200名から3000名の企業に成長させた人事の挑戦
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T 私の自己紹介
私のキャリアは(紆余曲折&とても長くなるので)また別の機会に詳しく書きたいと思いますが、簡単に自己紹介をできればと思います。
・1976年生まれ
・血液型O型
・水瓶座
・1児(1歳の女の子)の新米パパとして日々育児を頑張っています
私の最初のキャリアは、人材会社のコーディネーターとしてスタートしています。そこから、営業→拠点責任者→複数拠点マネージャーを経て、HRとしてのキャリアをスタートしています。
HRとしては、人材開発から始まり、労務、採用と一通りのことを経験しています。
大手通信会社時代は、独立支援制度を活用し、子会社の代表取締役をしていました(西日本地域を地場にした戦略人事子会社です)。この辺りも長くなるので詳しくはまた今度。
2012年にネオキャリアにジョインし、2013年から全社人事の責任者として、給与労務・人材開発を中心に行ってきました。
2013年当時のネオキャリアは従業員数300名弱、拠点数もわずかで、新宿の本社も1フロアーに全員が働いている状態でした。
当時は人事部という機能もなく、管理本部の中に人事があり、専属給与担当が1名いるだけの状態でした。
そこから、人事機能を作っていき、7年間で3000名超の企業へと成長をしてきました。
「人事を経営のセンターピンに」をスローガンに、今でもそうですが、経営に一番近い場所で仕事ができたことが、ネオキャリアの成長に比例して、自分自身の成長につながって来たと実感しています。
2020年10月からは、人材開発の責任を後任に渡し、社長室長として代表取締役直下でより経営に直結するミッションを行っています。
T 2021年の決断
年齢も40代中盤に差し掛かるタイミングで、もう一度大きなチャレンジをしたいという強い想いがありました。その中で、もともと坂本社長と知り合いだったということもありますが、何回もディスカッションをしていくうち、シェアリング・ビューティーのMISSIONである「可能性を世界で最も開花させる」に強く共感し、シェアリング・ビューティーが目指すビジョンを一緒に成し遂げたいという気持ちが大きくなりました。
また、ネオキャリアでも約10年目を迎え、やるべきことも一巡し(日々変化のある会社ですが、その変化にも多少のトラブルにも動じなくなりました 笑)、自分がコンフォートゾーンに入っているという自覚も正直あり、もし自分がまた1から(しかも1人で)挑戦する機会があったら、バリューを発揮できるだろうか?この9年間で自分に実力があるか試したみたいという思いがあったのも事実です。
ちょうどネオキャリア内でも、「新しい働き方」を模索する動きがあり、社長直下の自分自身が身をもって新しい働き方に挑戦をして(かつ成功し)、次の世代に引き継いでいきたいと考え、ネオキャリアに所属しながら、シェアリング・ビューティーの人事責任者として、100%リッチメディアにフルコミットするという新しい働き方(人事のパラレルキャリア)を行うことを決めました。
今はシェアリング・ビューティーの執行役員として採用・組織開発・人材開発・労務整備、またコーポレート全体としてのガバナンス強化を行い、シェアリング・ビューティーのビジョンを実現させることが私のミッションです。
T これから成し遂げたいこと
「モノ」や「カネ」・「情報」は、「ヒト」が動かすことによって初めて意味をなす経営資源であると考えています。
また人事戦略とは、企業の経営理念を基にビジョンを実現していくために、「経営戦略」を基点に考え「人と組織がどうあるべきか」を示すという位置づけにあるものです。
シェアリング・ビューティーでは、理念である「可能性を世界で最も開花させる」を体現して、その影響の輪を広げることによって、誰もが挑戦できる世界を実現していきます。
まだまだ、私もシェアリング・ビューティーもスタートラインに立ったばかりの挑戦者です。常に青コーナーにいること忘れずに、謙虚にかつ自信をもって挑戦していきたいと思います。