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創業ストーリー(2)「これまでの歩み、技術のバックグラウンド」

父の工場での苦労が、独立の基盤となった

テクノラボの技術的なバックグラウンドの内、製造技術にかかるものは、元々は林が集めてきたものから始まっています。私は大学在学中に父親の工場を手伝って、結局卒業後になし崩しでプラスチック業界に入りました。私が就職する時期はまだ景気が良かったので、大企業で楽しそうに働く同級生をちょっと羨ましく思ったことも、まぁなくは無かったな。

ただ生まれ変わっても同じことを繰り返すとは思います。リスクテイカーな性格なもので。

多少は苦労はした気もしますが、その分勉強出来たことで得られたものも多かったと感じています。

父親の工場では、基本朝から晩まで(実際は朝から朝まで)、金型の付け替え、成形準備、自動機の設定、組立工程の段取り、品質基準の決定と指導なんかやってました。

量産に関するほぼ全部ですね。

毎日16時間が最低労働時間(笑う)で、多い日は22時間位働いてた(つまり寝ない)。土曜でも12時間位は働いてたけど、日曜は段取りだけ(2ー3時間)で休みだったな。今じゃ絶対無理、若かったなーって思う。

でもお陰で他人の3倍位経験が積めたと思う。もし今の日本で他人の会社に勤めていたら、多分経験値が足りなくて、この分野では独立出来ていないだろうな、と思うので。

テクノラボの変わった技術ベースとして、液状プラスチックというのがあります。このコンパウンド経験を積んだのもこの頃が始めです。結構色んなことが出来ました。

とは言えその後残念なことに、父親の工場はつぶれてしまいました。

実家は抵当に入っていましたから家族一同出ることになり、丁度その頃今の嫁と結婚して2人で暮らしはじめました。

余談ですが、その時に急にやることがなくなったので、アルバイトをしながら会計の勉強始めました。おカネがないしんどさが身に沁みていたので、何でも良いからおカネにかかわる知識が欲しかったのです。ついでに会計の難しめの資格を取ろうと思いましたが、流石に世の中は甘くないです、2回受けて、2回とも不合格でした。私はあまり試験向きじゃないのかも知れませんね。

大手企業の内部を知れたネット系ベンチャー時代

既に結婚していましたから働かないと愛想尽かされるので、仕事を探しました。丁度インターネットが出始めの頃で、ネット系ベンチャーに潜り込むことに成功しました。

ここが天国で、会社のおカネで自由に工場廻りは出来るし、ネットの勉強もできて、かつ会計のスキルも使わせて貰えました。

ネットベンチャーとは言いながら社内は比較的緩ーい雰囲気で、会社に泊まる程も働かないし、土日は割と休めるし、それで毎月ちゃんと給料が入る訳です。工場の手伝いをしていなかった大学の前半時代以来で、久しぶりに人生を謳歌できました。

ここでもう一つ良かったのが、大手企業の中がどうなっているのかが覗けたことです。

当時ネットベンチャーブームで、その会社も大企業の新規事業開発室とか、開発部とバンバン提携していて、大手企業と協業するチャンスが多かったんですね。

カウンターパートは部長級のことも多く、意思決定権があるので彼らがどういう仕組みで意思決定しているのか、触れることができたのはラッキーだったと、後で気づきました。

本当にその重要性が分かったのは、少し時間が経って退職した後ですが。

多数の企業を見てきた経験を活かし独立。再度技術畑へ

その後独立してテクノラボを創業したのは前にも書いた通りです。独立してまた技術畑に戻りました。

テクノラボで最初にやった仕事は接着剤材の開発です。正確には外部の技術者が決めた開発意図に従って、コンセプトに従って具体的な作業を進めることです。ウチの分担は接着材のキモとなるフィラーを混ぜる仕事でした。

フィラーとは、接着の構造部材呼ぶ混ぜモノのことです。

技術的な話をすると、2次凝集しているフィラー(粉体)を接着剤(溶液)に混ぜ合わせて、一定のエネルギーを加えるてフィラーを細かく分解分散させるという仕事。微細な構造部材が接着剤の中に均一に分散することで、接着強度が飛躍的上がるために、ここが接着剤のキモとなっていて技術的にもデリケートな部分です。一緒にやっていた技術者は、ここを抑えて勝負しようとしていました。

ただ自動車向けの仕事でしたから、量産でお金になるまで3年はかかるのが分かっていて、その間生活しなくちゃいけない。それで前職で自分が担当してたお客の仕事を、そのまま外注として請けて供給する仕事で食いつないでいました。

これに目をつぶってくれた前職の社長には頭が上がらないですね。つくづく身勝手な若者だったなぁ、と思います。

不景気な時代に合わせた金型開発

プラスチックの量産を学んでいたと言いましたが、まだその頃までに自分が責任を持って起こした金型はせいぜい十数面だったと思います。

それが大島が合流してデザインが出来るようになってからは全然違ってしまいました。

デザインが受け入れられると、金型を作って量産することになるので、大量の金型を受注製作することになりました。

ただ当時は景気が絶不調だったので、デザインOKを貰った後に金型費用が足りなくなることが本当に多かったです。そんな訳でともかくも安く作る手法や、安く作れるパートナーを捜しつづけたことが現在に繋がっています。

金型技術については製造型面数が100を超えた頃から、急に視界が開けたような気がします。どうすれば安くなるのか、どこまで落とすとどのレベルになるのか、等々。

今では簡易型も合わせて扱った金型は優に5000面を超えました。

自負ですが、大抵の日本の金型屋さんよりは経験が多いと思います。金型ならば問題が発生してもほとんど正しく修正させる自信があります。

でも中国の実力ある金型屋さんには適いませんね。当社の10倍以上を作ってる奴が山のようにいますから。残念ながら、いまの日本で金型の話がちゃんと出来るのは70才を超える一部の技術者だけじゃないのかな、と思います。

現在は、当社では簡易型が受注の主流となりました。簡易とは言っていますが、金型としての本質は何も変わらないと思っています。

テクノラボの金型部には、林と同じように廃業した金型屋の跡取り息子が合流してくれています。

彼は正当な金型作りの経験を積んだ上で簡易型設計をしています。だから林が先鞭をつけた技術ではありますが、テクノラボ自体は林が始めたものよりずっと先に進んでいて、少し寂しい気もします。

また金属以外の素材を金型にして量産する方法を続々準備中です。

3Dプリンターは実用化できる分野が極めて限られるので、これからはこの技術方向が主流になると期待しています。

開発の世界はどの企業も水面下で進めるので、現時点でどのような技術が最先端なのかは分かりませんが、この方面では相当先端的な位置にいると思っています。

見える範囲でいえば、それなりの技術を持ってるのは、日本で10社強、世界でも50社程度だと予想しているので、切り口を絞れば競合はしないのではないかと思っています。

創業ストーリー3へ続く


創業ストーリー(3)「テクノラボが作っている一番の付加価値とはなにか」 | 株式会社テクノラボ's Blog
テクノラボの技術ベースは林と大島が二人で作った会社です。会社の価値観は二人の価値観の融合点にあり、それが会社の付加価値だと思っています。テクノラボのすべての価値基準はここに起因します。大島と働き...
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創業ストーリー(1)「創業のいきさつ、共同経営者との出会い」 | 株式会社テクノラボ's Blog
テクノラボ代表、林光邦です。テクノラボは2004年に創業しました。それまで私はネット上で工場のデータベースを運用する会社に勤めていました。まだ小さい会社でしたが、丁度ベンチャーキャピタルから資金...
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