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陸上自衛隊から料理の世界へ。関わってくれたすべての人、与えられたチャンスにいつも感謝を忘れずに。

6年間、陸上自衛隊に在籍していた。兄も自衛官で、高校卒業後、何の疑問も持たず同じ道を選択した。だが入隊して3年後くらいから、達成感を得られなくなった。心の隅で転職を考え始める。「好きなことを仕事にしたい」。好きなことは釣りと料理。お酒が好きなので、つまみをつくるのは得意だった。魚釣りでは食べていけないから、「よし、コックになろう」とレストラン巡りを始め、WITH THE STYLE FUKUOKAに行った際、衝撃を受けた。

「圧倒的なロケーションでサービスも素晴らしい。もちろんお料理もおいしくて、ここで働いてみたいと思いました。特に募集も出ていませんでしたが、電話して『働きたいので面接させてください』と言ったら、『いいよ』と答えてもらえて。実はほかのお店にも電話していたのですが、未経験だからどこも断られていたんです」

まずは、アルバイトとしてキッチンに入り、立ち方、包丁の持ち方から仕込まれた。このとき、すでに24歳。18、19歳といった若手メンバーと一緒に働いたが、専門学校出身の彼らは知識も経験もある。毎日、悔しい思いを噛み締めながら、がむしゃらに頑張った。

「自分より若くて元気がよくて、仕事ができる子ばかりでしたから5年間の差を埋めるのは大変でしたけど、越えられるかは自分次第、と思っていました。負けず嫌いなので、壁にぶち当たっても『いつか超えてやる』と。お料理の本をたくさん読んだり、苦手としていることを人の何倍もやったりしました。休日はおいしいレストランを食べ歩きして、お料理の勉強はもちろん顧客体験も意識的にしていました」

3年間、福岡でアルバイトとして働き、社員に。その後に、当時パリでPlan・Do・Seeが運営していたレストラン、カーサ・オランプのキッチンスタッフが社内公募に出て、迷わず手を挙げた。当初から海外のレストランで働くのは夢だった。パリのレストランはフランス人シェフのほか、Plan・Do・Seeの先輩もシェフ、パティシエ、サービスマンとして働いていたので心強かった。サポート的な役割だったが、初めてのフレンチを本場で経験した。

「こんなチャンスはないな、と思ってチャレンジしました。現地の食材は肉も野菜も日本にないものばかりですし、本場のお料理も初めてで、学ぶことだらけでした。毎日が充実して濃密で、すべてが印象的。1年間でしたけど、貴重な経験でした。その1年があるから今の自分があると思います」

帰国後、赤坂プリンス クラシックハウスでは、立ち上げから携わる。オープン前、見えないお客様を踏まえ、ゼロからつくることの難しさを味わう。キッチンマネージャーがつくるお料理はすべて自分がサポートするように意識し、メニューづくり、アルバイトスタッフの教育も行った。大変だが「任されている」と思うと、嬉しかった。

「悩んだときはいつも先輩に相談していました。尊敬する先輩はたくさんいますし、みなさんお料理へのこだわりがすごくて。福岡で、『あなたが今つくったお料理、大切な人に食べさせられますか?』と言われたことがあって。ハッとしましたね。そこから意識が変わったような気がします」

現在は、赤坂プリンス クラシックハウスのキッチンマネージャーを務めている。現場で調理に携わるよりも、メンバーのことやメニューづくり、全体をマネージメントする立場になった。陸上自衛隊から料理の世界に飛び込み、8年。持ち前の負けん気とたゆまぬ努力で、活躍の幅を広げてきた。2019年には年間MVPも獲得している。

「いい先輩に恵まれ、会社からいろいろなチャンスをいただけたことに感謝しています。一緒に働くメンバーは家族みたいな感じ、かけがえのないもの。Plan・Do・Seeのキッチンはお料理に対して、すごくシビアだと思います。時代性、地域性などを突き詰めて、やっと一皿が完成します。お料理一つひとつに愛情を注いでいるんです。お料理って進化していくもので、5年前と10年前では全然違う。進化し続けるお料理に、Plan・Do・Seeも追いつき追い越しながら進化する必要がある。その中核として、会社に貢献できたらいいな、と思っています」



さいき のりとも
2013年入社。レストランに来たお客様がお料理を気に入って結婚式を挙げ、その後もレストランを利用したり、さらにはおふたりのお子様が大きくなった頃には、そのお子様もPlan・Do・Seeで結婚式をしたいね、と思っていただけるような未来をつくりたい。Plan・Do・Seeでストーリーが紡がれることを願っている。

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