日野、八王子、多摩、稲城の地でこれほど長く塾を続けてこられたのも、ひとえに地域のみなさまのおかげです。心より感謝申し上げます。
さて、今回は、創業したきっかけからお話ししたいと思います。
故郷の広島から大学進学を機に上京し、6畳1間のアパートを借りて大学生生活を送っていました。すると、ある日、近所に住む一人のお母さまから「うちの子の勉強を見てほしい」と言われ、お引き受けすることにしました。
小学5年生だったK君は算数で苦労していて、どうも分数の計算ができないことが分かりました。そこで私は何とか分数を理解させてあげようと思って、ひたすら分数の計算を来る日も来る日も教え続けました。気が付けばほぼ1年間ずっと分数ばかり。でもK君は頑張り続けてくれました。そして、分数の計算ができるようになったのです。
学校で算数ができるようになったK君がそれから友達を連れてきてくれるようになり、そこから次第に人数が増えていって塾へと発展していったのです。
「分数だったら誰にも負けないよ!」とK君は自信満々に言ってくれました。その時の彼の笑顔が今でも忘れられません。
1年間ひたすら分数ばかりを教えた最初の教え子K君が友達を連れてきて次第に人数が増えていって部屋が手狭になったころ、たまたま私の家に来た新聞屋さんが、より立地の良いところを紹介してくれて、京王線の百草園駅の駅前にあったアパートの1室に移ることにしました。そこで「百草園駅前学習塾」という看板を初めて出しました。この時、家賃は月7,000円、月謝は4,000円でした。
当時はクーラーなど無く、最初の年の夏には、バケツに水を入れて、1クラス5~6人いた生徒たちはそこに足を入れて暑さをしのいでいました。夕方近くになると西日が差し込んで暑くなるので、雨戸を閉めて授業をしたものの、かえって部屋に熱がこもってしまって何とも苦労しました。
しかし翌年の夏、さすがにこのままでは暑くて子供たちも勉強どころではない、何とかしないと思案してクーラーの設置を考えたものの、建物に穴をあけてはいけない、と大家さんに言われてしまって設置できませんでした。それでも「何とかしないと」と考えて、秋葉原の電気街まで友人たちと行って、当時で12~13万円ほどした水冷式の冷風機を月賦で購入して、電車に乗って百草園まで運んできて何とか部屋に設置しました。子供たちが大喜びしてくれたのを今でもよく覚えています。
2年目には生徒数が40人を超え、駅前のアパートだけでは入りきらなくなったので、近くに住居兼教室の1軒家を借りて「分教室」を作りました。もはや「駅前」だけの教室ではなくなったので、塾名から「駅前」を取って「百草園学習塾」と改めました。やがて2つあった教室を1つにまとめて、百草園と高幡不動の中間、三沢中学校の近くの三沢交差点にある藤ビル1階を借りて教室を開きました。
それが志學舎の創業きっかけです。教育を通じて地域の生徒たちが「笑顔」になれる、そんな塾を目指ししています。
「生徒・保護者、塾にたずさわる全ての人が笑顔になれる塾を目指す」
これが志學舎の経営理念です。