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アスリートのセカンドキャリア:逃れられなかった野球の道と、偶然の力で今がある

”体育会系”の学生生活を送った弊社所属社員の、これまでの歩みを紹介してきた本コーナー。
今回は、設立から5~6年しか経っていなかった頃のMJEにジョインし、今年で入社から丸10年を迎える営業部社員にインタビューを行いました。
気が付けば野球が中心にあった学生時代から現在に至るまで、どのようにキャリアを積み上げてきたのか?ぜひご覧ください。

▽第一弾記事はコチラ


【目次】
1.成果を残すも、野球を辞めようと考えていた学生時代
2.野球と関係のない進路を選択。と思いきや……
3.チャレンジと変化の連続だった20代~30代
4.偶然ばかりのキャリアだけど、後悔は無い

■プロフィール
北受 和也(Kitauke Kazuya)
大阪府出身。(出生地は和歌山県)
2011年2月にMJEに入社。主にIT機器を取り扱う事業部(現:ITS事業部※)や、「bord station」の営業担当など複数の事業部を経て、2019年4月よりPT事業部※に所属。

※ITS事業部……当社のICT事業本部(情報通信領域)のうち、主にIT機器の提案や導入、宣伝プロモーションツールである看板型デザイン自販機「bord station」の販売を行う事業部。当社では最も多くのメンバーが所属している。
※PT事業部……当社のICT事業本部(情報通信領域)のうち、パートナー営業を取り扱う事業部。パートナー営業とは、自社の商品やサービスを、直接お客様へ販売するのではなく代理店・パートナー契約を結んだ他の企業の営業担当の方に販売してもらう形式の営業のこと。「パートナーセールス」「間接営業」とも。


■成果を残すも、野球を辞めようと考えていた学生時代

ーー学生時代野球をやっていたとお伺いしました。はじめたきっかけと当時の成績について教えてください

小学校1年生の時に軟式野球を始めて、小学校3年生からは大阪市のクラブチームに所属し、リトルリーグで硬式野球に取り組んできました。
地元では強い方のチームで、僕たちの代は全国大会に出場することができました。
人数は各学年20名くらいだったので、6学年合計で100名以上は在籍していたと思います。
中学校の時も同じチームのシニアリーグに所属していました。

ーー全国とは凄いですね…!それだけ人数が多いと試合に出るのも大変そうですが…

強いメンバーが集まっていたからなので、僕自身は全然です(笑)。
ただ、一応どの代でもレギュラー入りはしていました。

ーーやっぱり凄いです。全国大会に出場にするとなると練習も大変だったと思うのですが、「嫌だな」と思うときはありましたか?

正直なところ、しょっちゅうありました。今でこそ野球が好きですが、当時はやらされていた側面も強かったので……。特にバットの素振りなどの、地道な努力の積み上げ作業が苦手でした。

これ以上大変な思いをしたくないな、という気持ちから、中学校を卒業したら野球を辞めようと思っていました。野球の特待生で進学しませんかと声もかけてもらっていたのですが、全てお断りしました。
ただ、勉強をさっぱりやってなかったので、受験が本当に大変で(笑)。最終的に「うちで野球やるか?」と声をかけてくれた公立の工業高校に進学し野球部に所属することになりました。
結局野球をやるのか……と続けたところ、そこからはどんどん面白さに気づき、少しずつ能動的に取り組むようになっていきました。

ーー差し支えなければ高校での成績も教えていただけますか

大阪市内の公立では一番強かったと思います。当時の大阪の工業高校大会や、大阪市の公立大会ではほぼ優勝していました。僕が所属していた代は甲子園出場も視野に入れていて、成績は最高で大阪府大会のベスト16〜8くらいだったと思います。
もっとも、甲子園出場は叶わなかったので、そこは心残りですね。

ーー練習は厳しかったですか?

大変でした。テスト期間以外は週7日練習していたので。
練習の大変さもそうですが、1年次からレギュラーに入っていたことで、補欠だった先輩から……道具を隠されたりなど、色々とされたのも嫌気が差した原因でした。


ーーそのような嫌がらせをする人が本当にいるんですね……

居ましたね。それで一回高校1年生の時に「部活辞めます」と監督に言ったところ、なぜそう思ったのかを聞かれて、そこで洗いざらい今までのことを相談しました。
そうしたら程なくしてその先輩達が辞めさせられたので、僕は辞めずに続けることにしました。

ーー今更の質問ですが、ポジションはどちらですか?

高校最後の年だけ後任を育てるために他のポジションに移りましたが、小学校の時からずっとキャッチャーです。
個人的には、キャッチャーが一番野球の醍醐味を味わえる位置だと感じています。というのも、野手全体に指示を出す、さながらグラウンド上の監督のようなポジションなのでとても面白いです。
また、ピッチャーを一番輝かせるのもキャッチャーの仕事だと思っています。
相手のバッターの弱点を分析して、どうすればピッチャーに抑えてもらえるかを考えて指示を出して……。ピッチャーという立ち位置は、勝っても負けてもその成果を背負ってしまいがちです。ピッチャーの勝率を少しでも上げるために、できることは何でも行っていました。

■野球と関係のない進路を選択。と思いきや……

ーー高校卒業後も野球を続けたのですか?

実はそこでも野球を続ける気はありませんでした。高校2年生の時に半月板(膝)を損傷して半年間野球ができなかった時期があり、さらにヘルニア(腰痛)も発症してしまったのでこの機会に辞めようと。都市対抗戦に出場している、強豪の企業野球部チームからのお誘いは断って、一般社員として自動車メーカーのマツダ株式会社に就職し、広島へ引っ越しました。
車が好きでしたし、また地元で周囲に自動車販売を家業にしている方が周りにいたので、自分もそうなれたらと思って勤めていたのですが、入社からしばらくして当時存在していたマツダの野球部の監督から「一回練習見にこないか?」と誘われまして……。

ーーそれってもしかして……

入部する気はないけど見学だけならいいかと思って行ったら、その場で「いつから参加できる?」と聞かれてしまって(笑)。そこでも野球を続けることになりました。
18歳から、部活が廃部になった21歳の時まで3年弱在籍していました。



ーーそれ以後の経歴を教えてください。

廃部になったあとは会社自体も退職して、大阪に戻りました。そこからやることをまたガラッと変えました。
まず服が好きだったのでアパレル店の店長をやることにしました。ありがたいことにその企業の社長にとても気に入ってもらえて、3〜4店舗並行してお店を見ていました。
その時にかなりの額を貯金して、25歳のタイミングで「飲み屋をやろう」と思い立ち、大阪市の玉造駅の近くにたこ焼き屋を開業しました。

野球との関わり方で言うと、仲間と集まって草野球に取り組む程度でした。ただ、結構実力あるメンバーが集まっていたので、それなりにレベルは高かったと思いますし(笑)、結構本気でやっていました。3チームくらいかけ持ちしてました。


ーー多忙な日々ですね……。飲み屋の開業に思い至ったのはなぜですか。

広島で一時期バーテンダーをした経験がきっかけです。
先述のように野球部が無くなると決まり、この先どうしようかなと考えていた時に行きつけのバーの店長から「うちで面倒見るよ」と言っていただいて、退職してからしばらくの間修行させてもらっていました。

そこで覚えたお酒のことを生かしたいなと思いスタートしましたが、結構多くの売り上げを立てることに成功しました。最初はすごく苦労しましたが、徐々に常連のお客様がついたのは嬉しかったですね。
程なくして、地元に2店舗目を出すことにも成功しました。


ーー順調なのであれば、今もお店を続けていてもよさそうですが……

この出店が実は失敗の始まりで(笑)、お客様には来てもらえていたのですが、その分地元の友達も多かったんです。「お店手伝ってくれたら今日はお代いいよ」みたいな感じでついついサービスしすぎてしまったところ、キャッシュフローが悪くなってしまいました。
ちょうど稼いだ分を使い切ってプラマイゼロになるタイミングで、2つとも店を畳みました。

■チャレンジと変化の連続だった20代~30代

自営業をやめた後、求人媒体を見て応募したのがMJEです。

ーーということは、営業職未経験で入社されたのですか?

全くの未経験です。入社したのが2011年の2月だったので、先日でちょうど10年が経ちました。それまでは大体3年ごとにやることを変えていて、自営業をやっていた期間も5年くらいだったので、MJEに一番長い期間勤めていることになります。


ーーこれまでと全く異なることに取り組むにあたって抵抗は無かったのですか?

特に抵抗はありませんでした。むしろ、今までやったことが無いからやってみたい、どんなものなのか知りたいという好奇心から求人媒体で営業職の募集を探していて、たまたま目に留まったのがMJEでした。

入社して初月で営業の成果を残すことに成功し、その当時は※、役職の昇降格が一ヵ月ごとに行われていたので、二ヵ月目で早くも次の役職に上がることができました。

※……現在は半年に一回


ーー北受さんは何度か部署異動を行い、その度に主に扱う商品も変わりました。大変ではありませんでしたか?

どの時期も面白く仕事させてもらっているので、変化があることへの苦労は感じなかったです。


ーー面白さはそれぞれの部署で異なりますか?それとも、共通していますか?

というより、やっていることが根底では変わっていないと思っています。
僕は営業の時に「物を買ってほしい」とは言っていません。
初めてお会いするお客様に対してはまず、「この状況だったらこうした方が良いのでは」と、お客様に不足している情報を”教える”……といったらおこがましいかもしれませんが、情報をお届けするところからはじめていきます。
そうしているうちに、不明点をお客様の方から聞いてもらえるようになったら信用を得られた証です。
もちろんメインでどの商品を扱っていたかによって細かい差異はあります。コピー機を中心に扱っていた頃であれば、コピー機自体に独自性があるわけではないので、「この営業マンと付き合っておけばコピー機のことは安心だな」「この営業マンに任せれば余計な手間がかからなさそうだな」と思ってもらえるような内容を提案するよう心掛けていました。

今の部署で言うと、ネットワーク関係の商品も扱っているので、現在お客様が導入してないけど、あったら便利なものを「確かにこれ必要だな」と納得してもらうことが大事になってきます。そのためには僕たち側も知識を入れていかなければいけません。
いずれの場合も、いかにお客様に「商品を導入してよかった」と思ってもらうかのみ考えています。


ーー売上や成績のことを考えて動いているわけではないということですね。

そうですね。それらはあくまで後からついてくるものなので。
もっとも、実際にその通りに事を運ぶのはもちろん難しいです。僕自身も、自信をもって言えるようになってきたのはここ数年の話です。


ーー入社から2~3年で壁にぶつかる営業担当も多いですが、まだまだこれからだと。

僕の始めの2~3年なんて、全然でしたよ!
なので、僕がこの10年近くで得てきたことを、今2~3年目のメンバーにそのまま渡すことができたら、渡された側はもっともっと活躍できますよね。
なので、技術の出し惜しみは全然していないです。もちろん「どうやってるんですか?」と聞いてくれたメンバーに伝える形ではありますけど、聞かれたら全部教えるようにしています。


ーー”教える”といえば、グループ会社に講師として教えに行っていたとお聞きしました。

はい。今はコロナの影響で行っていませんが、一時期は月に一回のペースで徳島まで通っていました。

■偶然ばかりのキャリアだけど、後悔は無い

ーー先ほどのアパレル店長や自営業の経験でもそうですが、人に何かを伝えたりまとめたりをやってこられたように思います。何か思い当たるルーツはありますか?

昔から「1番手より2番手がいい」という気持ちがありました。トップを走って誰かに追いかけられるよりも、調整してより良くしたり、バランスを整えたりする方にやりがいを見出してきました。

ーー得意領域なのかもしれませんね

そうだとしたら、野球をやってきたおかげです。キャッチャーの経験もですし、小中学校の時にクラブチームの副キャプテンだったので。

ーーそうだったのですね!

高校の時もそうでした。「キャプテンやれよ」って言われていたのですが、「キャッチャーをやりながらやるのは嫌なので」と意志表明して、副キャプテンの座に着きました(笑)。
「この人は何を考えているんだろう?」という人間観察を日常的に行ってはチーム作りや、マウンドでの指示に生かしてきたので、当時の経験が積み重なって今に繋がっているのかもしれません。


ーーかなり盛り沢山なキャリアでしたが、振り返ってみての感想はありますか?

そうですね……うちの大知社長が良く口にする「キャリアは偶然の積み重ねである」っていう言葉通りだな、という感想です。


ーー計画的偶発性理論※ですね。

(引用形式)※「計画的偶発性理論」…人のキャリア形成の80%は偶発的な出会いや機会によって決定され、その偶発を計画的に設計して自分のキャリアを形成するという考え方。スタンフォード大学のクランボルツ教授が提唱。

計画なんて全くしていないですけどね(笑)。振り返ると、各ターニングポイントで本来選ぶべき選択肢と、全部反対の方を選んでいることに気が付きました。


ーーと言いますと?

例えば、高校でも野球を続けるのであれば、一般入試を検討せずに推薦が来た高校に進んでおいた方が一般的には良いはずです。
社会人も同様で、企業の野球部に入るのであれば、素直に推薦をもらった企業に就職すればよかった。そうしなかったものの、結局ずっと野球をやっているんですから、不思議な縁です(笑)。
MJEへの入社もそうで、別の媒体を眺めていたら出会わなかったかもしれない。でもたまたま見た募集で採用されて、10年を経て、今現在はクセが強くて個性はばらばらだけど尊敬できるメンバーと一緒に働いている。
今のところこれまでの歩みに全く後悔はないので、キャリアに満足していると言っていいと思います。


ーー事業部内でリスペクトをし合っているのは、私から見ても感じます。

間違いなく、この会社で働き続けている大きな要因ですね。
実は事業部のリーダーは2011年、大阪のリーダーは2012年入社と、2人とも僕と入社時期が近いです。
この2人に限らず、この近辺で入社したメンバーは全員同期のような気持ちで仲良くしているのですが、うちの事業部のリーダー陣は全体を見ながら一人ひとりを気遣う力とか、人を動かす力に長けています。数年前に同じ事業部に異動して、一緒に仕事をするようになってその凄さに改めて気が付きました。

この10年間で、途中本気で辞めようかと思った時期もありましたが、その時に現リーダーに相談に載ってくれたおかげで踏みとどまることができました。またプライベートで上手くいってない時に助けてくれたのも彼でした。

僕はめったに他の人のことを褒めないのですが、内心とても尊敬しています。とはいえ、本人に向かって言うのは恥ずかしいので、この場でこっそり感謝の念を伝えておきます(笑)。


▽同時期に入社した営業部リーダーのキャリアはこちら

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