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What we do

遥かな尾瀬の麓に「スノーパーク尾瀬戸倉」がございます。今シーズンは順調な降雪で一面の銀世界となりました。
スキー場とともに、ゲレンデ目の前にある「尾瀬高原ホテル」も運営しております。
日本が誇る大自然の宝庫「尾瀬」。そのベースに位置し、上質のパウダースノーが堪能できる「尾瀬戸倉スキー場」は、1962年に片品地区スキー場の草分けとして誕生しました。以後、スキー競技のメッカとしてインターハイをはじめ、数々のアルペンスキー大会を開催する一方、スノーボードも1991年から全面的に受け入れ、ハーフパイプの国際大会も開催するなど、ウインタースポーツの発展に寄与してきました。 オープンから45年。多くの皆様にウインタースポーツを楽しんでいただける遊び場を提供し続けてきた「尾瀬戸倉スキー場(財団法人尾瀬勤労者休暇センター)」は、2006年に「スノーパーク尾瀬戸倉」として生まれ変わり、スキー場に隣接する「尾瀬高原ホテル」とともに、私たち株式会社P&C尾瀬が経営を行っています。

Why we do

ゲレンデでの作業の一コマ。すべてはお客様の笑顔のために。
ゲレンデでの作業の一コマ。すべてはお客様の笑顔のために。
80年代のスキーブームから90年代のスノーボードバブルといわれた時代、全国的にスキー場には黙っていても人が来るというほどの盛況ぶりでした。過熱の時代を経て成熟の時代となった今、ユーザーのニーズは多様化し、量よりも質が問われる時代となってきました。そのような需要に応えられず、また新たな提案ができないスキー場は次々と淘汰され、当時700ほどあったスキー場は、現在500を切るまでに減少しました。 しかし「スノーリゾートは斜陽産業なのか」というとそうではありません。減少したとはいえ、まだまだ世界2位のスキー場数があり、人気のスキー場では今なお長いリフト待ちがあるのです。そして日本の雪は、世界に誇れる観光資源であることは間違いありません。日本の雪を求めて訪れる外国人観光客の数は年々増え続けています。 スキー場はレジャー産業であり、施設や人、そしてコンテンツがいかに魅力的であるかが集客につながります。しかし「滑らせてやっている」という前時代的考えから脱却できないスキー場がまだまだ存在することも事実です。そしてスノーパーク尾瀬戸倉もそこから脱却しようとしています。 弊社代表の萩原文和は、SAJスノーボード部部長としてソチ五輪の日本代表選手を監督、今も自らスキーを履いて先頭を滑るプレイングプレジデントでもあります。そんな社長ですから、スタッフとともに朝一のバーンを滑る「文和会」を不定期に開催するなど、常にお客様の目線に立つことをモットーとしています。 私たちの願いは、スキー、スノーボードの楽しさをもっとたくさんの人に知ってほしいということです。そのための施設、そのためのコンテンツ、そのためのおもてなしを常に模索し続けています。すべてはお客様の笑顔のために。

How we do

スキー場からの新しいアプローチ「ゲレンデパウダーガイド」の一コマ。いつの時代もスキー場には笑顔が溢れています。
日本には数少ない国際大会クラスのハーフパイプや、オリンピック出場選考を兼ねたFIS大会を行うスロープスタイルコースが常設されています。
コンパクトながら緩急、地形などバラエティに富んだゲレンデに、滑り手のイマジネーションを刺激する設備やアイテムを配し、ファミリーからフリースタイル、アルパインなど様々なスタイルのスキーヤー、スノーボーダーが楽しめるスキー場づくりを続けています。実際、ここをホームゲレンデとして育っていったプロや競技者も少なくありません。近年ではコース外の非圧雪エリアをガイドしながらツアーする「ゲレンデパウダーガイド」といった試みもいち早く取り入れ、パウダーフリークからも注目を集めています。 また春から秋には、尾瀬の玄関口「鳩待峠」「大清水」にもっとも近いホテルである「尾瀬高原ホテル」が尾瀬ハイキングの拠点として多くのハイカーに親しまれ続けています。地理的な利点に甘んじることなく、尾瀬の自然を愛する人たちを「おもてなしの心」でお迎えすることに全力を注いでいます。