい輪転機をまる1週間昼夜問わずに回すほどの仕事。書店売りではないが月刊数百万部)※これは独立したてのデザイナーが到底、受けられるような規模ではなく、発注者は頭がおかしいのかと勘ぐったくらいの出来事でした。もともと4社合同で制作していた雑誌でしたが、最初少ないページ数から徐々に担当を増やしてもらい今ではうちが単独で受けさせていただいています。ありがたいことです。

さらに打ち合わせの帰り道、表参道をブラブラ歩いてたら

「おおー、ちょうどよかったー」とすれ違いざまに知人に声をかけられ、

そのまま小さな事務所に連れ込まれ

「会社のCI(実際はベーシックアプリケーション設計)をやって」と言われたり、

(ロゴを2万という破格値で作ったのですが、そこはどんどんデカくなり今は表参道のオーバルビルにでっかい事務所を構えてます。そしてなんと今でもお得意さまです。また上場・非上場含め何人もの社長をご紹介いただきました。本当にありがたい。しかも入金スピードは超早い。ちなみにすべてのお取引企業から当社への支払いサイトの平均はなんと15日以内です。業界のあたりまえから判断すると間違いなく非常識です)

そんなこんなで独立から5期連続で前年比平均130%の売上成長を続けることができました。毎年、勝手に3割づつ売上が増えていきます。

で、その理由はきっと『相手の期待をちょっとでも超える仕事を心がけてきた』というような

シンプルな説明で事足りるように思います。裏技とかないです。


ただ、フリーランスとしての成長は限界があるのと税金の問題があるので

2006年の7月に法人化をし新たなスタートを切ることにしました。

法人化を決めてからまた5期連続で前年比平均130%の売上成長を続けることができました。計10期連続の3割成長となります。毎年、勝手に3割づつ売上が増えていきます。

その後、リーマンショックの時期も乗り越え、まあまあ順調に進んだように見えました

とまあここまでは…。

そしてちょうど2011年の東日本大震災のタイミングで私たちは大きな転換点を迎えます。

そして少しずつ以下のような考えごとをするようになってきました。


Q1. 時代環境の変化により『大企業=安定』の構図が崩れた。でどうする。

Q2. 多くの人々の価値観の変化をどう捉えるのか。どう変わるべきか。

Q3. 日本経済のシュリンク(縮小化)に対するデザイナーの使命とは。

Q4. 一般的なクリエイターの価値が大きく下がることへの対応は。

補足 1. たいした説明もいらないと思いますが、大きくなりすぎた組織にあぐらをかいて何も生み出さない人が増えれば潰れるのは自明の理です。そしてあまりにも大人数の組織では個々人の責任感も薄まりがちです。結果、変化への対応が遅れた企業が潰れることとなり一生涯ひとつの会社で働くというモデルが事実上崩壊しました。厚生労働省もキャリアコンサルタント(転職・就業のサポーター)の育成に乗り出しています。私もその資格取ろうかなぁ。

補足 2. 価値観の転換は歴史を紐解くとわかるかと思いますが、大まかに【軍事の時代】→【政治の時代】【経済の時代】【人道の時代】へと変遷を遂げつつあります。いや、そうあらねばならないと思います。もちろん儲かることは重要なのですが、それだけではビジネスが成り立たない時代の到来を感じます。

補足 3. マスコミはきちんと報道していないと思いますが、日本経済の今後の見通しが甘すぎると思います。まるで大本営発表かといいたくなるような妙なポジティブさを感じます。東京オリンピックまでは日本の年代別人口構成的にも問題が顕在化しないと思いますが、その先はチカラのない人から真っ先に堕ちていくと予想します。メディアリテラシー(意訳:情報を読み解く力)の権威である明治学院大学法学部教授の川上和久氏は『メディアの進化と権力』(NTT出版)の中で「政治権力と情報操作は一体である」という趣旨のことを語っています。

補足 4. 若くないフリーランサーにとっては特に深刻な問題なのですが、情報通信インフラの普及にともない仕事のやり方の急激な変化と価格破壊が起き始めています。『ランサーズ』や『クラウドワークス』などのサービスにより低価格でカンタンにクリエイターを探すことができるようになりました。適材適所にうまくハマっているとも考えられますが、レベルの高いクリエイターほど発注者にとってはいわゆる『オーバースペック』となりがちで逆に仕事先の固定化が進み、それゆえ足元を見られ身動きが取りにくい現状があります。またAIの進化はコピーライティングの分野も近々制覇されると予測されています。もう本当にどうなることやら。


で、私がただの「勘」に基づいて下した方向転換は以下の通り…。

A1. 『大きな組織』への新たな営業活動をストップし『小さなお店』のお客さまを増やすことで、誰かに価格決定権ほかをコントロールされない事業のスタイルをめざそうとした。

A2. 人道主義的な理想の会社をめざそうとした。いわゆる『キレイごと』を実現するために圧倒的な実力を兼ね備えた、人間力と知恵と勇気ある人材を集めることを決意した。

A3. 『小さなお店』へ高レベルの商品を売るだけでなく有益な情報を提供し長期的安定成長をサポートしようとした。と同時にコンテンツ制作メインでクリエイターが緊急対応せずとも成立するモデルをめざした。

A4. 今までは優秀なクリエイターのチカラが及ばなかったブルーオーシャンへの進出を決めた。高いレベルでの新たな価値の提案。継続的かつ安定した分量の仕事を生み出せるプラットフォームをつくろうとした。


さてさて創業ストーリーはここまでにします。会社としてできることも増えてきました。

ただし、うちの会社はとても地味な事業内容なのでITベンチャーのような派手さや面白みにかける面はあるかもしれませんね。以前ノリでiphoneの無料アプリをデザイン&プロデュースした時にBookカテゴリーでAppleの『iBooks』をおさえて10日間連続1位を記録したり、ダイエットアプリをデザイン&プロデュースしたら最初すんごい売れて『このペースならほったらかしで年1,000万だな』と思うようなこともありましたが、結局、『何かにコントロールされてる感』と『心の底から燃えない感』を拭いきれずにヤメちゃいました。テレビに紹介されてマネタイズができたことも私にとっては『運まかせ』な感じがして…。

そして古来からある『のぼり旗』制作事業に軸足を移すことになるのです。(「なぜ、のぼり旗?」と言われることも多いのですが、稲盛和夫氏が「新しい分野の事業もいいが、古くからある事業を改善、革新することの方がより価値がある」的なことを言っていたことと、カッコイイ業態は優秀な人が多く集まってるのでそんなに優秀な人が集まりづらいカッコ良くない分野で勝負しようと思ったからです。苦笑)


ただこの後さらに5期連続の前年比130%の売上げ成長が続くことになり、前年比130%成長は結局、独立からほぼ15期連続となるのです。でもそれはあくまでも売上げであって、利益ではないのです。


実は東日本大震災以降に私は

企業哲学「デザインのチカラで人生の勝利者をつくる」を本物にするために

意図的に会社の決算を

3期連続の赤字に突入させたのです。

その当時いた社員に袖を強く引っ張って止められるようなバカなことをやったからです。
会社という船の舵を儲からない仕事に向かって切ってしまったのです。

ブルーオーシャンに船出したつもりが、ただのブルーの顔面になり下がるのです。

当時の私には理想しか見えていませんでした。
組織を作るということが、こんなにも大変なのか、
会社を経営することがこんなにも苦しいことなのかと気づくまでには、
まだしばらく時間がかかりました。

創業社長は気が触れていないと務まらないのかもしれません。笑

でもそんな我が社もおかげさまで
2021年現在で15期目を迎えることができました。
それぞれの時代を支えてくれたスタッフたちのチカラです。
それはもう感謝しかないのです。

そしてこの後に私の『こんなはずじゃなかった』ストーリーが
いよいよ幕を開けます。


【創業ストーリーは終わり】



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