Q. 創業前は外資系証券会社で10年アナリストをされていたと聞きましたが、アナリスト時代はどんな業務をしてたんですか?
UBSの時は業界分析や個別企業の財務分析と勉強ばかりの日々でした。入社4−5年目になって、アナリストとして対外的にアピールしていかないといけないのに、ほとんどアウトプットが出せない…とモヤモヤしていた頃に、ヘッドハンターからクレディ・スイスという証券会社を紹介されました。クレディ・スイスで初めてのセクター(インターネット業界)を担当しましたが、2年間ぐらいほとんど結果が出ませんでしたね。がむしゃらに人と同じことをやっても意味がないと気づき、自分なりに見出した差別化要素が「中小型企業の発掘」でした。約1,200社くらいに取材しましたね。この体験は創業のきっかけにもつながりました。
Q. いろんな会社を見たから気づきがあったという事ですね。
僕は普通のアナリストよりも企業訪問する回数が多かったので、その中でルーチンワークの非効率性がよりはっきり認識できたのだと思います。はじめは訪問した会社の投資判断が楽しかったのですが、少しずつ「俺ならこうするなぁ」と、自分が事業を行うならどうするかに興味が置き換わり、経営陣に自分の考えをぶつけるようになっていきました。あと、訪問すればするほど、経営者や創業者への憧れも強くなっていき、その中で自分も事業を興してみたいと思うようになりました。
Q. それが創業につながったんですね。普通はめんどくさくてそれ以上はやらないですが、誰かがやってくんないかなぁで止まらなかった理由はなんですか。
アナリスト時代は、周囲に評価されながら給料を増やしたいという気持ちで、給料が上がるとやる気も上がっていったんですが、ある時調査部長から「今年は部署内で中安に一番ボーナスを出した」と言われ、天井が見えたとたんにやる気がなくなったんです。これ、本当に大きなターニングポイントでした。初めて自分の本当のモチベーションが分かったタイミングでしたから。僕はお金のために働くのに飽きたんです。
Q. 創業自体がモチベーションだと。それはいつ頃ですか。
32歳ですね。次の目標を考えないとなぁと感じたんですよね。自分のために生きて行くことに飽きて、これからは自分で何かを生み出してみたいという気持ちになったんです。たくさんの上場企業を見たからこそ世の中を変えていきたいと。
Q. こっち側で会社のことを評価するよりも、あっち側で評価される方がかっこいいと思ったということですか。
評価する事を恥ずかしく感じていたんです。自分で事業をやったことがないのに、会社のトップに対してあーだこーだと評価している事を恥ずかしく感じました。業績が悪い時にコストカットを提案したり売り上げ増の施策を聞いたりすることなど。そんな程度のことはもちろん社長も毎日考えているのにと。
Q. ”これで創業しよう”というのはどの段階で考えたのですか?
”これで創業しよう”というのではなく、創業するモチベーションが先ですね。前職を辞めて会社を作るまではすぐでしたが、会社を作ってから半年位は迷走していたんですよ。システムで何かを作りたいという漠然とした気持ちしかなかったですね。システムを作るのはエンジニアだろうから、色んなTech Campとかエンジニア向けmeet upとか勉強会に参加して、できそうなエンジニアを探していました。
Q. 怪しいですね。
そうですね。僕だけコードを一切書かないんですよ。チューターみたいな人を見つけては、ラフスケッチの事業計画を見せて「一緒にやってみませんか」と口説き続けましたね。いくつか参加しましたが、結局、どの勉強会でもエンジニアを引き込むことはできませんでしたね。自分だけの思いがあっても、何もならないということがわかりました。
Q. 結局、「みんなの説明会」サイトを作るのにどれくらいかかったんですか?
創業から1年かかりましたね。証券業界を効率化したいとは思っていたが、その解決策までは見えていなかったんですよ。当時のCTOに出会って、説明会サイトという解決策にたどり着きました。物事の本質にたどりつかせてくれたんですよ。一人では何も進みませんでしたが、彼がキャッチボールの相手になってくれたおかげでサイトが出来上がりました。
Q. 人と会うという行動を欠かさなかったからこそ、良い出会いができ、チャンスが出てきたりすると言う事ですか。
今日、いろいろとインタビューされて、つくづく人に生かされているなと気づきました。勝手に生き、勝手に辞め、勝手に会社を立ち上げたけど自分だけでは何も解決できないという。そして周りに解決してもらいながらここまできましたね。業界におけるなんとなくの問題意識はあるが、その課題の本質と解決策はわからないのでみんなに考えてもらうというやり方です。
Q. 人が増えることで事業が掛け算的に成長してきたという事ですね。
そうですね。自分一人の時はゼロから1にしかなりませんでした。どれだけ考えても1より大きくはできません。でも、エンジニアが入り、その後事業を開発したり会社を設計できる人間が入ってきてくれて、1が5や10になっていっています。そう意味では、重要度で測ると、僕の役割は会社を登記したときに半分くらい終わっていますね。