萩荘の解体がなくなったわけ
みなさんこんにちは!
前回に続き、東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。
HAGISOの前身である木造アパート「萩荘」は解体することとなり、
僕らは最期の晴れ姿としてアートイベント「ハギエンナーレ2012」を開催(vol.1参照)。
このアートイベントが、予想以上の盛り上がりを見せたのです。
イベントと並行して、萩荘の大家さんは解体・駐車場化の段取りを進めていました。
萩荘の大家さんは、隣接する寺院、「宗林寺」さんです。
住職は常々、地域に対する、現代的な寺の文化的貢献に対して考えていらしたそうで、
萩荘を舞台にしたアートイベント、ハギエンナーレには大変共感していただきました。
私は展示の片付けをしつつ、大家さんと後始末について話していると、
大家さんの奥さまがぽつり、とつぶやきました。
「ちょっともったいないかしらね〜」
おや? と。これはもしかすると少し風向きが変わってきたのかな?
と思い、よくよくお話を伺ってみると、
「ハギエンナーレ2012」を通して、大家さんたちご自身も、
ただのボロアパートだと思っていた建物に多くの若者が集まった光景を目にして、
場所のポテンシャルに気が付いたとのことでした。
「これは萩荘にとって最後のチャンスかもしれない」
僕は早速リノベーションのアイデアを提案しました。
デザインをずっと学んできた僕にとっては、提案書をつくるなど全く素人でしたが、
簡単な事業計画と、経済的なリノベーションのメリットに関しても説明しました。
「駐車場として運用する場合」「新築の集合住宅を作る場合」「リノベーションする場合」、
と3つのシミュレーションを仮定して、それぞれの事業を比較します。
このとき役に立ったのは、
広瀬郁著『建築学入門-おカネの仕組みとヒトを動かす』(彰国社)という本で、
実際の事業を動かしていく上でも非常に重要な基礎知識を学ぶことができました。
一生懸命考えたものの、独立したてで何の実績もない僕のような若造の提案ですから、
事業の採算性というよりは、ほとんど情熱を買っていただいたようで、
最終的にリノベーションという選択肢を選んでいただけました。
後から大家さんに聞いた話によると、展示をある程度無事に成功させたことで、
大家さんから一定の信頼を置いていただけるようになっていたようです。
さて、とはいえ萩荘で一体何を始めるのか。
最初は設計だけして、誰か外からテナントを募集しようと思っていたのですが、
それだけではなにかが失われてしまうような気がしました。
継続的な思いというか、熱量の持続性のようなものかもしれません。
場所のポテンシャルを最大化する試みを、
建物のデザインだけではなくて運営することも含めてデザインしたいと思い、
全体を丸ごとお借りして、自ら施設の運営にチャレンジすることにしました。
ヒントは、上海のまちでの経験から
ところで、私はこの萩荘の改修にとりかかる前、
2011年までは設計事務所に勤めていました。
主に海外の大規模施設の設計がほとんどで、まだ何も知らない僕らのようなスタッフに、
ありえないくらい大規模の設計をチャレンジさせてくれました。
設計者として、そのような大規模な施設の設計に携わることができるのは
貴重な経験ですが、一方で、
どうしても自分が携わる建築の必然性のようなものが掴めないまま、仕事をしていました。
日本における公共建築は、本来的な意味で公共空間として使いこなされず、
「箱もの」としてお荷物になっている建物が多い状況を目の当たりにしてきた世代として、
一体誰のために、何のためにつくっているのか、
ということをリアルに実感したいと感じていました。
出張で中国の上海に半年ほど滞在していたのですが、
当時、上海なんかはそれはそれはもう開発がまっさかりで、
新しい高層マンションが次々と建ち並んでいくわけです。
しかし、上海のまちの中には、
取り残されたように「里弄(リーロン)」と呼ばれる古い路地に
住居がひしめき、いまだに多くの人が住んでいました。
どうしても僕にとってはそちらのほうが100倍魅力的に見えていました。
滞在先がこのような古い住宅を意味する「老房子(ラオファンズ)」と呼ばれる
共同住宅だったこともあり、そこでの日常を目にする機会が多かったのです。
例えば、もうこっちは寝てる時間なのに廊下で炒め物を始める住人がいたり、
向かいの家で夫婦喧嘩を始めたりと、むちゃくちゃなわけです。
でも毎朝路地のおばあちゃんは親しげに挨拶してくれたり、
バルコニーで一斉に干された洗濯物を目にする日々は、
なにか自分が古くから脈々と続くまちの一員になった気がしました。
何故スラムのような古い路地のほうが最高に魅力的で、
清潔で経済的価値の高い高層マンションが絶望的につまらなく見えてしまったのか。
単なるノスタルジーや雰囲気によるものなのか。
ずっと考えてきましたが、最近になってだんだんわかってきたことがあります。
新しくつくられるまちは、人が建物に収納されているように見えるのと対照的に、
老房子などが残るまちは、
人が自分の生活空間を獲得しようとする意志と自由をもっているということです。
まず生活があり、それに合わせて必要な空間につくり替えていくたくましさが
生き生きと見えたのでした。
老房子のように上海には意図的に古い建物を利用した場所が多くあります。
経済成長のまっただ中にありますので、一見乱開発のみが行われるように見えますが、
昔からの路地を利用した街区や工場をリノベーションした商業施設、
地下防空壕や租借地時代の洋館を利用したナイトクラブなど、
古い建物をコンバージョン(用途変更)した場所が実はいたるところにあります。
多くの中国人は新しいもの好きなのですが、
こうした古い建物が持つ価値を利用することで、
エリア価値が高まることを彼らは知っています。
それがたとえ商業的な目的を意図するものだとしても、
もともとのポテンシャルを生かしきっていこうとするしたたかさをもって
新たな魅力的な場所として生まれ変わっているのは、全然アリだと思えました。
翻って東京のことを考えてみますと、
そもそも震災や戦災の影響で、残っている古い建物自体少ないという一面もありますが、
戦後に建てられた建物に関しても基本的には価値を見出さず、
新しく管理のしやすい建物を好む傾向が強いと僕には思えます。
このまま東京が時間的な奥行のないつまらない都市に向かってしまうのではないかと、
危機感を感じるのです。
萩荘からHAGISOへ
少し脱線しすぎました。しかしこのような経験を経て、
萩荘を新しくどのような場所としていくかを考えたとき、
最初に描いたイメージが以下のものです。
萩荘はHAGISOと名前を変え、「最小文化複合施設」として生まれ変わります。
東京には多くの公的な公共施設や、巨大資本による複合施設が存在しますが、
その末席に肩をならべるパブリックな空間を、
「私営の公共施設として運営したい」と思ったのです。
上の図は、そんな思いから若干の自虐的なヤケクソ感とともに描いてみました。
小さいかわりに、東京ならではの、「ここにしかない場所にしたい」と心に決めました。
正直、大規模な複合施設は世界のどの都市にも似たようなものがあります(ボソッ)。
しかし萩荘のように、近年どんどん空き家化している、
戦後の典型的な木造アパートだからこそできるスケール感で、
東京というコンテクストの中での存在感を示せるのではないかと思いました。
具体的には、人が集まるための場として1階にカフェとギャラリー、
2階にはヘアサロンとアトリエ、事務所を計画しました。
カフェとギャラリーは一体の空間として、
イベント時などに複合的な使い方ができるようにします。
ギャラリーという空間は、機能的にはただの空間でしかありませんが、
さまざまな活動を受け止める「あそび」をもたらしてくれるので、
ステージになったりロビーになったりと、新たな使い方を誘発します。
ギャラリー上部は「ハギエンナーレ2012」時に鳥小屋にするために、
二階床をぶちぬいていましたので、そのまま吹き抜けとすることにしました。
工事費用は、建物の構造やインフラに関わるところは大家さんにご負担いただき、
内装や設備は私が負担しました。
どちらの費用も5年で回収できるよう、家賃設定を定めます。
工事開始!
改修計画をまとめ、見積りをとり、いよいよ工事が始まりました。
工事は、リノベーションの工事を多く手がけている、
「工務店ROOVICE」さんに協力をお願いしました。私たちはできるだけ自分たちや、
協力してくれる人たちの手もお借りしてつくりたかったということもあり、
大工さんや職人さんたちと一緒に、
自分たちができるところは自分たちでつくる方法をお願いしました。
工務店にとっては全体の作業量が把握しづらかったり、
工期が読みづらかったりという手間をかけさせてしまいましたが、
おかげで多くの人に工事プロセスにも参加していただくことができました。
まず築60年の古い家ですので、とにかくたまりにたまったものの廃棄と、
不要な部分の解体が大変です。この部分には、お手伝いいただける一般の方を公募。
アーティストや、ギャラリスト、雑貨屋さん、フォトグラファー、学生など、
HAGISOに興味をもってくれた方々が参加してくれ、
大工さんに解体の仕方を教えてもらいながら、一緒に作業しました。
約1週間かけて部分解体・廃棄を完了できました。
ひととおりの部分解体・掃除が終わると、本工事に入ります。
もともと竹木舞にしゅろ縄がはられた土壁ですので、
全体的に構造用合板で耐力壁をつくり、金物で補強していきます。
1階の天井はすべて剥がして、
もともとの2階床根太(床の補強となる部分)が見えるようにしました。
リノベーションの場合、開けてみないと土台の腐れなどがわからない部分が多いのですが、
今回は湿気のたまりやすい北側以外の構造部分はほぼ無事でした。
腐れのひどいところは、
大工さんが仕口(2種類の木材を継ぐための加工)をつくって差し替えてくれました。
柱のやすりがけや壁の塗装は、自分たちや、アーティスト、
建築学生サークルのみなさんの手を借りてゆっくりと進めました。
こうして徐々に萩荘はHAGISOへと生まれ変わっていきます。
うーん、予想以上に長くなってしまいました。
予定ではもうHAGISOオープンのところまでいくはずだったのですが、
あまり長くなってもアレなので今回はここまでにします!