株式会社水星には、多様な業界でプロフェッショナルとしての腕を磨き、独自のこだわりや「好き」を抱えた多彩な人材が集まっています。水星に新しく入社した社員にインタビューをする「入社エントリー企画」。
今回ご紹介するのは、2026年2月に水星にジョインし、HOTEL SHE, KYOTOのホテルスタッフ経験を経て現在はホテル雲井でアシスタントマネージャーを務める山本啓太さんです。
新卒でインポートアパレルを扱う商社に入社し、大手量販店向け子供靴の企画・営業・海外生産管理を一気通貫で推進、年間20万〜25万足、売上3〜5億円規模の事業を牽引してきた山本さん。そんな彼がなぜ、一転してホテル業界へ飛び込んだのか。そして、手探りの現場で泥臭く挑む現在の熱い想いについて伺いました。
アメリカ・中国での留学体験と、ローカルカルチャーで知った自分の原点
一 まずは幼少期から大学までのルーツについて教えてください。
山本:
昔からずっと、お調子者で前に立ってみんなに見てもらいたい目立ちたがり屋なタイプで(笑)でも、年齢を重ねるにつれて「人のためになるような目立ち方をしたい」と意識が変わっていった感覚があります。今もその意識は変わっておらず、特に今いるホテル雲井は、インターン生がどんどん入ってくる環境なので、彼らに社員との温度差を感じてほしくないという思いが個人的にあって。インターン生も一緒に仕事しやすくなればいいなと思って、意識的に僕から働きかけや声かけを色々やっています。
高校では、小中学生時代にやっていた野球や陸上から一転、ラグビー部に入りました。父がラグビーをやっていた影響もあるのですが、ラグビーは高校から始める人がほとんどなので、みんなスタートラインが一緒だったというのが一番の理由です。「ここならゼロから挑戦できる!」と思って入部しました。僕は、体は小さかったのですが、チームでは司令塔のポジションを担っていました。チーム全体の動きを指示してボールをどこへ展開するかを判断する役割です。自分よりガタイが大きい相手に立ち向かっていく挑戦心や、「気持ちでは絶対に負けないぞ」とぶつかっていく達成感がたまらなく楽しかったですね。
ー山本さんといえば、語学が得意なイメージがあります。中でも、英語だけでなく中国語も話せることで入社早々接客でも大活躍されたと伺っています。大学では中国語を専攻されていたそうですが、なぜ中国語を選ばれたのでしょうか? 学び始めたきっかけや、その背景についてぜひ教えてください。
山本:
4歳くらいからずっと英会話を習っていたため、基本的にずっと英語は得意科目でした。中学生の時、ホームステイプログラムでアメリカへ行ったのですが、後の人生にも大きな影響を与えた刺激的な経験となりました。現地の学校で、先生からふと「今日、Have a nice dayって言った?」と聞かれて、「あ、自分から自然にその言葉が出てきていなかったな」とハッとしたんです。教科書や英会話教室で学ぶだけでなく、日常のリアルな受け答えの中にたくさんの発見があることに気づき、もっと外の世界に出て語学を学びたいという気持ちが芽生えました。
ただ、大学進学のタイミングで、「英語をもっと伸ばすというよりは、新しい言語を学びたい」という好奇心が強く、世界で話されている人口が英語よりも多い中国語を学んでみたいと思ったんです。そうして、英語圏と中国語圏の両方に留学できるカリキュラムがあった関西外国語大学を選びました。実際、大学時代に、アメリカ・ユタ州、中国・北京の両方へ、半年ずつ留学することができました。
まずユタ州は、人口の7割ほどがモルモン教徒というエリアで、嗜好品や娯楽も禁止が多いなど非常に戒律の厳しい文化。ホームステイ先も熱心な信者のご家庭で、毎週教会に通うような生活でした。外から見るとすごく厳しくて大変そうと思われるかもしれませんが、実際に暮らしてみると、彼らは何不自由なく幸せそうに過ごしているんです。「できないこと」をネガティブに捉えるのではなく、「家族や周囲の人のためにルールを守っているんだ」という温かい思想が根底にある。まさに「現地へ行ってみないとわからないことがある」と肌で実感した体験でした。ホストファミリーが家族のように迎えてくれたので、僕も郷に入っては郷に従えで、彼らの前ではルールを尊重するように過ごしていました。
アメリカ留学
そして北京では、北京大学で寮生活を送っていたのですが、ユタ州の厳格な生活とは真逆の、本当に刺激的で楽しい生活でしたね。街の発展スピードの凄まじさと、急にものが生まれてはなくなっていくダイナミズムを目の当たりにしました。例えば、三里屯(サンリトン)という大きな街のクラブへよく遊びに行っていたのですが、僕たちが日本へ帰国した瞬間にそのクラブ街が一掃されて、あっという間に新しい商業施設が建ってしまったんです。「懐かしい」と浸る暇もないほどの圧倒的なスピード感に圧倒されました。情報規制は厳しい環境だったので、SNSが禁止だったり、春節の時期にはどのテレビをつけても建国セレモニーの番組が流れていたりと、日本にいたら絶対に触れられない世界を体験できたことも強く印象に残っています。
どちらの国でも日本人だからと差別されるようなことは一度もなく、人はみんな本当に温かくてありがたい留学体験をさせてもらいました。
中国留学
年間20万足の子供靴を手がけた商社時代。ホテル業界を志した理由。
一 大学時代からカルチャーやファッションにも深く触れていたと伺いました。
山本:
大学時代は、同学年内に多くいた年上の人たちについて行って、いろんな経験や繋がりを作ってもらっていました。枚方から車やバイクで奈良のライブハウス界隈へ通う日々で、誰でもウェルカムで「やりたかったらうちでイベントやりなよ!」と迎えてくれるローカルな空気感が、自分にすごく合っていたんです。DJを始めたきっかけもそこで、名だたるバンドが熱気あるイベントをやっている箱でDJをやらせてもらったり、イベントを企画させてもらったりと、楽しい思い出がたくさんあります。
就職活動の時期はちょうどコロナ禍の初期で、どこもオンライン面接ばかりでした。上はスーツで下は短パンみたいな、画面越しの就活にどうしても本気になれなくて… そんな中、12月頃に受けてみたファッション商社が「とりあえず会社に来てください」と対面で面接をしてくれたんです。直接会って話をしたらすごく気に入っていただけて、トントン拍子で入社が決まりました。海外から商品を買い付ける部署があり、英語を活かせるフィールドがあったことも魅力でした。
一 前職では、大手量販店向けの子供靴の開発・営業で大きな成果を出されたそうですね。
山本:
入社2年目の東京転勤にともない、某大手衣料品チェーンのベビー・子供向けブランドの子供靴事業を担当することになりました。最初は上司のサポートとして中国工場とのやり取りや出張時の通訳などをしていたのですが、着任して半年ほどで直属の上司2名が相次いで退職してしまって。僕ともう1人の女性社員のたった2人で、その大きな事業を回さなければいけない状況になったんです。そこからはもう、がむしゃらでした。ゼロから取引先に顔を出して信頼関係を築き、デザインを描き、商談を重ね…気づけば年間20万〜25万足規模、売上で約3〜5億円の商品供給を一貫して担うようになっていました。
靴の企画や開発と聞くと華やかなイメージを持たれることもありますが、ソールの金型をひとつ作るだけでも「最低何万足の生産が必要」というとてもシビアな世界で、実際の商談もかなりロジカルでした。バイヤーさんとの打ち合わせでは、「この機能がおすすめです」と提案しても、「なぜその機能が必要なのか」「どんな場面で価値を発揮するのか」といったことを徹底的に問われます。毎週の商談前は胃が痛かったですね(笑)
そのため、作りたい靴の理想像と市場の需要予測を照らし合わせながら、どの機能をどのような根拠で落とし込むのかを考え抜くことが、僕の役割でした。中国の工場と何度も議論を重ねたり、子どもがどのように走れば、かかとからつま先へ効率よく力が伝わるのかを研究した論文を読み込んだりしながら、ひとつひとつエビデンスを積み上げて靴を設計していました。自分の考えを論理的に組み立ててものづくりに落とし込む力は、そこで鍛えられたと思います。
一 20代前半でその規模を動かすのはものすごい重圧ですね。そのタフな環境から、転職を意識されたきっかけは何だったのでしょうか?
山本:
街中で自分が企画した靴を履いている子どもを見かけると嬉しかったですし、多くの方の暮らしに関われる仕事だと実感していました。一方で、お客様との接点が限られていたからこそ、自分の仕事の先にいる人たちの反応を直接見られる環境に興味を持つようになりました。それが転職を意識する大きなきっかけだったと思います。
毎シーズン、自分たちなりに全力を注いで商品を作り上げていましたし、多くの方の手に届く商品に携われることには大きなやりがいを感じていました。一方で、アパレル業界は常に次の商品開発へと進んでいく世界でもあります。常に次のシーズンへと進んでいくサイクルの中で、自分が手がけたものが最終的にどんな人に届き、どのように受け入れられているのかをもっと近い距離で感じてみたいと思うようになったんです。
その頃プライベートで、高円寺の阿波おどりのお手伝いや、森道市場での出店のお手伝いをする機会がありました。店頭に立ってお客さんと直接言葉を交わし、笑顔を受け取るたびに、「こういう仕事の方が自分に向いているのではないか」「人と直接関わり、目の前で喜んでもらえる仕事がしてみたい」という想いがどんどん大きくなっていきました。
イベント出展の手伝いにて
一 そこから、「ホテル」そして「水星」と出会った経緯を教えてください。
山本:
語学を活かしながら目の前の人を喜ばせられるサービス業を模索していた時、知人に連れて行ってもらった東京のホステル「NUI」のスタッフの方と話す中で、「それならホテル業がいいんじゃない?」とアドバイスをもらったのが、最初のきっかけです。
ちょうどその頃、パートナーが勤務をしている会社が大阪でお店を立ち上げることになりました。そのタイミングで僕も仕事を辞めて大阪へ戻って、しばらくはポップアップを手伝っていました。2人で将来について話す中で、「いつか啓太がホテルをやって、私はそこでお店をやりたいね」という共通の目標が生まれ、大阪で自分たちの理想に近いホテル業が勉強できる場所を探していたんです。そんな時、パートナー伝いで知り合った方が元水星の社員さんで、直接水星を紹介してもらいました。話を聞いて「めちゃくちゃ面白そうな会社だ!」と直感し、その場ですぐにカジュアル面談を申し込みました。
手探りの現場で見つけたヒリヒリする面白さ。仕組みづくりとチームのサポートで成長する現在
一 水星に入社後、まずHOTEL SHE, KYOTOに配属されましたが、京都での日々はいかがでしたか?
山本:
水星のメンバーと初めて会った時の印象は「全員若い!」でした。代表の翔子さんも含めてみんな若く、前職での40〜50代中心の年功序列のピラミッドとは全く違う、フラットで熱量のある空気感にワクワクしました。
HOTEL SHE, KYOTOでの日常の小さな一コマなのですが思い出深い出来事があります。日本語も英語も通じない中国人中年男性のおひとり様ゲストに、勇気を出して中国語で積極的に話しかけてみたんです。そうしたらものすごく喜んでくださって、「お前、一緒にタバコ吸いに行くぞ!」と誘われて。勤務中だったので最初お断りしようとしたのですが、近くにいた鈴木さん(HOTEL SHE, 副支配人)が、「行ってきなよ! 仲良くなれるなら全然迷惑じゃないよ」と、背中を押してくれたんです。ゲストと深く心を通わせることができたあの時間は、本当に嬉しかったですね。他にも、ポップアップイベントでオペレーションの取り仕切りやスタッフへの共有を任せてもらい、無事に大成功で終えられたことは、大きな自信になりました。
一 そして現在は、ホテル雲井へアシスタントマネージャーとし、京都とはまた違ったフェーズの環境で活躍されていますね。雲井での生活はいかがですか。
山本:
雲井に来て数ヶ月経っても、まだまだ頭が追いつかないくらい毎日が目まぐるしいですが、充実した生活をさせてもらっています。HOTEL SHE, は、10年近くかけて先輩たちがオペレーションやノウハウを洗練させてきた強固な土台がありますが、雲井は今まさに手探りで基盤を作っている真っ最中。雲井には他拠点のメンバーが入れ替わりヘルプに来てくださる体制ですが、一人ひとり得意なスキルが違って色々なことを教えてもらえるところも、雲井で働く面白さのひとつです。メンバー同士で助け合い切磋琢磨しながら、様々な業務効率化や工夫を行い、毎日トライアンドエラーやアップデートを重ねています。
ホテル雲井の社員・インターンと
例えば、これまで手書きで作っていた食事の席次表を、マクロを使って自動化しました。8月に中村さん(京都・大阪で支配人を歴任し、現在、経営企画室・情シス担当)がヘルプで来てくださった時に「この表、めちゃくちゃ面倒くさくない? システム作っちゃえばいいじゃん!」と言われ、中村さんにイチから教えてもらいながら組み上げました。今でも現場で毎日大活躍しています。
また、温泉の温度測定リマインダーも自作したんです。雲井ではお湯の温度を安定させるために1時間に1回検温するルールがあるのですが、現場がバタバタしているとどうしても忘れがちになってしまう。そこで、13時から22時までの間、PCのデスクトップに毎時間ひょっこり現れて「温泉を測ってください」と知らせてくれる「温泉仙人」という少しコミカルなおじいちゃんのリマインダーアプリを作りました(笑)インターン生も多い現場なので、みんなが楽しく確実に業務を回せる仕組みを工夫しています。
今の雲井は、「やります」と手を挙げればすべて自分の経験になる、そんな環境です。自分の改善策が正解かどうかはわからないけれど、声を上げて泥臭く動かなければ何も始まらない。このヒリヒリするような現場の感覚が、すごく面白いですね。
温泉仙人
一 現場の課題を自分の手でユニークに解決していく姿勢が素晴らしいですね。山本さんが感じる「水星で働く魅力」とは何でしょうか?
山本:
それぞれの場所から全員が横に並んで応援してくれていると感じられるところです。日報レポートやお知らせにもみんなが温かいリアクションやメッセージをくれたり、月一の全社ミーティングでの事業所発表後に直接「 めちゃくちゃ頑張ってるね!」とDMをくれたり… 雲井は特に立地的に離れたところにいますが、全く孤独を感じません。「ちゃんと見てくれている人がこんなにもいる」という実感があるからこそ、モチベーションに直結し、もっとガツガツ挑戦しようというパワーが湧いてきます。雲井の現場でも、支配人の小川さんをはじめとする先輩方が「山本くん、これできるんじゃない? やってみようよ」と、どんどん裁量を持たせてくれます。アウトプットに対して細かいフィードバックや、時には厳しい指摘も本気でぶつけてくれるので、人としてものすごく鍛えられていますし、成長を実感できています。
一 最後に、今後の展望と、これから水星へジョインする未来の仲間へのメッセージをお願いします。
山本:
直近では、雲井でスタートした「小商いプログラム」も軌道に乗せ、地域とホテルをつなぐ独自のイベントを自分の手で企画・運営したいです。そして来年5月からは関西に戻ってHOTEL SHE, OSAKAに配属される予定なので、雲井で泥臭く学んだ現場マネジメントの力を還元し胸を張ってチームを牽引できるよう、さらに成長して帰りたいと思っています。長期的には、パートナーと共に「ホテル×小売店」という自分たちの温かな拠点をつくる夢も一歩ずつ形にしていきたいですね。
水星に合うのは、「大変なことでも終わりが見えないことでも、ノリよく面白がりながら、がむしゃらにもがき続けられる人」だと思います。ホテルには毎日変化があり、決まったマニュアル通りの正解はありません。だからこそ、未完成な環境を楽しみながら、自分の頭と足を動かして現場を切り拓いていける人と、ぜひ一緒に熱い仕事をしたいです!
雲井インターンとの写真