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「谷や」が出来るまで

香川に生まれて3歳から食べているうどん

17歳の時に、家から近く幼少期から通っていた香川讃岐うどんの名店「もり家」の森田大将の人柄にほれ込んだ。ああいう人になりたい。 人情味にあふれていて、まさに「ザ・職人」

高校卒業後もり家に就職したいと親に言いました。

親から大学に行けと言われました。結局、二年間だけ大学にいって中退

その後、修行生活に入りました。毎日朝から晩までうどんの事だけでした。

そんな修行時代の出来事です。

20歳の時に出汁の煮えたぎった寸胴に誤って入ってしまいました。

もちろん大やけど。。。

集中治療室~入院3ケ月

馬鹿だとみんなに言われますが、 うどんがどんな気持ちで熱い釜で茹でられているかが分かってより、うどんが好きになりました。w

その後、浜松支店で店長をしていました。 朝6時から夜中の1時まで、浜松のフードコートにいました。毎日、粉まみれで真っ白。部屋には寝るだけの日々

その時に出資者の方と出会いました。

その方に「独立するつもりはないか?」と聞かれ、自問自答しました。

その時、修行を開始して8年が経っていました。

「自分の力で勝負してみたい」その思いが強くあり、東京での独立を決心しました。

師匠に報告したところ、幹部として期待されていた事もあり、一門への出入り禁止にまでなってしまいました。でも、師匠への感謝の念は忘れず、ご恩に報いてなんとしても事業を成功させようと思いました。※今は、お許しを頂き「もり家一門」の一員に戻っております。

ですが、私には重大な欠点があることに気づきました。それは、いままでうどん以外の食べ物をまともに食べた事がないという事です。東京には美味しいものがいっぱいあります。その中で勝負できるうどんをつくるには、美味しいものや繁盛しているお店に触れなければならないと感じたのです。

それを克服するべく、店をOPENするまでの半年間食べ歩きをしました。
東京、九州、和食、フレンチ、イタリアン、中華etcと半年間で、実に700万円分食べ歩きました。

お店の場所は、東京日本橋人形町にしました。

うどんで日本一なりたい。なら、東京でしかも中心地でやりたい。

店舗準備している最中も内装業者が潰れたりといろいろありましたが、なんとかOPENの日を迎えました。人が来るのかドキドキしていたら、初日から、香川の「もり家」ファンが、なんの告知もしていないのに沢山訪れて下さって行列になりました。
その後、店が軌道に乗り、ミシュランガイド東京でビブグルマンに選出されたり、TVに取り上げて頂くようになりました。

ですが、手打ちうどん、讃岐うどんそして飲食業界を考えると、とても厳しく難しい未来が待っていると感じました。「美味しいうどんをつくりたい」だけでなく「オーナーになって成功したい」という担い手がいなくてはと思っています。

うどんで世界発信したい。そういう思いを持って日々精進しています。

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